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  *   *   *  (ふらん)が細工を施した南瓜たちが施設を彩り始めたころ、ぎこちないながらも不思議にしっくりとくる共同生活に私たちもずいぶんと慣れていた。今夜はハロウィンナイトだ。樒ヶ原を燃やす夕陽が落ちきれば、やがて小さなお化けたちが菓子と動物を目当てに列を成すだろう。  鞦は熱心に動物の世話をしてくれていて、繊細なこころを持つ馬たちも鞦を背に乗せて走りたがった。特にベルリは毎朝ブラシで体を擦ってもらうのを心待ちにしているようであったし、少々神経質なきらいのあるテスタも鞦の傍では体を横たえて昼寝をするほどであった。  そしてかくいう私も、鞦の弛みない懐の広さに、ひそやかにこころを癒やされていた。思えば最近、写真立てを眺めては酒を傾ける時間もかなり減ったように思う。鞦は何も変わらない。ただあるがままに私の傍にいて、何も言わず、何も聞かずに巣瀬の遺した動物たちを愛し、乗馬センターのために働いていた。 「南瓜……、並んだね」  キャップのつばを指で押し上げ、満足げにハロウィン飾りを見回す鞦の口元は緩んでいる。センターの玄関には鞦が丹念に細工をした南瓜が並び、屋外馬場の連綿と連なる柵には等間隔にランタンが灯っていた。私も手伝いこそしたものの、そのほとんどの構想や配置は鞦の手腕によるものだ。しずかに瞳を輝かせる鞦の隣に並び、同じようにひとつひとつの飾りを眺めては笑んだ。 「いつもは私ひとりでしていたから、今年は見違えたように豪華だね。すごいよ、鞦。がんばったね」 「……ん、」 「子供たちも喜ぶよ」  照れてキャップを目深に被ってしまった鞦の表情がふいに曇った。ああ、と私は息を漏らす。鞦は、顔の傷が子供たちを怖がらせるのではと危惧して、昼間はセンターの工房で人目を憚りひたすら革細工を裁縫している。私が接客の合間に窓から覗くとよく目が合い、ばつが悪そうにしていた。彼も本当は、子供を乗せて優雅に闊歩する馬を牽引して歩きたいのだ。 「でも、僕は……」 「だいじょうぶだよ。きみの姿も目立たない。その傷も目の色も、誰も気にしない。今夜はそういう夜なんだよ」  迫る闇を照らす、小さな灯りが遠くから灯籠のように流れてくる。低い位置と、高い位置で狐火が連なる。親子が手にしたランタンだ。逸るこころと比例してゆらゆらと落ち着きなく揺れている。 「そういう夜なんだ」  頭を撫でると、鞦はしばらくしてようやく頷いた。悩み悩んだ末の決心が窺える。人前で傷を晒すことを決めたようだった。鞦のこころの優しさは、誰の目に見ても明らかだ。大きな傷ごときではその優しさは曇らない。私はそれを教えたかった。  子供の歓喜の声が夜を明るく照らしている。背上ではしゃぐ親子を慈しみながらテスタロッサが歩き、マントを羽織った鞦が手綱を牽いている。しゃんと背筋が伸び、前を見据えて愉しげに夜風を嗅いでいる。  おっかなびっくり手を伸ばす子供の頬をアポロが舐めると、また賑やかな歓声が上がった。シエナは遠くで綱を引いて親子を先導する鞦を時折見やり、安心したように目尻を下げて尾を振る。私もベルリを牽引しながら、気付くと歯を見せて笑っていた。今年は鞦という優秀な家族がいるので、例年よりずっと楽しむことができた。こころの底から笑った。歓声がどこまでも魔の夜に響き、蛍めいたランタンの灯火が飽くことなく闇を煌めかせた。 「鞦、楽しいかい?」  すれ違いざまに問うと、鞦は大きく破顔した。眉尻が下がって、こそばゆい仕草で大きな犬歯を見せる。細められた瞳がそこかしこで光るランタンに照らされて、黄金の夕焼け色に彩られていた。  たのしい、と唇で語る鞦が私の横を通り過ぎて、その後ろ姿が幼子たちに囲まれてようやく、私は胸に広がる慈愛にとめどなく涙を流した。  鞦は私のことを知らない。私も鞦のことを知らない。巣瀬が死んだ理由も知らない。鞦は自身の魂のかたちさえ知らない。それでも私はかつてこの広大な樒ヶ原で巣瀬が動物たちを愛し、慈しんでいたことを知っている。彼の魂のかたちを知っている。そして鞦がその魂を継承していることも。  私はきっと鞦を、巣瀬と同様に愛するだろう。巣瀬の魂として、そして新たにこの場所で出逢った不可解で愛おしい、ただひとりの〝鞦〟として。  小さなお化けたちが手を振りながら順番に帰って行き、残された私たちはせっかくの飾りを外してしまうのが惜しくて、月夜の中で平素のベルリネッタに倣って風の香りを嗅いでいた。 「鞦、乗るかい。私が牽いてあげよう」  ベルリを指さすと、間髪に入れずに頷いた。無愛想に見えるが、その実、彼がとてつもなく喜んでいることが私には分かった。頷き返しながらベルリに合図をすると、彼女も意図を理解してじっと鞦の動向を見守った。