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第5話 初めて抱きしめた気がした。

 マンションの裏手に出て、もう一度その建物を見た。地下に住まう若き吸血鬼を押さえつける高層の砦。でも、もう、愛斗はそのプレッシャーには負けやしないのだろう。  更に見上げた空には満月が浮かんでいた。満月の晩は会いたがらない大夢。半獣になった自分を見られたくないのだと言う。 ――あの日から。初めて淫蕩な香りを撒き散らしていたあの日からずっと、俺はおまえのすべてが見たくてたまらないと言うのに。  向かいの家の門柱の上にランタンが灯っていた。かぼちゃの形のそれは、トリックオアトリートに応じる目印のランタンだ。来る時にもそれを見て、今日がハロウィンだということに気付いた。そして、今日こそある決意をすべきだと思ったのだ。サヤカのことを問いただしたのもそのためだ。愛斗の返事に関わらず、合鍵は返すつもりでいた。  裕太は大夢に電話をかけた。どうしても大夢に会いたかった。今日なら、今日こそ、大夢のすべてを手に入れたかった。 「大夢。今夜は隠さなくていいんじゃないか? いくら妙な格好をしても平気な日だ。そのままの姿で来いよ。」  渋る大夢を説き伏せて、自分の部屋に来るように言った。愛斗の部屋とは正反対の、高層階の部屋。そこだって年不相応に立派な部屋なのだが、愛斗の部屋とは格段に違う。愛斗との格差と劣等感を大夢に知られたくなくて、この部屋で愛斗と同棲しているのだと嘘をついていた。そして、大夢の嘘にも気付いていた。 ――大夢が初めてバーに現れた日。あいつは、その鋭敏な嗅覚で俺の正体に勘付いた。覚醒間もないこどもの頃とは違い、成熟した狼男となった彼は、全身で俺に反応した。全身で俺を好きだと言ってるくせに、俺のために「ただのセフレ」を演じる大夢が、俺は愛しかった。  けれど、本当の大夢が見たかった。見せてくれたら、自分もまた、愛斗への劣等感を投げ捨てる勇気が出せる気がした。  やがて現れた大夢は、月明かりの下で裸体を晒した。獣の耳と尾を恥ずかしいとうつむく顔を上げさせてキスをした。もう何度もキスをした。何度も体も重ねた。でも、初めて抱きしめた気がした。 「好きだ。やっと言える。愛してる、大夢。おまえが俺に本当の姿を見せてくれたら言おうと思ってた。」  やっと言える理由はもうひとつある。愛斗とサヤカを自由にしてやりたかった。そうしなければ自分も自由になれない気がしていた。それが叶った今だからこそ。  大夢は、初めて自分からキスをくれた。「俺も、愛してる。」  クオーターの大夢は自分よりもはるかに長く生きていくのだろう。自分がいなくなった後でも、その孤独に耐えられるだけの幸せを与えたいと思う。次の愛する人を見つけられるだけの愛を注ぎたいと思う。愛斗が自分にそうしてくれたように。 ――俺も好きだったよ、愛斗。大夢に対する愛とは違ったけれど。  ハロウィンの夜に浮かぶ満月が、寄り添う吸血鬼と狼男を照らしていた。 完

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