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葛藤コンフリクト⑤

   ◆ ◆ ◆  鮫島宅に帰ると、奴はソファに座っていた。その姿を見ると、やはりこの家の主人は鮫島なんだな、と思う。  奴はまた真っ白なノートに視線を落としている。今なら、絡まれずに移動できるかもしれない。出来ることなら関わりたくない。  こっちを見るなよ?  静かに、静かに移動することに専念する俺。 「……おい」  駄目だった。即座にバレただけで無く、鮫島がノートから顔を上げずに、此方に手を差し出して来たのだ。仕方なく、近付いて行き、ジッと奴の右手を見つめた。  この手は、やはりフォンダンショコラを寄越せと言っているんだよな?  だが、残念ながら、フォンダンショコラは全て俺の腹の中だ。しまった、とは思わない。後悔もしていない。全て俺が決めたことだ。 「ほらよ」  何も無い代わりに左手を差し出すことにした。右手を出せば、またお手がどうとか言われるかもしれないだろう?どうだ、鮫島?これなら何も言えないだろう? 「いでででででっ!」  止せば良かったと思う。鮫島が俺の左手をグッと掴み、指に痛みを伴う何かをしてきた。 「……嘘だろ?」  パッと離された左手を見て、俺は青ざめ、せめて右手を出せば良かったと嘆いた。 「抜けない……、おい!どうしてくれるんだ!」  俺の左手薬指にはシンプルな銀のリングが嵌められていた。サイズが合っていないものを無理矢理嵌められた所為で、少々食い込んでいるように見える。 「婚約おめでとう」  鮫島に棒読みプラス真顔で言われた。  いや、おめでとうじゃねぇよ! 「ふざけんなよ。何の恨みがあって、こんなことをするんだ?」  左手の薬指を右手で指差しながら問う。 「今日のお前を見ていて非常に腹が立った。少し反省しろ」  何を反省しろと言うのか?そもそも、何に腹を立てていると言うんだ?フォンダンショコラが食えなかったからじゃ無いよな?俺が女性陣からモテていたことか? 「また、そうやって……」  やはり、奴はツンデレでは無く。ツンしか無い人間だ。 「つんけんしていると言いたいのか?その言葉、お前にそっくりそのまま返してやるよ」  心を読まれたのかと思ったが、奴が意外と俺の言ったことを根に持っていることが分かった。 「俺の何処がつんけんしているっていうんだ?至って普通だろうが!」  少なくとも、あんたよりは真面だと思う。 「さあな、自分で考えろ」  そういうところが嫌いなんだ。ちゃんと向き合わずに去っていく。 「おい、待てよ!」 「俺を呼び止める時間があるなら、風呂を洗え」 「はあ?」 「洗剤で洗っていれば、指輪が外れるかもしれないぞ?」  俺の呼び止めも虚しく、少しの希望を俺に与え、奴は毎度のことながら、未知の部屋へと消えた。 「やってやろうじゃねぇか」  突如として、やる気を出した俺は風呂場に移動し、腕を捲った。ただっ広い風呂場を一つの小さな黄色いスポンジで洗っていく。そりゃ、必死に、必死になって……。しかし、騙されたと思って、というやつを信じた俺が馬鹿だった。 「取れねぇじゃねぇか!」  俺の投げた黄色いスポンジが勢い良く宙を舞う。数十分掛けて洗い終わっても、リングは俺の指から外れなかった。まるで、離れたくないと言っているようで余計にイラッとする。 「くそっ!」  今日は諦めてやるが、鮫島め、こんなもので俺を制御出来ると思うなよ?俺はこんなものには左右されたりしねぇからな!  そう強く思いながら、俺は風呂場の戸を力任せに閉めたのだった……。

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