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生活費ラプソディー①

  【西海史スエキ(さいかいしすえき)、職を失いました】  目を閉じると、真っ白なフラッシュを思い出す。  安定した職で無いということは分かっていたが、まさか、こんなに早く無職になるとは思っていなかった。  西海史スエキよ、今年で三十路だ。どうするんだ?と自分に問いかけてみたが、何も答えが見出せなかった。  人気の無い路地裏でしゃがみ込み、土砂降りの雨に打たれ、今の俺は完全に捨て犬だ。非常に寒く、白い息が出る。晴れていれば、夜空には星が沢山見えただろうに。 「んだよ!何見てんだ?」  何度目かの怒声を浴びせ、変な奴から身を守った。顔だけは良いと言われるからな、変な奴が寄ってくるのはそれが原因かもしれない。  右の方から、ゆっくりと傘に雨が当たる音が近付いてくる。暫くすると、伏せた目の端に二本の足が映り込んできた。また変な奴だと思い、怒鳴り散らすために顔を上げる。  此方を見つめる白いワイシャツにカーキのズボンの髭面の男、伸び切った髪はボサボサだ。それに似合わず高身長で体型は細マッチョである。 「何見て……」 「退けよ。俺の家なんだよ、そこ」  完全に怪しい奴だと頭で理解し発した言葉は、真面目な言葉で遮られた。 「はぁ?ここが?」  立ち上がり、今まで自分が座っていた汚れたアスファルトを指差し俺は驚愕の顔をした。 「お前みたいなホームレスと一緒にするな」 「ホ、ホームレスだと!?」 「違うのか?」  鼻で笑いながら、男が俺を押し退け、後ろの黒い戸を開ける。立て付けが悪いのか、ガタガタと嫌な音がして開けるのに苦労しているようだ。 「やけにボロいな、この戸は」  ブツブツと文句を発する俺の口。男が苦戦しているのを横で見ていられなくなり、手を貸した俺だが、あまり役には立てなかった。掴んだ瞬間に引き戸が開いてしまったのだ。 「その方がお前みたいな奴が近寄って来ないだろう?」  傘を畳み、戸の中に入っていく男。 「あのな、さっきから、お前みたいな奴、お前みたいな奴って」  ガタガタとしていたのが嘘のように戸がピシャリと俺の鼻先で閉まった。 「おい!ちょっと待てよ!」  勢い良く戸を叩く。叩く度に隙間から水が飛び散る。 「何だ?まだ何かあるのか?」  隙間が少しだけ空き、むさ苦しい髭面が顔を覗かせた。眉間に皺を寄せた男に向かって、俺は唯一整った顔をフル活用し、中に入れてくれとアピールをする。  ただ首を傾げジッと見つめただけだが、大抵の人間ならば、これで……。 「馬鹿みたいな顔をするな。阿呆みたいだぞ?中に入れて欲しいんなら、ちゃんとお願いをしてみせろ。成功したら、中に入れてやっても良い。失敗したら、服を脱げ」  グサグサと俺の心に刃物が刺さる。馬鹿と阿呆を並べて言わなくとも良いだろうに。気になる点もある。失敗したら服を脱げとは、どういうことなのか。 「やるのか?やらないのか?」 「や、やるから、ちょっと待ってくれ」 「待たない。やるなら、さっさとやれ」  質の悪い奴がガタガタとわざとらしく戸を鳴らす。早くやらなければ閉めるぞ?と俺を脅しているのだ。雨の所為で体温が奪われ、寒い。真冬だ、このまま中に入れなければ、凍死してしまう。  目の前のコイツと会ったのは神様が俺に味方をしてくれたのかもしれない。やるしかないと思った。 「……西海史スエキと言います。今日、無職になり、家も失いました。金も泊まるところも無く、このままでは凍死してしまいます。どうか、どうか……っ」  そこで俺の目から涙が零れ落ちた。申し訳ないが演技だ。 「ほぅ……、面白い。───良いだろう、入れ」  お気に召して貰えたようだ。なんとか今日の寝床は確保出来た、と思う。まだ、このビルの中がどうなっているのか分からない。路地裏を照らしていたのは、向かい側の何かよく分からない店の看板だけで、あまり明るく無かった。 「……お邪魔します」  涙を拭いながら、戸を閉められる前に中に入り込んだ。小さな豆電球が三個、天井にぶら下がっている。これでは点いている意味があまり無い。足元が階段だということだけは分かったが、おぼつかなかった。  男の後を追って、一つ一つ階段を降りていき、最後の段差を降りようとした時、パチリと電気が点けられた。一瞬にして、明るくなる階段。  なんだよ、ちゃんとした電気があるんじゃねぇか。そう思い、上げた足を降ろそうとして気付く。最後の段差はとっくに降りており、もう降りる段差は無いのにも関わらず、俺は片足を高く上げていたのだと。  慌てて足を降ろしたが、それを見た男に俺はまた鼻で笑われた。明るい光の中で見た男の髪と髭は濃い栗色で、まるで日本人じゃないみたいだなと思った。  身長は俺だって負けていないが、俺と並んでこの身長差なのだから一八二センチ以上あるってことだろう? 「ほら、お前に風呂とバスローブを貸してやる」  そう言われたが、あまり俺の耳には入っていなかった。階段を降りて曲がった先が凄く広い部屋で、凄く綺麗な空間だったからだ。古い教会みたいな。  まさか、誰もビルが一階から最上階まで吹き抜けになってるとは思わないだろう。壁一面には本棚、頭の悪い俺には、一体どのくらいの本があるのか計算出来なかった。  ん?ここが本棚しか無いということは、他にも部屋があるということか?そうなると、隣のビルもコイツの持ち物か? 「聞いているのか?終わったら、俺を呼べ。分かったな?」  分かった、と返事をする前に、男は何処かの部屋にスッと消えていった。  しまったな、と思う。男に名前を聞くのを忘れた。 「まあ、良いか……」  その時になったら考えれば良い。そんな適当なことを頭の中で見繕いながら脱衣所で服を脱ぎ、風呂場と呼ばれた大浴場に俺は足を踏み入れた。  アイツは金持ちなのだろうか?  湯は掛け流しテイストで、円形の湯舟はもう湯舟の領域を超えているし、シャワーも何故か三本もある。銭湯じゃねぇか。  シャワーを浴び、湯舟にサッと浸かった俺は直ぐに風呂場から出てきた。初対面の人間の家で長風呂なんて申し訳なくて出来ねぇよ。一応、俺にも常識ってやつがあるからな。  バスローブに身を包み、男を呼ぼうとしたが、やはり名前が無くては呼ぶに呼べないと思った。呼べと言うからには、近くに居るのかと思えば、そうでも無いらしく、全く気配が感じられない。仕方なく、脱いだ服を勝手に洗濯機に突っ込み、家の探索も兼ねて男を探すことにした。

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