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 秋の実りが虹彩に、味蕾に季節を知らせてくれる。手の中のずっしりとした柿を〝テスタロッサ〟と名付けた馬の鼻先に近付けると、彼女は音を立てながら嬉しげにそれを食べた。馬は警戒心が強いので見知らぬ食べ物はなかなか口にしないのだが、テスタロッサは幼い頃より柿を好物にしていたので、すこしでも柿を目の前にちらつかせると際限なく食べたがった。もう一つ、と強請るような仕草を手で制し、なだらかな首を撫でる。指を滑らせると、月毛の真っ白い光沢が波打ってきらきらと光った。 「ベルリネッタ!」  私は厩舎の近くで尾を振っていたもう一頭の馬を呼び寄せ、同じように柿を与えた。ベルリネッタは亜麻色のやわらかい栗毛を湛えた雌馬で、額から鼻筋にかけて流星と呼ばれる純白のマーキングが生じている。彼女はテスタロッサよりもさらにのんびりとした質で、大抵の時間は厩舎の傍で風を嗅いで過ごしている。  樒ヶ原(しきみがはら)乗馬センターという小さな乗馬施設を経営している私が有している馬は、この二頭だけである。それと大型犬が数頭、施設内で自由に遊んでいる。センターと銘打つにはいささか寂しい様相だが、それでも馬も犬もみな穏やかな性格をしているため、親子連れでやってくる客ばかりのここではむしろちょうど良いくらいだった。  しかし、二頭の馬ももう若くはない。彼女らが生を全うしたとき、私は樒ヶ原乗馬センターの長い歴史に幕を下ろす。  その夜、私は寝付けずに卓上の写真立てを眺めながらウイスキーを傾けていた。鋭く冷たい風が窓枠を忙しなく揺らしている。ずいぶん冷え込んだ夜で、これでは馬たちも寒かろうと厩舎を覗きに行くことにした。ブランケットを羽織って玄関の戸を開けると、暖炉の前で寛いでいた犬たちも得意げな顔で着いて来ようとする。護衛のつもりだろうか。大きなゴールデンレトリバーが三頭、尾を揺らして私を先導する。犬たちは馬とも仲が良い。夜中の散歩も冒険めいていてうれしいのかもしれない。  乗馬センターの脇に建てたロッジ風の住居から厩舎までは少し距離がある。昼間はからりと晴れていたのに、まるで雪でも交じりそうな冷気だ。突風にうねる前髪を押さえながら歩いていると、内の一頭が突如走り出した。するりと手からリードが離れる。 「こら、シエナ!」  あっという間に夜闇に溶け込んでしまった金毛を追い、走る。 「シエナ、待ちなさい!」  好奇心旺盛な性格をした犬だ。柵はしてあるが、もしも万が一にでも敷地を出て車道にでも出てしまったらといやな想像が巡ってしまい、肝が潰れそうになる。リードを付けている時に走り出すことは今までになかったので、気が動転している。何度か(まろ)びながら名前を呼びつつ全力で駆けると、シエナは厩舎の傍で立ち止まっていた。 「よかった……っ。勝手に走ってはだめだよ」  追いついた私と二頭を見上げてシエナは鼻を鳴らした。しきりに厩舎の方を気にしている。地面に垂れた泥だらけのリードを握り直し、私は厩舎を覗き込んだ。  テスタロッサは立ったまま眠っている。ベルリネッタはテスタという哨戒役がいるからか、安心しきって藁の上に体を横たえていた。そして、横たわるベルリの背に寄り添うようにして、青年が寝息を立てていた。ぎょっとする。 「あの……、」  不法侵入者にどう声をかけていいのか分からず、手を伸ばしては引っ込める。青年はまだ若い。二十代にさしかかるかどうかという顔立ちをしている。閉じた睫毛はぴくりとも動かない。困りあぐねていると、背後に控えていたシエナが痺れを切らしたように青年に近寄り、その頬を舐めた。 「ウ……、」  死んだように閉じていた睫毛がわななく。呼吸を開始する。覚醒して見えた虹彩は不思議な色をしていた。赤黒い。闇と夕陽がマーブルに溶け合うような、そんな色をしていた。 「……、犬」  青年はされるがままに舐められながら、私を見上げた。藁の筋が残る頬にはそれとは別に、引き攣れたような痕があった。縫合の痕だ。ずいぶん大きな傷痕に、私はビクリと目を背けてしまった。 「ここは……、私有地ですよ。きみは」  そろりと視線を戻すと、青年は慈しむようにシエナの首をくすぐっていた。 「僕は、フランケン」  それが名前なのか、それとも彼という概念そのものなのか、私は首を傾げるばかりだった。
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