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恋人保護プログラム④

   ◆ ◆ ◆ 「おい、あんた、ありゃなんだ?」  俺は仁王立ちをしていた。真正面には、ソファに座り、真っ白なページを見つめ続ける鮫島。お得意の集中力を発揮しているのか、返事は無い。 「聞けよ!」  ノートをテーブルの上から手で弾き飛ばしてやった。俺は今怒ってんだよ。人の話はちゃんと聞け、この野郎。 「聞いている。吠えるな」  溜息を吐きながら、鮫島が座ったままノートに手を伸ばす。温度差が激しい。まあ、ここに来て前の生活から何かが変わったという訳でもないからな。この温度差は日常茶飯事だ。事件の後、鮫島は引っ越していた。前の家も入り組んだ路地を進んだ隠れ家のようだったが、今の家も前以上に隠れ家のようだ。部屋の数は多く、背の高い本棚も健在。風呂もデカイ。良い場所に引っ越してきたと思う。あんたも、俺も。 「吠えてない。怒ってんだよ!」 「ああ、威嚇か」  如何にも、どうでも良いという風にノートを開き、また真っ白なページを見つめ始める鮫島。ムカつく。 「あんた、良い加減、俺を犬扱いすんの辞めろよ!」  狭いが、鮫島とテーブルとの隙間に立ち、奴の視界を遮った。 「ほう?生意気だな。なら、自分は"馬鹿"犬じゃないと証明してみせろ」  冷たい視線が俺を見上げてきた。今の立ち位置的には俺の方が上なんだが、何故だか見下されている感が半端ない。馬鹿、という部分を強調するところも気に食わない。 「あんた意地悪だな。俺の良い所が顔しか無いとか言いやがるし……っ」  涙が俺の目から溢れ出す。勿論、嘘泣きだ。子役出身舐めるんじゃねぇぞ!犬はこんなボロボロ涙流さねぇし、寧ろ、慰めてくれる方だ。 「馬鹿っていうのは自分でも痛い程分かってるさ……、でも、俺は犬じゃない……!」  馬鹿っていうのは否定しないで居てやる。さあ、揺れろ鮫島の心。今、あんたは揺さぶられているんだろう?自分は悪いことをしてしまった、という罪悪感に駆られているんだろう? 「初めて会った時から思っていたんだが……」  グイッと右腕を引っ張られ、俺は自然と前屈みになった。 「お前は、本当に……」  真面目な顔した鮫島の手がゆっくりと此方に伸びてくる。涙を拭われる、そう思い、俺は反射的に身構えた。 「とんだ大根役者だな」  ポンっと左肩に手を置かれた。 「っ!あんたなぁ!!」  淡々と顔色一つ変えず言い放たれ、更に俺の中身が煮えくり返る。何をどうすれば、どうなるか、ということを一切考えず、鮫島の両腕を掴んだ。学習しない、とはこういうことである。奴の怪力に俺が勝てないというのは、既に分かりきっていることだろう。瞬時に両手を振り解かれ、気付いた時には目の前で鮫島が立ち上がっていた。  ――近過ぎる……!  少しでも離れようと、俺はソファとテーブルの隙間から逃げ出した。オープンキッチンに向かう。 「お前の良い所を教えてやろう」  俺の城にズカズカと入り込んでくる様は、何処かの魔王のようだ。 「今更、遅せぇよ!聞く気はない!」  怒鳴ると自分自身も煩い。何故なら、自らの両耳を手で塞いでいたからだ。  ――聞いてなんざ、やるものか!  冷蔵庫を通り過ぎ、シンクを通り過ぎ、角に追い込まれた。自分の心臓の音が聞こえる。 「おい、馬鹿犬」  何と言われようが、聞こえないフリを決め込む。これに関しては、二度同じ失敗はしない。 「スエキ、こっちに来い」  珍しく、俺の名前を呼んでいるが、まだ犬扱いされている気が否めない。徐々に距離が詰まってくる。今は視線さえ合わせたくは無い。急いで耳を塞いだまま、しゃがみ込む。よく考えれば、目を閉じるだけで良かったんだが、頭の回転が悪かった。 「スエキ?」 「あんたなんか、嫌いだ」  何度、名前を呼ばれようが知るものか。カタカタと音がする。食器棚の引き出しなんざ開けて、何がしたいんだ、あんたは? 「スエキ……」  俺と視線を合わせるように、鮫島が目の前で片膝をついた。ゆっくりと静かに鮫島の口が動く。 「俺が悪かった」  鮫島さんが、謝った……?  俺は、この段階で既に相当、間の抜けた顔をしていたのかもしれない。だが、次の瞬間、更に間抜けな顔になる。 「西海史スエキ、貴方の尊敬出来る部分は、人を支える力に長けていること、そして、良い部分は唯一俺だけに見せてくれる一面があることです」 「鮫島さん……?」  耳を塞いで居ても、全て聞こえていた。何をふざけているのかと疑ったが、何やら様子がおかしい。ジッと見つめられ、鮫島と視線が合ったのだが、いつものような冷たい眼差しでは無かった。 「俺の傍に居て下さい、お願いします」  スッと黒い箱が差し出される。目の前で開かれた、その黒い箱の中には銀色の高そうな時計が入っていた。 「は?……はい?え?」  間抜けな声が出た。上手い返答の言葉が見つからない。頭の中にあるのは、『混乱』という単語だけ。