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プロローグ

 蜂巣(ハチス)、という建物がある。  六角形の、さして広くもない空間である。  床は、畳敷かフローリングかが客の好みで選べるシステムだ。それぞれに応じて、(しとね)が布団かベッドになる。  今日はフローリングだ。磨き上げられた床を、アザミはハイヒールの踵で踏んだ。  女物のパンプスの色は赤だ。  アザミには赤がよく似合うと言われる。  白くすんなりと伸びた足の間には、今日の客がうずくまり、熱心にアザミの陰茎をしゃぶっていた。  犬のようなその舌の動きがくすぐったくて、アザミはふふっと吐息する。  蜂巣の壁の一辺には、丸窓があり、そこから庭の池がよく見えた。  十字の格子の向こう。青空を羽ばたく鳥がいる。俯瞰の眺望からは、敷地内に点在する蜂蜜色の屋根をした蜂巣の連なりは、さながら本物の蜂の巣のように見えるのだろうか?  ばさり、というその羽音が聞こえてきそうで、アザミは窓から視線を引き剥がした。  蜂巣の中には、アンティークなランプとベッド、それから備え付けの小作りな箪笥しかない。  いつ来ても殺風景な部屋だ。  まぁ、蜂巣の用途が、『やる』為だけの部屋なのだから、それも已む無し、というところか。  バスルームとトイレ用のスペースも確保されている為、外からは綺麗な六角形になっているが、内側から見ると蜂巣は(いびつ)な形をしているのだった。  空を羽ばたく鳥の姿を見たからだろうか。  少し冷めた気分になったアザミは、小さな声で、呟いた。 「たすけて」  空気すらほとんど震えない、小さな小さな呟きだ。  しかし、アザミがそう言った途端。  物凄い勢いで外から蜂巣の扉が開かれた。  アザミの足の間で、客がギョッとしたように飛び上がった。  部屋に乱入してきたのは、怪士(あやかし)の能面を着けた、巨躯の男であった。  彼はお仕着せの黒い装束を纏い、筋肉で鎧った太い腕を振りかざし、客をアザミから引き剥がした。  アザミはたまらなくなって、ふふっと笑いを漏らした。  ふ、ふふっ。  ホクロが色っぽいとよく言われる口元を、ほころばせて。  肩をくつくつと揺らす。 「……アザミさま。困ります」  その体軀に相応しい低音で、黒衣の男がそう言った。  表情は、面に邪魔されてうかがい知ることが出来ないが、声同様に苦いものなのだろうことは知れた。  くくっ、と喉奥で笑って。  アザミは細い指先を能面の顎に這わせた。 「悪かったね、怪士(あやかし)。おまえたち男衆(おとこしゅう)を試したわけじゃないんだ。うっかり、セーフワードを口にしてしまった」  赤い唇を吊り上げて笑うアザミへと、嘆息が返された。 「あなたのうっかりは、これで何度目でしょうか」  男の精一杯の皮肉に、アザミは、うつくしい微笑を向ける。 「ふふ……。その僕のうっかりに、毎回律儀に付き合う男衆は、誰なんだろうね」  伸ばした髪を、さらりとかきあげて。  アザミはハイヒールの脱げかけた足を、怪士(あやかし)の面へと差し出した。  男の大きな手のひらが。  アザミの、足首を捉えて。  恭しいまでの仕草で、赤いハイヒールが足に履かされた。  男の手の熱は。  アザミのこつりと浮き出たくるぶしの骨の辺りに。  いつまでも残るかのようだった……。

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