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第1話

「おい、町田ひなた。何、ボーッとしてんだ?」 荒谷直樹の顔が、急に目の前に近づいて、僕はびっくりする。 勢いで椅子からずり落ちそうになり、慌てて座り直した。 「なっ、何?」 「何じゃねぇよ、手、止まってんだろ」 荒谷も腕を組み、向かいで座り直していた。 「早く書けよ。帰れねぇだろ?」 「あっ、ゴメン」 「相変わらず、トロいな」 当番日誌を机に広げて、手が止まったままになっていた。 「ごめん」 ズレた眼鏡を押し上げて、ボールペンを持ち直す。 荒谷の毒舌はいつものことだから気にしない。それよりもドキドキしていた。 僕は荒谷が好きだ。 そして、迷っていた。 今ここで告白するかどうかを。 荒谷と二人きりになれるチャンスは限られていた。 季節は9月の終わり。 来月には学園祭を兼ねたハロウィンイベントがある。 僕は荒谷と一緒に学園祭を回ってみたかった。 日直の当番が一緒になる今日がチャンスだと思ったけど、教室にはまだ何人か残っている。 ここでは無理そうだった。 「終わったよ」 日誌を閉じて、荒谷を見る。 「ミュウは元気?」 「ああ、元気にしてるぜ」 「今日、見に行ってもいい?」 荒谷は無表情で沈黙したのち。 「いいぜ」 ぶっきらぼうに答えた。 「やった!じゃあ、日誌を出して来るから、正門の所で待ってて」 ミュウとは僕が拾った子猫だ。 登校途中に段ボールの箱に入れられて、鳴いているところを見つけた。 真っ白で、ふわふわの毛をした青い瞳の可愛い子猫。 飼ってあげたいけど、僕の家はアパートで飼えない。 このまま放置したら死んじゃう。 どうしよう? 困った僕に声をかけたのが荒谷だった。 「どうかしたのか?」 荒谷は僕の状況を見て、あらかた察したみたいだった。 「飼えないなら、初めから見て見ないフリが鉄則だ。中途半端な優しさが一番酷だろ」 荒谷の言うことはもっともで、反論の余地がない。 「俺が飼ってやるよ」 荒谷は僕からひょいと子猫を取り上げた。 「えっ?荒谷が飼ってくれるの?」 びっくりする僕に背を向けて、荒谷は学校とは反対の方向に歩き出す。 「ちょっと待って。どこ行くの?」 「コイツを連れてウチに帰る」 「じゃあ、僕も行く」 「真面目な厚ぶちメガネは授業に出ろよ」 「一緒に行きたい」 僕は食い下がった。 「……勝手にしろ」 足早に歩く荒谷のあとを、僕は小走りでついて行った。 まさか、荒谷が飼ってくれるなんて。 子猫を可愛いがる荒谷は、普段見ることのない、優しく穏やかな表情をしていた。 そんな彼の顔を見て、僕は急に胸が高鳴るのを押さえられなかった。 子猫の名前は、荒谷が僕につけさせてくれた。 僕はその子猫にミュウと名付けた。 荒谷は待ってくれていた。 並んで歩いても、僕たちに会話はほとんどない。 好きなのに、苦手で。 近づきたいけど、近づけない。 僕と荒谷には因縁がある。 小学6年生の時、僕は荒谷のグループにいじめられていた。 靴を隠されたり、上靴の中に砂を入れられたり。殴られたり蹴られたりはなかったけど、イタズラ的なものは日常茶飯事だった。 荒谷は頭が良く、スポーツもできてカッコ良かった。僕は荒谷に憧れてたから、余計にショックだった。 約一年続いたいじめは、中学に入ってからピタリとやんだ。 なぜかはわからなかった。 荒谷ともクラスは一緒にならなくて、廊下ですれ違っても絡まれることはなかった。 僕はホッとしていた。 荒谷と再び関わりだしたのは、高校生になってからだ。 入学してすぐの頃、僕は他校の生徒に絡まれてカツアゲされそうになった。 そこに現れたのが荒谷だった。 まるでヒーローみたいに僕を助けてくれて。 その姿がカッコよかったから、荒谷のことが気になり始めたんだ。 二年生になり、荒谷と同じクラスになった。 荒谷はやっぱり以前とは違っていた。 僕が不注意でばらまいたプリントを拾ってくれたり。重い荷物を持ってくれたり。 嫌みな言葉は残しても、さりげなく僕を助けてくれる。 意地悪だけど優しい荒谷を、僕は好きになっていった。 その極めつけがミュウとのことだった。

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