1 / 5

第1話 純血種のメリット? そんなもの、ないよ。

 2種類の増殖方法があるのだと言う。ひとつめはいわゆるセックス。普通の人間と変わらず、卵子と精子の結合によるものだから、女性体と男性体の身体的接触が必要だ。むろん体外受精といった方法もないわけではないのだろうが、それを試した者はおそらくいない。何故ならふたつめの方法があるからだ。  血液感染。  人間が作った怪奇映画でお馴染みだ。処女の細い首に牙を刺し、その血をすする。実際は処女には限らない。男でも女でも、吸われたほうの体は遺伝子レベルで変化を遂げて、やがて一族と同じ体質になる。血を愛し、闇に生きる怪物(モンスター)――吸血鬼に。  ただし、後者の方法で生まれた、いわば「後天的吸血鬼」の遺伝子は、次世代へは引き継がれない。一代限りだ。一方、性行為(セックス)によって生まれた子の場合には継承される。その差がどうして生まれるのかは、吸血鬼一族の中でも長年研究が為されてきたが、未だ解明されていないらしい。そして、両親共に「先天的吸血鬼」の間には何故か一人しか子が生まれない現象も謎のままだ。そうして生まれてきた子は「純血種」と呼ばれ、みな美しい容貌をしており、500年前後の長寿であるという。仮に半分の血でも、継げばそれなりの美貌と長寿を得られるとあって、数少ない彼らは一族の中でも殊更に大切にされている。 ……のだが。 「純血種のメリット? そんなもの、ないよ。」  愛斗(まなと)は事後の乱れた姿のままで、裕太に言った。裕太はきちんとシャワーを浴び、糊の効いた白いシャツを着て、しっかりと折り目のついた黒いズボンに右足を入れるところだった。 「今、そうしていられるのがメリットだろ。仕事もしないで、悠々自適の生活。」裕太が言う。 「したい仕事ができるならそうするさ。」愛斗は横たわったまま、煙草に火を点けた。 「寝煙草はよせって。」 「はいはーい。」愛斗は、いくつもの羽根枕を重ねたものを背に置いて、体を起こす。これなら寝てはいない、座っている、という屁理屈だろう。それから、煙草の煙を吐くついでのように言った。「俺はここに閉じこめられてるようなものだろ。母親の腹の中にいる時から、結婚相手まで決まってて。」 「……仕事、行ってくる。」裕太は愛斗の言葉に返事をしないで部屋を出た。  裕太がさっきまでいたのは高層マンションの地下フロアで、そのフロアすべてが愛斗の部屋だ。普通の人間なら最上階が最高に良い部屋なのだろうが、陽の光が大敵の愛斗にとっては、この地下室が最高の環境だ。もっと言えば、このマンションごと愛斗の親の所有物で、いつかは愛斗のものになる。もっとも怪物は魔法使いではなく、この建物とて神秘の城ではない。一般的なコンクリート造りの建築物ではあるそれは、愛斗のものになる頃には朽ち果てていることだろう。その意味で言えば数百年その姿を保っていられる西洋の古城は、吸血鬼にとって悪くない物件だ。まだ健在の愛斗の両親も、100年程前にヨーロッパの某国にあった古城を買いとって移り住んだ。だから愛斗は、今ではこの広くて豪奢な地下フロアに1人で住み、親の不労所得だけで自由気ままに暮らしている身分だ。その暮らしぶりを幽閉と自嘲する愛斗だが、外部への出入りが禁止されているわけではない。太陽光のない夜や、嵐の日などはたまに外出して食事を楽しんだり映画を観たりはする。だが、地下フロアにはプライベートのトレーニングジムも、オーディオルームも完備されていたし、言えばすぐに好みの食事を作って持ってくるシェフも近くにいるから、なんとはなしに日がな一日漫然とそこにいることが多かった。  シェフもその1人だが、このマンションには他にも一族の者が住んでいた。夜型の生活スタイルが共通していることをはじめとして、お互いの事情を理解しあっている者同士で助け合いながら、コミュニティを作っているというわけだ。裕太もかつてはこのマンションの住人だった。だが、8分の1しか吸血鬼の血を引いていない裕太は、逆に疎外感を味わうことのほうが多く、親の店を継ぐのを機にここを出て、今は1人暮らしをしている。その「親の店」もまた夜に営業するバーであり、常連客には親族も何人かいる。結局のところ、望むと望まざるとに関わらず、一族の世話にならざるを得ないのだった。  人間の住民もいる。彼らはこの地下の部屋の存在を知らない。正確には、地下2階があることを知らない。地下1階はマンション住民の駐車場になっているが、更にその下にも部屋があり、そこにオーナーの息子である、年若い純血種の吸血鬼が住んでいることは、一族内の秘密だった。シェフも裕太も、愛斗の部屋に行く時には人目に付かないところにある専用の直通エレベーターを使う。今日もそれを使って出入りした裕太だった。  そのエレベーターを出ると、マンションの裏手に抜けられる。裕太はそこでマンションを振り返り、ついさっき見た、しどけない姿で煙草をふかす愛斗を思い出した。そして、今度はそれを振り払うかのように向きを変え、店に向かって大股で歩きだした。  小さい頃はあんな投げやりな奴じゃなかった、と裕太は思う。最近は特にその思いを強くする。その理由は、2年近く前に再会した、小学生時代の同級生だ。 「いらっしゃいませ。」と接客モードの表情に切り替えた裕太が迎える。 「いつもの。」そう言って大夢(ひろむ)はカウンター席の一番端に座る。すっかりそこが定位置だ。  大夢こそが、その同級生だ。彼は狼男のクオーターだった。物心ついた時から同族に囲まれて育った裕太と違い、大夢は母親以外の同族に会ったことがないと言う。その母親も何年も前に亡くし、直後に人間の父親も喪い、それからずっと孤独なのだと大夢は語った。  狼男の話も、同じ怪物(モンスター)ということで、一族の年長者から話を聞かされたことがあった裕太だった。それによれば狼男も純血種なら500年ほどの寿命を誇り、また強靭な肉体と高い身体能力、優れた五官、時に嗅覚と聴覚を持つと言う。だが、元は群れで生活していたはずの彼らは、人間社会に馴染んでいこうとする者と、獣に変化した時のことを考えて慣れ合うべきではないとする者とで反発し、次第に散り散りになってしまったそうだ。  その結果として、大夢のように、ろくに自分の出自も生態も知らないままに、人間社会に放り出される者もいるというわけだ。 ――俺は、大夢(こいつ)が自覚する前から、こいつが狼男だと分かっていたけれど。

ともだちにシェアしよう!