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エピローグ

 蜂巣(ハチス)、という建物がある。  六角形の、さして広くもない空間である。  床は、畳敷かフローリングかが客の好みで選べるシステムだ。それぞれに応じて、(しとね)が布団かベッドになる。  今日はフローリングだ。磨き上げられた床を、般若(はんにゃ)は赤い鼻緒の丸下駄で踏んだ。 服装は、黒の(つむぎ)だ。緋襦袢の赤が、大きく(はだ)けた下半身から覗いていて、エロティックだった。  艶めかしくも白い足の間には、若い男がうずくまっている。  彼は熱心に般若の陰茎をしゃぶっているのだ。  犬のようなその舌の動きがくすぐったくて、般若は面の下でふふっと吐息した。 「全然ダメ」    男の髪を細い指で掴んで、般若が己の下半身から引きはがした。  ちゅぽん、と唇から抜け出したペニスは、中途半端に勃起して、唾液でぬらぬらと濡れている。 「そんな舌遣いじゃあ、女だって濡れやしないよ。そこに座れ」    立ち上がった般若は、自分と入れ違いに男をベッドへと座らせた。  この青年はゆうずい邸の男娼見習いだ。  しずい邸の男娼であれば、物慣れなさも魅力のひとつだが、ゆうずい邸ではそうはいかない。お粗末な性技を披露されては、淫花廓(いんかかく)の名が廃る。  般若は若草色の着物の下半身へと手を伸ばし、そこから青年の男根を探り出した。  それに指を絡めて数度扱いてやると、みるみるうちに硬く張りつめる。 「うっ……」  呻き声を漏らした彼は、呆気ないほどに簡単に般若の手淫に翻弄された。  般若はその初心(うぶ)な反応に笑みを漏らして、己の面を少し上にずらし、赤い唇を露出させた。口元にあるホクロが、ひどく淫靡であった。 「いいかい。口淫はこうやってするんだよ」  甘く、囁いて。  ぴちぴちに張りつめた若鮎のようなペニスが、般若の口の中に招き入れられる。  すぐにねっとりと絡みついてきた舌の、その的確な動きに。  青年の腰がかくかくと揺れた。 「うぁっ……、や、やばい……出るっ」 「我慢しろ」  横咥えにした欲望を舐めながら、般若が素っ気なく命じて。  じゅぼじゅぼと先端に吸い付いた。 「あっ、だめ、です、出るっ、出るっ」  般若の頭を、青年の両手が掴んだ。本能的に、相手を逃がすまいとするかのように、ガシっと頭部を固定して。  青年が腰を突きあげた。  喉奥まで入り込んできた男根に、噎せることもなく。  むしろ喜ぶようにそこが締まって。  青年は呆気なく、般若の口の中で果てた。  ごぽ……と流れ込んで来る精液を飲み込んで。  若いペニスの孔に残る白濁まで啜ってやり、般若はそこから顔を離した。 「あーあ、だらしない」  ベッドに背中を着けて息を荒げている男娼を、立ち上がった般若が能面の位置を戻しながら見下ろして、呆れた吐息を漏らした。  黒い着物の裾を整え、肩の辺りまで伸ばされた髪を手櫛で軽く梳かして、 「次までに上達してなかったら、おまえは馘首(くび)だからね」  と般若がそう言った。  青年は般若のほっそりとした後ろ姿を、抑えきれない欲望とともに凝視した。    能面に黒衣、というのは男衆に共通するものだが、この般若だけはなにか違う。黒衣だって、黒子のような衣装の他の男衆とは違い、1人だけ女物の着物を着ているし、剃髪もしていない。怪士(あやかし)面の男たちはみな筋骨隆々としているが、この般若は(たお)やかに細かった。  おまけに……男娼に仕える立場の男衆にあるまじき、上から目線の命令口調だ。  しかもそれがしっくりと馴染んでいる。 「般若さま」  だから青年はつい、彼をそう呼んでしまう。 「般若さま。もっと、俺に教えてください」  ベッドから遠ざかろうとする白い手首を掴んで、強引に引き戻し。  青年は般若をマットレスへと押し倒した。  どさり、と細い体がシーツの上に横たわる。欲望に突き動かされるまま、青年は我慢できずに般若に()し掛かった。 