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まどか。どうして百点を取れなかったの。なぁに、その引き攣った顔。歪で醜くて気味が悪いわ。同じ双子なのに由とは大違い。ああ、本当にどうして――
「~~~ッぁ、」
がばりと身を起こす。汗ばんだ額が気持ち悪い。
「……夢、」
なんて悪夢だ。
ふらりと共用スペースに出て、コーヒーを入れる。お湯を注ぐとクリーム色の細かい泡が山を作った。すんと匂いを嗅ぐと香ばしい。ぼんやりと窓の外を眺める。午前五時。少し前なら明るかったこの時間も、九月となっては薄暗さを宿しはじめている。ここからもう一つ季節が移ろえばすっかり濃紺を滲ませているのだろう。
淹れたばかりのコーヒーに口を付ける。……苦い。
あの夢を見るのは今日が初めてではない。どうして、の続きは分かってる。幾度も幾度も同じ嘆きを聞いた。だから言葉の続きはこう。
どうしてあなたが生きているのかしら。
あの悪夢が本当にあったことなのか。あの夢を見すぎた俺にはもはや分からない。本当はなかったような気もするし、いつか言われた言葉の気もする。といっても、正直なところはどちらでもいいのだ。あれが真実にせよ虚構にせよ、俺が近いことを言われていた事実は変わらないし、やったことも変わらない。
ふぅと息を吐き、心を落ち着ける。まだ脈が速いがさっきよりはマシだろう。
文化祭もいよいよ二週間後に迫っている。円が戻ってくるまではあと一週間。ようやく電話の日から一週間が過ぎたが、気持ち的にはまだ一週間というところだ。体感では一ヶ月ほど過ぎている。
クラスの出し物の準備は順調だ。宣言通りに衣装作りの腕は上がった。ファッションセンスはないけど、という余計な枕詞が付くにしても充分褒められていい域に達していると思う。
「椎名、おはよ」
「っ、おはよう三浦。今日は早いな」
動揺に声が揺らぐ。三浦は不審げな顔をするも、硬い声音で声を掛けてくる。
「依頼の件だけど」
途端、ぴんと背筋が伸びる。意識が切り替わるのを感じた。
「そう緊張しないで聞いてほしい。大したものじゃない。単なる経過報告だから」
苦笑を零した三浦は眠たげに欠伸を噛み殺し、ローデスクの前に腰を下ろす。座れと視線で促された俺は、大人しく三浦の向かいに座る。まず、と三浦が苦い声を出した。
「現状の調査結果だけど、ほぼ進んでないと思ってほしい」
「……、」
なんでと問いそうになるのを押しとどめる。まずは一通り話を聞いてからだ。
「あまり知られてないことだけど、D.C.は俺一人の呼称ではなく、俺の動かしてる情報屋達の組織名なんだよね」
「……ああ」
理解を確認する物言いに相槌を打つ。大丈夫、ついていけてる。
「まぁ細かい組織の話は置いておくとして。今問題なのは、その組織全体を動かしても椎名のお母さんの足取りを辿れないってこと。明らかに意図的に隠されてるとしか思えない」
「……ああ。だろうな」
俺の地雷であることを百も承知した畠が隠蔽しているのだ。そう簡単に見つかるものではないだろう。俺の返事に三浦はぱちりと瞬きを寄越す。
「、そっか。そこまでは分かってたんだ」
よかった、と零す三浦に、そういえば俺は大した情報も渡さず依頼したのだと思い出す。今の情報を伝えるだけでも相当気兼ねさせてしまったことだろう。へたりと眉が垂れた。
にしても、だ。一秀たちは母さんをどこに隠したのか。冷静に、客観的に見れば分かるはずなのだ。仮にも椎名の一婦人。隠すとなればそれなりに労力を伴う。
どこだ。どこにいる。そもそも母さんは日本にいるのだろうか。かつて俺と母さんに冷却期間を与えるためイギリスに引っ張っていった畠である。外国の選択肢だって十二分にある。どうしよう、分からない。
パン、と自身の頬を打つ。長く息を吐き出し、前を向く。不安げな三浦と目が合った。心配させてしまったようである。
「……悪い、取り乱した。一つ一つ、出せる情報を答えていくから質問してくれないか」
初めから、何も知らせずに探すなんて無理があったのだ。いいの、と瞳を揺らす三浦に強く頷く。Coloredの皆に打ち明ける時はあれほど不安だったのに、不思議なものだ。大丈夫だと確信が持てる。
ああ――、そうか。
離れないと。そう言った眼差しの強さは睨んでいる時にも似ていて。掠れる声で紡がれた好意が、確かに今の俺を支えていた。
「譲れない場所ができたからなぁ」
そんなの作る気なんてなかったのに。
困ったなぁ。ぼやく声は誰がどう聞いても困っている人のものではない。寧ろこれは、
「惚気かな?」
ずばりと心の中を言い当てられて苦笑する。甘いと顔を顰められる訳である。なるほど、自覚してみれば確かにこれは。
「……困ったな」
いつまで隠し通せることやら。
二度目の呟き。言葉そのまま、声はへたれていた。
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