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第1章 狼人の国⑤

 ◆ ◆ ◆  王の間から姿は消しても、ラウルは俺の前からは姿を消さなかった。自分が堪えるためか、俺を堪えさせるためか、奴は俺を地下の黒い檻の中に閉じ込めた。  恐らく、俺を堪えさせるためというのが正解だ。  俺のこの状況を見て楽しんでいるのだろう?俺がヒートに堪えているのを見るのが面白いんだろう?いつ自分を欲するか、檻の外で予想しているんだろう?  だが、残念だったな。俺は堪えるのには慣れてるんだよ。 「……ははっ……、見てて……楽しいか?」  薄暗い空間に俺の掠れた笑い声が響いた。ラウルの冷たい眼差しが光って見える。  ────やめろ、見るな。  おかしい、冷たいはずの視線が俺のある一点に刺さり、それが熱を生み出していく。 「どうした?腰が揺れているぞ?」  奴の言う通り、腰が疼く。救われるために鉄格子に近付きたくなるが、気を押さえつけ、俺は後ろの壁に後ずさった。 「貴様は何故、国から追放された?」 「……くくっ、よく……追放されたって……分かったじゃねぇか」 「答えろ」 「……知らねぇ……よ」  こんな時に、んな話させんなよ。違う苦しみを俺に与えるな。国から追放された理由を一番知りたいのは俺だ。一番救われたいのは俺だ。 「……はっ……く……」  これ以上、口を開くと変なことを言ってしまいそうだ。熱い……、熱を吐き出したい。必要としていない快感の波が押し寄せてくる。やめろ、手を伸ばすな。そう思っても、身体が勝手にアルファを欲する。 「早く番を解消しろ」  確かに、俺の唇は、そう動こうとしていた。だが、とある金属音によって制止され、ラウルも俺の前から消えた。奴が俺に向かって檻の鍵を投げたのだ。投げて姿を消したのだ、まるで出るなら自分で出ろとでも言うかのように。  檻から出て来なかったと言って責められる訳でも無さそうだ。何故なら、鍵は、この手にあるのだから。  誰かと性交渉をしない場合、ヒートが何日続くか分からないが、一人で堪えれば、なんとかなる。  ただ堪えれば良い、痛む傷を我慢するように。  ツラい時は、今よりツラい時を思い出せば楽になる。いつ学んだのか分からないが、いつの間にか、俺の中に生まれていた教訓だ。ツラいと思う時は大抵、幼少の頃を思い出す。心が一番ズタズタになった時期だ。  俺はスラムで生まれ、齢八歳の時に一人親である母親が死んだ。金があれば治る病だった。  一人になった八歳の餓鬼に何が出来ると言うのか。当然の如く、飢えで死に掛けた。だが、寿命があったんだろうな、あと一日で死にそうな時に仲間に拾われた。良い奴等だったが、世間からは悪い奴等だと言われていた。  身体の小さかった俺は柵の隙間から金持ちの家や城に忍び込んで、何度も金銭を盗んだ。仲間は六人、なんとか暮らしていけていた。楽しい時の記憶はあまりないが、優しい母親の笑顔と仲間と悪さをしている時に感じた高揚感みたいなものだけは覚えている。  ある時、俺が城から戻ると仲間は全員殺されていた。奴が来たのだ。俺の父親であるリューシヴ王が。  何故、王は俺を見つけることが出来たのか。簡単なことだ。魔族の力を借りたのだ。  仲間を殺され怒り狂った俺は暴れて抵抗したが、十歳の餓鬼が王を守る騎士に勝てるわけがない。  直ぐに捕まり、強制的に俺は城に連れて行かれた。  最初は盗みを働いていたから連れて来られたんだと思ったが、話を聞くと、そうでは無かった。そこで初めて、自分が王の息子だということを知ったのだ。  王の本妻の息子は身体が弱かった。いつ死ぬか分からない。だから、俺が連れて来られたのだ。  最初は逃げることだけを考えていたが、俺は次第に衣食住が満たされた生活に負けてしまった。剣術を習得するのも好きだった。王の本妻の息子より先に戦場にも立った。自分は王になるのだと思っていた。  だが、それは違った。王の本妻の息子が同じ歳になるまで生き延びたのだ。それも、健康体になって。恐らく、また、魔族の力だ。  ある時から王を目指すようになっていた俺は王になる直前に王に裏切られた。もう用無しになり、こうして国から追放されたのだ。  突如として、目標を失ってしまった。それだけを支えに生きてきたというのに。味方など誰一人と居ない世界で。  王にとって、上に立つ者にとって、下の者は単なる駒でしかないのだ。使い捨ての駒でしかないのだ。心も身体も堪えることには慣れたが、もう疲れてしまった。それが本音だ。だから、もう死んでしまいたい。何も考えなくて良い世界に、何も堪える必要のない世界に今直ぐにでも行ってしまいたい。 「……?」  突然、遠くから足音が近付いて来た。自分の世界に入り込んでいた俺の頭が現実へと引き戻されて行く。ヒートによる熱で霞む視界に黒い狼人の姿が映り込んだ。 「……コンラッド……?」  鉄格子の外に立つのは、紛れもなく俺が救ったコンラッドだった。途中で王に見つかったら、自分の首が飛ぶだろうに、何馬鹿なことしてんだよ。そう俺が文句を言ってやろうとした瞬間、檻の中に小さな布袋が投げ込まれた。  そして、コンラッドがやけに真面目な顔をして言った。 「借りを返しに来た」と────。

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