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雨意

   時刻は深夜一時を少し回ったころ。赤々と燃えるアパートを見て七瀬航二は大きなため息をついた。入居一日目にして無一文、宿無し。全く笑えない状況である。そもそも何故このような状況になっているのか、すぐそばで行われている事情聴取によって判明した。  原因は航二の隣の部屋に住んでいた男のタバコの不始末によるものらしい。その男はその日、訪ねてきた知人と部屋で飲んでいたが、些細な言い合いがヒートアップし、殴り合いの大喧嘩に発展。その時ふかしていたタバコを部屋の中に投げ捨てて殴り合いをしていたらしい。当然、タバコの事など頭の片隅にすらなく、そのまま部屋までヒートアップ。本当に全く笑えない。  その時航二は自分の部屋で寝ていた。引っ越してきて一日、荷物の整理に疲れた身体は重く、ベッドに沈むように眠っていた。しかし、突然の大きな振動で目が覚めた。地震かと思ったがどうやら違う。ベッドを寄せてある壁の向こうから大きな振動が伝わってきているのだと分かったからだ。それからは耳が悪い航二にもかすかに聞こえるほどの怒鳴り声や、ガラスが割れる高い音などが絶え間なく響いてきた。  そういえば夕方に引っ越しのあいさつに伺った時、隣人はその筋っぽい雰囲気があったなと思い出し、眉をひそめた。なるべく関わりたくないタイプだ。もしも、このようなことが毎晩続くのなら大家さんに相談してみようか。隣の部屋の人がうるさいので何とかしてください、と?いや、自分にはそんな勇気はない。まして本人に直接物申すなど、たとえ心臓が十個あったとしても十個とも心肺停止を起こす謎の自信がある。仕方ない、その時には引っ越そう。そのためにバイト頑張ろうと決意した時である。  なんだか部屋の中が煙っぽいことに気が付いた。思わず咳込む。もしかしてこれはまずい状況なのではないのか。我に返った航二は片手で口と鼻を覆った。が、しかし、一体何をどうすればいいのかわからない。とりあえずテーブルの上に置いておいた補聴器を左耳につけた。ついでに、そのそばに置いてあったスマフォも手に取った。とにかく外に出ようと思い、裸足のままスニーカーをひっかけて勢いよく玄関を開けた。するとむせ返るほどの煙と、すぐ右側から燃えるように熱い熱を感じた。すぐに横を見たらなんとまあ本当に燃えていたわけである。  慌てて避難してほどなく、消防車やら救急車やらが到着して今に至る。  幸い、どこにも怪我や火傷などはなかったが、一応救急隊員に軽く診てもらい、警察とも少しだけ話をしているうちに消化が完了していた。アパートは航二の部屋の隣の部屋を中心に半焼。もちろん航二の部屋も黒焦げだ。こうして航二は無一文の宿無しになった。  さて、これからどうしようか。  高校卒業後、二年間の浪人の末にようやく東京の国立大学の医学部医学科に合格し、びくびくしながら上京してきた。幼い頃から人見知りで引っ込み思案でネガティブという見事なコンボを決めている航二。地元ですら友人などゼロに等しいのに、まして見知らぬ土地でこんな時に泊まらせてくれる友人などいるはずがない。  両親に助けを求めようかと考えたが、航二の両親は現在仕事の都合でアメリカにいるため、今すぐどうこうできそうにない。それに七瀬家は“自分の事は自分で”を家訓にしているため、たとえ両親が日本にいたとしても助けてくれるか怪しいものである。良くも悪くも昔から放任主義だったのだ。親戚は東北地方の田舎に固まっているため、こちらも今すぐは期待できそうにない。  航二のことを知っていて、かつ今すぐ寝床を提供してくれそうな存在として唯一思い浮かぶ人物は、航二の実兄である航太だけだ。

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