「もっと、全部」  組み敷いた般若の着物の(あわせ)に手を掛けて。  青年がそこを慌ただしい仕草で左右に開いた。  新雪にも似た肌が露わになり、赤く熟れた胸の飾りが、青年の劣情を駆り立てた。若さ故に、先ほど般若の口で射精したはずのペニスが硬さを取り戻してゆく。  はぁ、と熱っぽい息を吐き、青年が般若の首筋にてのひらを這わせた。 「最後まで、全部、俺に教えてください」  般若が体を捩った。  その腰が艶めかしいラインを描く。  乱暴に引き倒されたせいで少しずれた能面から、僅かに覗いた右目が、妖艶に細められた。 「ふ、ふふっ……」  甘やかな笑い声とともに、 「ダメだよ」  と青年を拒んで。  般若が面の位置を戻した。  鬼女の面を着けたその姿は、不気味なはずなのに、ひどく官能的で。  いまさら後には引けないと、青年が(はだ)けたその胸に顔を寄せてくる。 「僕はおまえのために、ダメだと言っているのに……」  ふぅ、と頭上で吐息が聞こえたが、構わずに木の実のような乳首に舌を伸ばす。  レロ……と舐め上げると、般若の肩がピクリと揺れた。  美味しそうな粒を、口に含んでちゅるちゅると吸い上げる。「あ」と般若からあえかな声が漏れた。  感じているのだ。  青年が、般若を感じさせているのだ。  奇妙な高揚に支配され、青年は乳首への愛撫を続けようとする。  そのとき。 「怪士」  般若が、色香の滴るような声で、そう呟いて。  その直後に、青年の頭がガシっと掴まれた。  何事かと驚いて振り仰ぐと、黒衣の男が岩のようにそそり立っていた。 「なっ! は、離せっ」  青年が腕を振り回して抵抗したが、怪士の面の男は、片手で軽々と青年をベッドから引きずり下ろし、ブン、と無造作に放り投げた。  たたらを踏んだ青年が、よろめいて床に倒れる。  信じられなかった。  男の怪力もそうだが、なにより、男衆が男娼(見習いではあるが……)に手を挙げるなど、あってはならないことだ。おまけに呼ばれもしないのに、独断で蜂巣に上がり込んでくるなんて!  「おっ、おまえ、こんなことしてっ」  無様に床に倒れ込んだ青年は、打ちつけた膝をさすりながら、なんとか立ち上がり男衆へ詰め寄った。 「こんなことしてっ、いいと思ってるのかっ」  しかしその巨躯の男は青年を一顧だにせず、般若の乱れた着物を繊細な仕草で整え、その細い体を鍛え上げた両腕に抱え上げた。  般若の白い腕が、自然な流れで男の太い首へと回る。 「ふ、ふふっ……。だからダメだと、言っただろう? この男衆は僕の専属で……僕をまもるためならなんでもする」  しなやかな指先が、いとおしむように男衆の短い髪を撫でた。 「僕を犯すときは、殺される覚悟をしてからにするんだね。これに懲りたら、おいたをするんじゃないよ」  ひらり、と手を振った般若が、怪士を促した。  青年の視界から般若の姿を隠そうとでもするように、男が広い背中を向けて、ゆっくりと蜂巣を出て行く。    ひとり残った青年は、茫然とそれを見送ったのだった……。 「また(わけ)ぇのを(たぶら)かしやがったな」  怪士(あやかし)に抱かれたままゆうずい邸までの石造りの廊下を移動していると、前から来た男にそう声をかけられた。  着流しに煙管(キセル)といういつものスタイルで、楼主が渋面を作っていた。 「僕に教育係を任せたのはあなただ。僕は、与えられた仕事をしただけだよ」  鼻で笑って、『般若(はんにゃ)』はそう答えた。  アザミ、という男娼はもう居ない。  代わりにアザミは、般若となった。  般若として与えられた仕事は、しずい邸の男娼の相談相手や新たな男娼の選別、そして、ゆうずい邸の男娼見習いの教育であった。  他の般若とは顔を合わせたことがないので、何人がこの役割を担っているのかアザミは知らない。    男娼見習いの教育のため、ゆうずい邸を訪れることが多くなったアザミだったが、しずい邸で雌の役割をしていたからだろうか、アザミの存在はゆうずい邸の男たちを刺激した。  しかしアザミに危険が迫ることはない。  