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エピローグ

楼主の部屋に呼ばれたアオキは、その道のりを足早に歩いていた。 「お待ちください!アオキ様、そんなに急がれては転んでしまいます!」 男衆が必死になって止めようとするがアオキの耳には全く届いていない。 迅る気持ちを胸についには駆け出していた。 ようやくこの日がやってきたのだ。 この日をずっと待ち望んでいた。 あの日蜂巣で一年後の約束を交わした後、紅鳶とアオキは自ら楼主の元へ戻った。 禁忌を破り逢い引きをした事、互いが想いあっている事、それらを包み隠さず全て告白したのだ。 だから身請けの話は断りたいときっぱりと告げた。 淫花廓(ここ)商品(男娼)として、自分の身体できっちりと借金を返し、自由になりたいのだと訴えた。 身請けを申し出てくれた中丸には申し訳ないと思った。 アオキの為に足繁く通い、側におきたいと、幸せにすると言ってくれた事に対してどれだけ感謝してもしきれない。 それでもでもやっぱりアオキは彼を選ぶことはできなかった。 紅鳶を愛しているから。 彼と生きていきたいから。 だから、そのためならどんな罰でも受けるつもりだった。 どんな厳しい折檻でも、長期間座敷牢に入れられてもいい。 全てを覚悟の上で楼主の元を訪れたのだ。 しかし、楼主は不思議と二人を咎めはしなかった。 あれだけ引き離そうとしていたのにだ。 その代わり、ある条件を言い渡され各々の持ち場へ戻された。 その条件の一つが「一年間一番手を張り続ける事」だった。 アオキはしずい邸に戻ってからそれを死に物狂いで守った。 『言うは易く行うは難し』と言うが正にそうで、一番手を守るという事は並大抵の事ではなかった。 妬み嫉みは勿論だが、下からのプレッシャー、それに耐えるだけの心持ち、それまで知らなかった苦労や心労を散々味わった。 アオキが一番手になる前、長年そこに君臨していたアザミや、ゆうずい邸で一番手を張り続けていた紅鳶はきっと人知れず相当な辛苦を味わっていたに違いない。 そこに立って初めて彼らの気持ちがわかったのだ。 それでも何とか苦難を乗り越えることができたのはあの日の約束であり、紅鳶が淫花廓の同じ敷地内にいる事を感じることができたから。 ここだけの話だが、時折敷地内ですれ違う般若がさりげなくゆうずい邸での紅鳶の様子を教えてくれていたのだ。 それには本当に何度も心を救われた。 そのおかげで紅鳶に触れられない、顔も見ることもできない一年を何とか乗り越えることができたのだから、般若にも感謝してもしきれない恩がある。 ノックもなしに楼主の部屋に飛び込むと、こちらに気づいた紅鳶の姿をすぐに捉えた。 肩まであった髪は伸びていて、後ろで弛く結わえてあるが鳶柄の襦袢やその下にある逞しい身体はあのときのままだ。 「紅鳶様!」 アオキはその姿を確認すると再び駆け出した。 逞しい腕に飛び込むとそれまで堪えていた気持ちがどっと溢れ出す。 「あぁ、会いたかったです」 その温度や感触、存在を噛み締めながら囁く。 「俺もだ」 抱きしめられてそう返されれば、また胸がいっぱいになる。 こうしてまた彼に会えて、抱きしめられて、心から良かったと思った。 と、突然咳払いが聞こえてきて、アオキはハッと我に返る。 ここが楼主の部屋だということが頭からすっかり抜け落ちていたらしい。 呆れたような表情で煙管を揺らす楼主に気づいたアオキは咄嗟に謝った。 「す、すみません」 バツが悪くなり慌てて離れようとすると、その手を紅鳶にしっかりと掴まれる。 「もう離さない」そう言われているような気がしてまた胸が熱くなってしまった。 「これでお前たちは晴れて自由の身ってわけだ」 楼主は煙管の先から紫煙をくゆらせると、深く息を吐いた。 「やれやれ。全く前代未聞なこった」 ぶっきらぼうに言い放つものの、その表情がどこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。 「約束通り俺たちはやり遂げた。あんたが言っていた残りの条件もちゃんと果たすつもりだ」 紅鳶はアオキの手を握りしめると楼主を真っ直ぐに見据えた。 楼主の条件はもう一つあった。 それは紅鳶を次期楼主の候補にする、というものだった。 「当たり前だ。俺はぁな、てめぇらが次から次に面倒を起こしやがるからほとほと疲れちまった。このまま厄介ごとばっかりに頭悩ませてたらいつか禿げちまう。早ぇとここんなめんどくせぇ場所からおさらばしてぇんだよ」 「あんたがこれまで守ってきたものはちゃんと引き継いでいく。だが俺は俺のやり方であんた以上に淫花廓(ここ)をいい場所にしていくつもりだ」 着流しに懐手といういつものスタイルで話を聞いていた楼主は、紅鳶の言葉にくしゃりと顔を歪めた。 かなり一瞬だったが、それが笑顔だったことに気づく。 「言うじゃねぇか。だがな、楼主の仕事は男娼の比じゃねぇぞ。しばらくは研修期間だ。男娼(今まで)以上に覚えることが山ほどあるから覚悟しておけ」 楼主はいつものポーカーフェイスに戻ると、いつものようにぶっきらぼうに言い放つ。 「あの、俺は…」 アオキは不安げに楼主を見上げる。 次期楼主として、これから励んでいく紅鳶の邪魔だと追い出されてしまわないか不安だった。 楼主はじっとアオキを見つめるとふいと目を逸らした。 「好きにしろ…てめぇはもう自由だ。俺は金輪際口出しはしねぇ」 冷たい言い方に少し寂しくなる。 けれど当然だろう。 もうアオキは男娼ではないのだ。 すると、背を向けた楼主がポツリと溢す。 「……あぁ、お前らが逢い引きに使った蜂巣は今後も使う予定はねぇ。設備を整えりゃぁ十分暮らせるだろ。てめぇはせいぜいこいつがバテねぇように精のつく飯でも作ってやるんだな」 着物は全て置いてきた。 美しい帯も髪飾りも。 もうそんなものは必要ない。 これからは大切な人、一人だけのものであればいいのだから。 終わったと思っていた人生が今再び芽吹きだす。 そして花を咲かせるのだ。 この淫花廓という場所で。 「アオキ」 名前を呼ばれ、顔を上げると両手を広げる仕草で来いと促される。 アオキは微笑むと真っ直ぐにその腕の中に飛び込んだ。 愛しい人の香りと存在を胸いっぱいに吸い込みながら、「生きている」ことを噛みしめる。 「愛している」 「俺もです」 固く抱き合う二人の頭上で(とんび)が祝福の鳴き声を響かせていた。 end.

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