鞍に体を安定させると、テスタが羨ましそうに鼻を蠢かせる。 「……テスタはシエナたちとお留守番」  器用に重心を取りながら鞦はテスタに手を伸ばした。彼女は渋々といったていで何度か足踏みをする。 「鞦。少し歩いたら次はテスタに乗ってやってくれ」  苦笑しながら提案すると、鞦も小さく声を漏らして笑った。めずらしい、と思い顔を覗くと、はっと口を閉ざしてそっぽを向いてしまった。照れている。  夜風は冷たいけれど、気持ちが良かった。歓声に煽られて高揚した気持ちを少しずつ宥めてくれる。ベルリの誇らしげな蹄の音。ゆったりと上下する鞦のからだが月のシルエットを黒々と切り取っている。 「疲れてはいないか?」  声をかけると、相変わらず律儀に頷く。そうか、と返して手綱を握り直した。 「鞦は……、いつまでここにいる? いられるんだ?」  どうしてそんな事を聞いたのか、私にもわからない。ただ、いつまでも彼との生活が続くとは思えなかった。彼はきっと魔の存在だ。生きている人間ではない。ハロウィンの起源であるドルイド信仰では、秋と冬を区切る死の時期に我が家へと帰還する霊魂の存在が認められていたと言う。連なるランタンの灯りは、魂の灯火だ。死した魂たちはみな、懐かしく愛おしい生家へと還りたがるのだ。そしてハロウィンが終わってしまえば――……。  鞦は理解できていないのか、申し訳なさそうに首を傾げた。知らないのならば、それでいいのかもしれない。 「……いいや、なんでもないよ。鞦」  不安げに振り返る彼の瞳が、遠くのテスタを捉えた。私も足を止めて同じように振り返る。月光に照らされたテスタロッサの月毛がぴかぴかと、本当にぴかぴかと宝石のように光るものだから、思わず瞳を閉じてしまった。次に瞼を開いたとき、もしも鞦がいなかったらと内心慌てたが、鞦は変わらずベルリネッタの上で背筋を伸ばしていて、真っ白い月の光を浴びながら眩しそうに瞳を細めていた。  魔でも、人でもいい。私は鞦と、鞦の魂の還る場所を護っていきたいと、樒のさざめく葉音を聴きながら願っていた。  翌朝、鞦の姿はどこにもなかった。彼が使っていたベッドの上で、まだあたたかさの残るキルトに包まりながらシエナが何度も遠吠えをしていた。私は特に驚きもせず、彼の痕跡をたどってセンター中を歩いた。厩舎の藁は綺麗なものに交換されていた。ベルリもテスタも変わらずそこにいて、けれどどこか寂しげな瞳で遠くの風を何度も嗅いでいた。  私のささやかな巡礼に同行する犬たちも、時折立ち止まっては鞦の痕跡を探しているようだった。彼が日中籠もりっぱなしだった工房も覗いてみたが、やはり鞦はどこにもいない。融けてしまった。消えてしまった。ただ、工房の作業机の上に革で仕立てられた作りかけの犬用の首輪が置いてあって私を驚かせた。真鍮を叩いて作ったチャームには犬の名前がそれぞれ彫られていて、早速それを同行者の首に巻いてやると、微妙に革色の違う首輪は彼らの毛色に上手く馴染んで、鞦が色合いを腐心しながら誂えたのだと想像した。 「似合っているぞ」  頭を撫でると、チャームが昨夜の月のように輝いた。  トレッキングコースまでも巡ったがそれ以上の痕跡は見つからなかった。住居に戻り、いつものように彼が好きだったシチューを作って、暖炉に火を灯して読書をした。鞦がやってくる前の、日常だ。一週間とすこし、彼とともにいたけれど、ずいぶんと長く一緒に居たような気がした。錯覚だろうか。巣瀬と過ごした年月と混同しているのだろうか。  薪が弾ける。犬たちは玄関のドアベルが鳴るのを、今か今かと待っている。 「……シエナ」  鞦を我が子のように可愛がっていたシエナを呼ぶと、哀しそうな瞳が私を見上げた。ぐっと胸が詰まる。 「鞦は、……還ってしまったな」  きゅん、と大きな鼻を鳴らして返事をするシエナの頭を撫で、首に手を回してあたたかなからだを抱き締めた。まだ鞦の痕跡が残っているとしたら、彼女しかいないと思った。 「おまえは、……おまえと鞦は、」  魂を共有しあっていた。どこか一部の欠けてしまった寂しい魂を補い合うように、シエナと鞦はいつでも寄り添っていたのだから。  抱き締めたからだからどくんどくんと鼓動が聞こえてきて、私はその生命のうねりが鞦からの労りのように思えて、犬たちしかいないのを好いことにわんわんと大声を上げて泣いた。私はもう一度、鞦に会いたい。彼がまだ知らない食べ物を、彼が知らない愛を、知らない生活を、喜びを、また与えたいと思ってやまなかった。  来年、またランタンの灯火が灯るころ、私はきっと厩舎でフランケンの里帰りを待つ。巣瀬の遺したこの場所で待ち続けるのだ。

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