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花標・7
少し頭を冷やせ、と三椏が苦く言って、オレは部屋に追い返された。
だが、自分で言っておきながらそれはすっと胸に落ちた。
―――そうだ、はじめからそうすればよかったんだ。
蔓が記憶を失ってからずっと、オレは恋仲であった蔓は死んだのだと自分に言い聞かせてきた。けれど目の前には確かに蔓が存在していて、心はいつも悲鳴を上げていた。
蔓が自由になってこの屋敷から出て行って、手の届かないところにいけば、この状況は変わるだろうと思っていたが、きっと結果は同じかもしれない。
恋人である蔓は死んで、なぜあの夜庇われたオレはのうのうと生きている?
せめて任務で命を散らしたかったが、それも許されないなら致し方ない。ここで絶つのも悪くはない。むしろそれがいいとさえ思えた。
***
翌日、屋敷の者全員に茉莉の処遇が伝えられた。
見せしめの意味もあったのだろう、裏切りは決して許されないと。
当然、それを聞いて蔓は黙っていなかった。
「茉莉!!」
隙をついて牢を飛び出し、暴れ回って大立回りを繰り広げる。記憶はなくても身体は覚えているのか、素早い身のこなしに皆なかなか止められないようだった。
そうしてあろうことか、蔓は御頭の部屋の前まで飛び込んできた。
「ここに茉莉はいないぞ」
万が一を考えて先回りしていたオレと対峙する蔓。
「辛夷!お前まで茉莉を見捨てるのか!?」
「何を言っている」
オレは内心焦っていた。
たまたま御頭は部屋にいなかったが、この騒ぎを聞きつけてきっともうすぐやって来る。
そうなれば蔓は問答無用で切り捨てられてしまうだろう。その前にどうにかしないと。
騒然とした中、視界の端に御頭の姿を見る。
―――どうせ切り捨てられるなら、いっそオレが。
オレは蔓の前に飛び出ると、その頭上めがけて勢いよく得物を振り上げた。
鞘を抜く勇気はなかった。それでも。
ごっ、と鈍い音が響いて、いやにゆっくりと蔓が膝をつく。
「くそ、いってえ、…あぁ?」
「…蔓?」
「取り押さえろ!!」
「おい、よせ止めろ!」
ようやく追いついた者どもが蔓に飛びかかろうとして、オレはなんとか止めようと大声を上げる。その一番後ろからゆらりと御頭が現れた。
―――そしてオレは目を疑う。
「御頭、申し訳ありませんでした」
「…顔を上げろ、蔓」
片膝をついて頭を垂れていた蔓は、御頭の低い声にゆっくりと顔を上げる。
その目はオレがよく知っているものだった。
「戻ったのか」
「ああ、全部思い出した」
「茉莉は?」
「は、どうだっていいあんなガキ」
言い捨てた蔓の横顔は見覚えのある傲慢なもので、どきりと心臓が跳ねる。
周囲もひどく困惑しているようだった。
「蔓の記憶が戻ったのなら何の問題もないな。よかったよかった!」
御頭はあっさりと周囲に解散を命じる。
「辛夷にぶち殺されかけたんだ、蔓への仕置きは充分だな」
オレへ向けてにやりと笑うと、そのまま屋敷の中へと入っていく。
「え…?」
「辛夷」
呆然とするオレを蔓はまっすぐ見つめていた。
「辛夷」
「蔓……?」
それはオレのよく知っている男だった。
記憶を失った蔓ではない。
「は、よかった…!」
安堵からがくりと膝の力が抜ける。
「よかった、本当によかった…っ」
蔓の記憶が戻った。
よかった、恋人が帰ってきた。
蔓の記憶が戻った。
よかった、これで蔓が死ぬことはない。
「ごめんな、辛夷。苦労かけた」
「蔓ぁ…!」
ぐっと蔓に抱き寄せられて、胸の奥から熱いものがこみ上げる。酸欠になったように頭がくらくらした。
そうしてオレは情けないことに本当にそのまま気を失ってしまった。蔓の広い背中にぎゅっとしがみついてから後のことを、なにも覚えていない。
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