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プロローグ
「ルナファイス、お前は本当に可愛いな」
愛する妻の最近の口癖に、俺はその日も、心の中で深くため息を吐いた。
(俺の事もかまってほしい)
俺、セオドリックの治める国ミスターヴに、幼い頃から恋焦がれていた相手を、やっと迎えることが出来たのは、今から三年前。
当時アルファだった現王妃アレクは、珍しい事に後天性でバース性が変わる存在であり、オメガへと変異した後すぐに俺の所へと輿入れをする事になった。
いくら恋焦がれても、アルファである男を正妃に迎えることなどできはしないと、もう手に入れることなど出来ないと、絶望するしかなかった長い長い日々は、あの日終わりを迎えたのだ。
輿入れには多少強引な手は使ったものの、最終的にはアレクは俺を受け入れてくれ、子を産んでくれた。
俺よりもアレクに似た男の子は可愛くて、俺はとても幸せだったが、欲望と言うのは限りが無いのだと、俺は今改めて思っていた。
「ああ、何故アレクは共に寝てくれないのだ」
執務室で書類を片付けながら、俺は独り言ちる。
子供と言うのは可愛いものであり、それは俺にとっても勿論愛する子である。
愛するアレクと俺の子供が可愛くないなどあり得ない。
ただ、ここしばらくのアレクと俺の生活を思い返すと、俺の心は沈んだ。
息子であるルナファイスが生まれてから、俺とアレクは寝所を別にしている。
いや、しているのではなく、されている、というのが正しいか。
俺は、同じ部屋でずっと過ごしたかったのだが、アレクが、子供の教育に良くないから、と別々にしてしまったのだ。
俺は大いに戸惑った。
王族の子育ては、基本的には乳母がするのが一般的であり、かく言う俺自身も、乳母によって育てられた。
それゆえに、アレクが子供に対して密接に接するのを見て、正直な所、驚いていたのだ。
アレクは元々は平民だった。
大きな商会の子供だったアレクだったが、ご両親の教育方針から、使用人の仕事は最低限の屋敷を維持するもののみであり、礼儀作法などはご両親からみっちりと仕込まれたと言う。
「まぁ、母さんは殆ど何もしてないけど、ね」
そう苦く笑っていたアレクだったが、お義母様との仲は決して険悪ではない。
はたから見ていると姉弟の様に仲が良いし、彼女に対して深い感謝の念を抱いているのは、見ていてわかる。
「俺が真っすぐ育てたのは両親の愛情のおかげだから」
だからルナファイスの事を自身で育てたいのだ、と言われてしまえば、俺には否定など出来るはずもない。
反対するつもりはない。
ただ、俺も子は愛しているが、俺にとっての一番はアレクだ。
もし、子かアレクかどちらかを選べと言われれば、俺は迷わずアレクを選んでしまうだろう。
冷たいと言われても、自身の心を偽ることはできない。
けれど、アレクから、同じ気持ちを返してほしいとは思っていない。
子をいつくしむその姿を俺は愛しているし、自分勝手な事だが、そんな風に子を2番目にしてしまうような性格だったら、きっとアレクを好きにはならなかったからだ。
しかしだ。
「俺もかまってほしい」と言う欲望を抑えることが、日々を重ねていくにつれて困難になっているのは明白だった。
「まだ婚姻を挙げて数年なのだ。もう少し我々は愛し合ってもいいのではないか」
淡い輝きを放つ、遠距離通信魔導具で繋がっている、友好国であるフィオーレ王国の第二王子、ドラゴネットに愚痴を言うと、ドラゴネットが押し殺したように笑っていた。
宝珠の先に見える奴の端正な顔が、堪えきれない、と歪むのを見て、俺は顔を顰めて唸る。
「何がおかしい。俺の言っている事は、別におかしい事ではないだろう!」
奴に手が届くのであれば、胸倉を掴んでいただろう勢いで、俺は机を叩いた。
『ふはは……っ、いや、な。正論だろうよ。だが、あんたがそんな台詞を言うなんてな。似合わなさすぎて笑えた。いつも余裕で、たくさんの愛人を侍らしていたセオドリック様とは思えない! いやはや、あんたは本当に色々と拗らせていたんだな』
「おい。人聞きの悪い事を言うな。俺は今はもうアレク一筋だし、今後どんな事があっても他を抱くつもりはない」
確かに俺が最低最悪の遊び人だったのは事実だが、アレクが、オメガに変容したと言う情報を得てからすぐに、そういう遊びを一切止めた。
元々、アレクと結ばれない腹いせに派手に遊んでいた部分もあったし、何より、限りない0%に近い恋の成就が、1%でも実る可能性があるとなれば、自身の欲望など切り離せた。
そればかりか、過去のそう言った遊びに対して、後悔と言う感情を抱くようになった。
アレクの過去をどんなに探っても、俺のような最低な話は絶対に出てこないだろう。
さすがに童貞ではなかったが、アレクは純情で清廉だった。
(そう、俺とは違うのだ)
『すまん。……しかし、あんたが一人に絞る、と聞いた時は私も驚いたが……。数年間、アレク王妃だけの現状を見れば、もはや疑う余地はないだろうよ。だが、私ではあんたの恋愛に助言はできない。何せ、私は今だ誰も愛したことは無いからな』
謝罪の言葉を言いながらも、ドラゴネットは全く申し訳なさそうではない。
むしろどこか面白そうに笑みを浮かべている。
奴の隣には、端正と言ってさしつかえない美貌の男が二人寄り添っているが、彼らは決して奴の恋人ではない。
「そうだったな」
ドラゴネットの周囲は、彼の放蕩ぶりに眉を顰める者ばかりと聞く。
それはそうだろう。
第二王子と言う立場で、男女もバース性も問わず関係を持ち、しかも決して恋人は作らない。誰も孕ませていない事を考えれば対策は取っているのだとは思うが、決して好意的に考えられる事ではないのは明白だ。
(かつて似たように遊んでいた俺には何も言える事ではないが)
元々は、俺はドラゴネットの父親であるゼクス王の知己だ。
幼い頃から交流があり、近年ゼクスが心を病むまでは友人関係を続けていたが、今は殆ど交流が無くなっていた。
俺が交流を絶ったのではない。
ゼクスが俺に会うのを拒むようになったのだ。
ドラゴネットとの通信を切り、俺は椅子へと深く沈むように重心を後ろへとかけた。
「結局、ただの俺の愚痴をあいつに言っただけか」
実を言うと、実りのある答えがドラゴネットから返ってこない事など分かりきっていた。
なにせ、この話題はもう何度も繰り返されているからだ。
だが、あのゼクスに似た面差しと話をしていると、不思議と嫌な気持ちは吹き飛んでしまうのだから、俺はどうしてもあいつとの通信を辞めることができない。
ゼクスは糞真面目な男だった。
俺と変わらない、いやむしろあちらのほうが屈強と言っていい風貌をした、とてつもない美丈夫だと言うのに、男女ともに決して不用意には手を出さない身持ちの硬さ。
周囲にせっつかれて側室を貰い子を為したものの、甘い言葉などとは無縁。
聞けば、愛していないのに愛しているとは言えない、と言うのだから、ある意味では俺よりも残酷な奴だった。
今思えば俺とあいつとの関係は間違いなく親友だったと思う。
「お前なら、俺に何と返しただろうな」
日向の香りを感じながら、俺は目を閉じる。
――あの日、始まった俺の物語を思い出すために。
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