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花乞・10
外はもう暗いからという訳で、その日は屋敷に泊まることになった。
ぼくの部屋はもう片付けられてしまっていたが、槐様のお部屋はそのまま残されていたので、二人いっしょに休ませてもらうことにした。
『なんだか実家に帰ってきたみたいですね』と言ったら、槐様は微妙な顔をしていたけれど。
二組の布団はぴったりと隙間なく寄せられていて、それどころか槐様が繋いだ指先をぐいぐい引っ張るものだから、ぼくはほとんど槐様の布団に潜り込んでいる。
「清白の足が冷たい」とか言いながら脚を絡ませてくる槐様にくすくす笑う。
槐様はぼくの左手を取り、袖を押し上げて手首、肘、その先、と爛れた醜い跡を辿る。
思わず逃げを打とうとしたぼくは、その目を見てなにも言えなくなってしまった。
「あれは本当に質の悪い悪戯だった。清白が怪我をしたと聞いて、全員殺してやろうと思った。今もまだ許してはいない。」
瞳の奥が色濃くなって、いつも涼しげな表情の槐様があからさまに感情を昂らせている。
「清白は知らなかったかもしれないけれど、火薬はきちんと色で分けられていてね。同じ分量でも使う火薬が違えばまったく別のものが出来上がる。あのときおまえに指示を出した者はわざと威力の強い火薬を伝えていたんだ」
「…!!」
「おまえを貶めるためとか言っていた。馬鹿馬鹿しい、それがどれだけ危険なことかもわからずに」
炎術を操る槐様は当然その危険性も熟知している。
その点では、ぼくも自業自得なのだ。危ないものだと説明されていたのに、無知ゆえに安易に手を出してしまった。
なのに、槐様は。
「おまえが生きていてよかった、清白」
槐様はぼくの頬を撫でて噛み締めるようにそう言った。
「清白。先にも言ったけれど、オレはおまえに側仕えを命じた覚えはない、嫁に拐ったんだ」
「…はい」
「オレの奥さんになってくれる?」
「っ、はい!」
喜びに頬を紅潮させるぼくに、槐様はそっと唇を寄せてくれた。
***
翌朝、朝の支度を済ませたぼくは、同じく身支度を整えた槐様の髪を梳いていた。さらさらの長い黒髪は櫛を通す度に艶を増して、うっとりする。
「おはようございます、槐様」
入室の伺いを立てて部屋に入ってきたのは、火炎隊副隊長の薊様だった。
薊様はぼくたちを見て少し驚いたようだが、すぐに表情を緩めた。
「仲睦まじいようで羨ましい限りです」
「夫婦だからな」
槐様の言葉に照れてしまう。
「槐様、清白。この度の件、大変申し訳ございませんでした。この通りお詫び申し上げます」
薊様は膝をついて深々と頭を下げた。
「まったくだ。二度目はないと言っただろう」
「はい、すべて私の指導不足です。昨日の者はすでに仕置き済みですが、処遇については連翹様の判断となります。ご承知おきください」
「なんでだ。お前が決めればいいだろう」
「私は副隊長です。決断なら槐様がお願い致します」
「オレはもう隊長ではない」
「それを認めていない者が山ほどいるので、私では決断を下せないのです。ちなみに私自身も認めておりません。」
槐様と薊様はじりじりと睨み合う。
ぼくが口を挟む筋はないとわかっていても、ついぽろりと溢してしまった。
「また槐様が隊長しているところ、見たいなぁ」
二人の視線がばっとこちらを向く。
「…まぁ、隊長を続けたまま、茱萸のようなやり方もありか…?」
考え込んだ槐様の呟きに、薊様はぐっ!と拳を強く握った。
「どちらにしろ現場ではお前が長になるんだぞ、薊」
「もちろんでございます」
「ところでずっと気になっていたんだが、その椀はなんだ?」
ここまでの話の間中、薊様はずっと膝の上に持参した椀を乗せていた。
「ああ、清白が戻ってきているなら、美味い朝飯にありつけるかなと思いまして」
いい笑顔を浮かべる薊様に、槐様のこめかみがひきつる。
「ばかじゃないのか、清白がわざわざ作るわけないだろう」
「いいえ、いいんですよ。槐様の分のついでですから」
槐様を苦笑いで宥めて、揃って部屋を出ると、なんとそこには同じように椀を手にした辛夷様と蔓様の姿が。
「お前らもか…」と呆れる槐様になんだか可笑しくなってしまった。
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