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アップルパイは食べたくない。

「大丈夫に見えんのか……これが」 「す、すんません」 「あとせめて、一緒に探せよ、ボタン……」 「……ですね。ごめんなさい」  すっ転んだせいで、はだけて肩が見えたシャツを紫乃に直されながら、俺はその場にのっそりと胡座をかいて座る。  やつは諦めたように息を吐き、あたたかい手で俺の頬をそっと撫でた。 「……?」 「せんぱい、実は俺ね、もう、アップルパイは食べたくない。ほんとはそんな好きじゃないんすよね、アレ。甘すぎて」 「……へ?」 「だからもう、いらないっす。隠す必要もなくなったんで、言っちゃいますけど」 「え? 好きじゃないのか? だって、初めて会ったとき、いい匂いって……」 「たまにいるらしいんすよ、吸血鬼好みの人間って。まさか本当に会えるとは思ってなかったですけど」 「……」  ああ、そこからなのか、と思った。  最初から、ずっと、紫乃は我慢していたのか。  俺を傷つけないために。 「好きになるほど美味しそうに見えるって、なかなか残酷っすよね」 「……紫乃、」 「はい?」  頬を撫でる手を掴んで、まっすぐ紫乃を見る。  勝手に人の血吸っといて、勝手に告白みたいな真似して。  俺の返事も、意見も、なにも聞かずに自己完結するなんて、ふざけんなって、思う。  それに俺、紫乃のこと、なんにも知らない。  吸血鬼だっていうのも、アップルパイが苦手なのも。  俺のことを、その、思っていた以上に好いてくれてると知ったのも、今だ。  だからもっと、  もっと。  ちゃんと、お前のこと、知りたいから。 「教えてくれよ、お前のこと」 ──これからも、そばに。

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