耳にあてていた左手をそっと鮫島に持って行かれ、腕時計を嵌められた。 「返事は?」  ぼーっと一連の流れを見ていた俺だったが、鮫島に顔を覗き込まれ、我に帰る。 「返事?あ……、返事は」 「なんだ?」  頭がハッキリとしてきた。 「あんた、馬鹿じゃねぇのか?」  俺は、込み上げてくるモノを必死で我慢していた。 「ああ、そうかもな」  また鮫島が優しい顔で笑っている。 「……だよ」  声が震え掠れる。そんな顔で俺を見るな。 「イエスだよ……!」  我慢していたモノが一気に溢れ出す。全て、あんたの所為だ。いつから、こんな罠を仕掛けていたのか。俺の動きは最初から鮫島に読まれていたのだろうか。それとも、操作されたのだろうか。長く一緒に居過ぎた末路だ。 「やっと嘘泣きがマシになったな」  どんなに俺は酷い顔をしていたのか、伸びてきた鮫島の腕にそっと抱き締められた。 「嘘泣きじゃねぇよ……っ」  こうやって俺が演技以外で涙を流すようになったのは、あんたと出会ってからだ。人は人に頼るようになると弱くなる生き物なのだろうか。ただ、歳を取ったから、ということに出来ないだろうか。 「電話、鳴ってる」  そう言ったのは俺だ。別に何か惚けようと思った訳ではない。別室で、確かに鮫島の携帯が鳴っているのだ。鮫島が溜息を吐いたのが分かった。売れっ子作家もやはり忙しいらしく、何も言わず立ち上がり、別室に入って行ってしまった。ポツンとキッチンの角に取り残された俺と、床に置かれた小さな黒い箱。未だに夢でも見ているのでは無いかと思う。  魔王が俺に悪夢を見せているのか?これから、地獄に落ちるのか?  落ち着かず、箱を持ったまま、キッチンとリビングを行ったり来たりしてしまう。それを三度程繰り返し、俺は玄関に立つ人影に気が付いた。 「洋輔……?」  紛れもなく、そこに立っていたのは洋輔だった。茫然とした俺の方にスタスタと歩いてくる。そして、徐に軽くキスをされた。 「なっ、洋世!?」  口元を押さえながら、後ずさる。洋世なのか。しかし、暫くしても洋輔の表情は何一つ変わらなかった。 「あいつは死んだよ。医者が殺した」  狂気に満ちた言葉のようで、俺の中には恐怖心が込み上げてきた。遠ざけた筈の洋輔との距離が縮まっていく。 「怖がらせて、ごめん。あいつが居なくなったことを証明したかったんだ」 「へ?」と俺の口から気の抜けたような声が洩れた。 「色々問題は残ってる。でも、僕は自由になった。あんたには感謝してる。僕もあいつも」  心なしか、そう言う洋輔は明るくなったように見えた。医者が洋世を殺したなんて言うもんだから、また物騒な話かと思ったが、よく考えてみれば精神科の話だということが俺にも分かった。眠ったのか、洋世。 「じゃあ、また」 「お、おう……」  それだけを言いに来たのか、鮫島には会わず、洋輔は身を翻して帰って行ってしまった。  洋輔が出て行くのと同時だったか、違ったか、いきなり凄い音がした。最初は洋輔が玄関の扉を勢い良く閉めた音かと思い、「なんだ、あいつ。乱暴な奴だな」と玄関の方を覗いていたのだが、背後から嫌な視線を感じた。別室の入り口に立つ鮫島だ。奴が扉を勢いよく閉めた音だったらしい。 「スエキ、来い」  珍しく相当お怒りのようだ。黒いオーラがジリジリと滲み出ている気がする。 「いや、俺忙しいから」  苦笑いを浮かべ、自室に逃げ込もうと試みた。丁度後ろに自分の部屋があったのだ。後手に探したのがいけなかったのか、こんな時に限って上手く扉のノブを掴めなかった。モタモタしているうちにダンっと俺の顔の横に鮫島の両手が打ち付けられた。扉が可哀想だろう、なんて流暢に言っていられる余裕など無い。 「心当たり、あるよな?」  ネコ科動物が狩りをする時のような瞳だ。鋭く俺に突き刺さる。 「なんの?な、ないだろ」  思わず吃どもった。心当たりと言えば、先程の洋輔のキスしかない。いや、まさか、それか! 「あるよな?」 「いや、あれは……」  威圧的に見つめられ、たじろぐ。演技なんざしていられない。俺に一ミリでも悪いところがあったか?いや、どう考えても無いだろう。 「来い」  低い声でぶっきらぼうに鮫島が言い放つ。 「だから、あれはだな!その、あれだ」  言葉を見つけている間に身体に腕を巻かれ、ズルズルと引き摺られていく。 「黙れ」 「黙……っ!あれは洋輔が勝手にやったんだよ!」  スムーズに引き摺られていく様はキャリーケースのようだ。別室の扉という名の搭乗ゲートのその先に待っている恐ろしいことなど、想像もしたくない。だが、着実にそれは近付き 「おい!仕事しろよ!ふざけんなぁぁあああ!!」  扉はやけに静かに閉まったのだった――。  ◇ ◇ ◇   西海史スエキ、30歳  職業  前々 子役  前 ヒモ  現 俳優  人生に求めるもの ツキナミなシアワセ  完

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