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花乞・9

ぼくが気を失っていたのは、ほんの短い間だけだった。 けれども医務室で横になったまま部屋を出ることができない。辛夷様がそこでずっと見張っているからだ。 「あの、辛夷様?」 「なんだ」 「いや、その、ずっとこちらにいらしてて大丈夫なのかなって…」 「オレを探していたんじゃなかったのか」 「だからその、先日のお礼が言いたくて、」 目覚めてすぐに、それこそ辛夷様の姿を認めて一番に薬の礼は伝えた。 告げてしまえば後はなにも話題がなくて、二人きりの空間はただ無言の時間が続く。正直気まずい。 困ったなあ、と眉を下げて布団の中で寝返りを打つ。それを何度繰り返しただろうか。 外は日が沈み薄暗くなり始めている。 「悪いな、邪魔するぜ」 突然襖を開けて入ってきたのは蔓様で、助かったと胸を撫で下ろすのも束の間。その手に提げた行灯の火にびくりと身体が竦んだ。 「清白?」 ああだめだ、辛夷様が呼んでいる。はやく返事をしないと。 なのにぼくの身体はがたがたと震えるばかりで、視線は蔓様の持つ火から外れない。嫌な汗が背筋を流れる。 「…清白」 そのとき、蔓様の後ろから大好きな声が聞こえた。 大きな身体を屈めて部屋に入ってくる美しい人。 「えんじゅ、さま」 「大丈夫?」 その姿を目にして、ようやく息をすることができた。 大股でぼくの傍までやってきた槐様は、大きな手でそっと頬を包んでくれる。うるうると涙が溢れそうになり、不躾だけれど槐様のその手に縋りついた。 槐様は不思議そうにぼくの頭をゆるく撫でて、蔓様を振り返ると合点がいったように頷く。 「そう。清白、火が怖いのか」 「す、みません…」 「なにも言わないから平気なのかと思ってた」 下を向くとぱたぱたと涙が落ちる。 そう。あの事件以降、ぼくは火が怖くて仕方ない。 だが不思議なことに、槐様といっしょにいるときはなにも感じなかった。火を扱うときは槐様が慣れた手つきで先にやってしまうからだとばかり思っていたが。 背中に腕を回され、槐様の胸に引き寄せられる。 「食事の支度もなにも普通にこなしているから気付かなかった」 「槐様がいると思うと大丈夫なんです」 表情はあまり変わらないし、言葉も短いが、その腕があたたかいことはよく知っている。槐様となら食事時に囲炉裏を囲むこともできた。 頤を掴まれ、頬を伝う涙を吸われる。 辛夷様と蔓様は視線をあわせて部屋を出ていった。 「槐様は責任を感じてぼくをお側に置いてくれたのでしょうが、本当にぼくにとって槐様は命の恩人なんですよ」 そっと広い背中に腕を回す。 ところがその腕はぎょっとしたような槐様に引き離されてしまった。 「ちがう」 肩を掴む槐様はなんだか苦し気に眉を寄せていて、自分の失言に気付く。 ああ、ぼくはなんて差し出がましい真似を。 「だからちがう、清白を連れていったのは責任感からなんかじゃない」 「え?」 「連翹にお前が勘違いしていると言われた。オレが仕方なく清白を受け入れていると」 焦ったような、困り果てたような口調の槐様に、ぼくはきょとんとする。 「もしやオレが隊長を降りたことも自分のせいだと思っているのかもしれないけど、それもちがう。単に清白を自分のものにしてしまいたかっただけだ」 「え」 「清白を愛しているんだ」 真っ直ぐ目を見ながらはっきりと告げられて息を呑んだ。胸の裡が震えて言葉にならない。 「槐様…」 「ただ、清白の意思も確認せずに連れ去るように囲ってしまったのは悪かったと思っている。清白には菘という想い人がいたのに…」 「…え?」 苦悩の表情を浮かべて目線を落とす槐様へ、間抜けな声が落ちる。 そんな憂い顔も美しいなとか、いつになく饒舌だなとか、どうでもいいことが頭に浮かぶ。 「いや、え、菘?」 「気付いていなかったと思うのか。清白は菘を想っているんだろう?」 「ち、ちがいます!」 いきなり大きな声を出したからか、槐様の目が丸く見開かれた。 そんな表情も珍しいなと思いながら、逃げられないよう白い頬を両手で捕まえる。 「そんな、ちがいます…。もちろん菘のことは憎からず思ってますけど、それはかわいい弟分だからで、決してそんな意味じゃありません!」 「…じゃあどうしてあんなに足しげく屋敷に通ってた?菘に会いに行ってたんだろう?」 「違います。あれも側仕えの仕事のひとつだと思っていて、槐様の手助けになればと…」 「頻繁な呼び出しは連翹の嫌がらせだよ。連絡があるなら伝令でも放てばいいんだ。なのに毎回、大変だろうに出掛けていくから、だからてっきり…」 ふい、と槐様が視線を逸らすから慌ててしまった。 「そんなこと絶対にありえません!ぼくが好きなのは槐様で!…っ、で、あの、その…大好きです…!」 秘めていた気持ちを勢いで告げてしまい、頬がかっと熱くなる。 ちらと見上げた槐様は花のように美しい満面の笑みで、うわぁと感嘆が溢れた。 「本当に?清白もオレのことが好き?」 「はい、好きです…」 まだ信じられない。これだけ美しくて凄い人が、どうしてぼくなんかを気に入ってくれたのか。

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