アザミには常に、怪士の面の男衆が付き従っているからだ。  誰よりも強いこの男衆は、アザミの専属だ。周りからもそうとわかるように、『怪士』の中ではこの男だけが蓄髪をゆるされている。    「骨抜きにしろとは言ってねぇだろうが。俺は、あいつを使えるようにしろ、と言ったはずだ」 「ふふ……あの子はたぶん、向いてないよ。自分の快楽を追うことばかり考えてるしね。しかも早漏。金を払ってまであの子に抱かれたい客なんて、居るとしたら、よほどの物好きだね」  アザミの言葉に、楼主がつまらなそうに鼻を鳴らした。 「それを仕込むのが手前(テメェ)の仕事だろうが」 「仕事をする前に、僕の男衆が止めに来てしまった」    チッ、と舌打ちをして、楼主が指に挟んだ煙管を、怪士へと突き付けた。 「おまえも、こいつを甘やかすんじゃねぇよ。しっかり働かさねぇと、おまえらの借金は減らねぇぞ」 「ですが、あの方はアザミさまを手荒に扱われたので」  怪士が、この男にしては珍しく楼主への反論を口にした。  その言葉を聞いて、面の下でアザミは思わず笑ってしまう。    「まだその名前で呼ばせてんのか」  少し呆れたように、楼主がそう言って肩を竦めた。  アザミ、という名前の人間は、もう淫花廓(ここ)には居ない。けれど怪士は2人きりのときはアザミを頑なにそう呼んだし、この男だけが口にする呼び名も悪くないと思えて……アザミは敢えてそれを咎めていないのだった。  いや、アザミをアザミと呼ぶのは、この男だけではないか……。 「マツバなども、いまだに間違えて僕をそう呼びますよ」  アザミがそう応じると、楼主の唇にも苦笑が浮かんだ。  アザミのいまの部屋は、しずい邸の一室で。二間続きのそこで、怪士と寝起きしているのだが、その隣の部屋がしずい邸の男娼の相談室として使われており、マツバなどがたまにアザミを尋ねてくるのだった。  とん、と怪士の肩を叩くと、心得た男がアザミの体を降ろしてくれる。  カラン、と下駄の音を鳴らして、アザミは楼主の前に立った。  般若の面を、するりと外して。  男の前に、素顔を晒す。  ここには三人しかいないので、楼主も咎めはしなかった。  流れてきた風が、アザミの髪を揺らした。  背中まで伸ばしていた髪は、いまは肩の上までばっさり切っている。けれど夜に怪士が、アザミの髪を惜しむように撫でてくるので、また伸ばしてもいいかと思っていた。   「甘やかすな、とあなたはこの男に言いましたが」  アザミは少し、重心を後方へと傾けて。  背後の男に、背中を預けた。  怪士の逞しい胸が、アザミの体重を受け止めている。 「甘えるのも悪くない、と、最近はそう、思います」  以前のアザミならば、絶対に口にしなかった言葉を、声に出して。  アザミは唇をほころばせた。    楼主が眩し気に目を細め、ふん、と鼻を鳴らした。 「しあわせそうなツラしやがって。借金分はちゃきちゃき働けよ」  煙を吐き出した口で、そう言って。  楼主はアザミたちが来た方角へと、ゆったりとした歩みで去って行った。  アザミに骨抜きにされたというあの若い男娼を、叱りに行くのだろう。  アザミは楼主の背中を目で追って……点々と見える蜂巣を眺め、視線を巡らせて並び立つしずい邸とゆうずい邸を見た。  ここが、アザミの世界のすべてだと、思う。  アザミは後ろ手に回した指で、男の手を握った。  すぐにちから強く巻き付いてきた指に、しっかりと手首を掴まれた。 「俺も、あなたに甘えていただくのは、とても嬉しいです」    訥々とした話し方で、怪士が囁いてくる。  この男はアザミを喜ばせる天才だな、とこみあげてくる可笑しさに。  アザミは空気を揺らすようにして笑った。    『淫花廓』という名の、狭い鳥籠の中で。  アザミはこれからも生きてゆく。  アザミをまもると言った、この男とともに……。          淫花廓 ~アザミの章~ END    

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