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第1章 狼人の国④

 ◆ ◆ ◆  深い海で溺れ、死にかける直前に引き上げられたような錯覚に陥る。 「……ゲホ、ゴホッ!」  やっと空気が肺に入ってきたが、気管に水が入ってしまったように激しく噎せた。目は開けているのだが、視界に映るのはモヤモヤとした赤と緑と黒と、なんだか形が良く分からん。ジワリジワリと寝起きのように視界が戻ってくる。ただ、耳だけは正常に機能しているようで周りの音を拾うことは出来た。 「人間如きに命を救われるとは、この恥晒しめ!」  ラウルの声だ。どうやら、コンラッドはちゃんと俺を連れ帰ったらしい。それにしても、また人間如きと言われるとは。  いや、違う!そうじゃない!  ハッとして、俺は自分の両目を擦った。視界が、やっとハッキリしてくる。  俺は王の間の扉前に捨てられていたようで、一番後ろから現在の状況が見えた。変わらず偉そうに玉座に座る王の前にコンラッドが跪き、その腕を両脇から知らない狼人が押さえている。  なんで、コンラッドが捕らえられてんだよ? 「お前には罰を与える」  ラウルの言葉が俺の記憶に重なり、ジッとしていられなくなった。 「ちょっと待て!」  勢い良く起き上がったが、特に身体に痛みはない。どうやら、自分で命を絶とうとしたと認識され、完全にリセットされたようだ。 「コンラッドは自分の職務を全うしただけだろうが!」  ツカツカと前に進むが、不思議と誰も俺を取り押さえに来ない。 「黙れ、人間如きに発言権は無い」  安易に冷たく言い放つ王とコンラッドとの間に入り込むことが出来た。本当は誰もコンラッドが罰を受けることを望んでいないということだな。 「如き如きって、……何度も言うんじゃねぇよ!!」  考えるよりも先に身体が動いていた。気付いたら、俺は勢い良く王の顔面を殴りつけていた。拳に伝わる衝撃で気付いたようなものだ。  王なんざ関係ない、俺は自分が死ねれば、どうだって良い。だから、殴っちまったんだろうな。 「素直に仲間が生きて帰ってきて良かったって思えねぇのか!お前は!生まれつき王のお前に人の痛みなんざ分からねぇんだろ?恥晒しはお前の方だ!この大馬鹿野郎!」  周りの空気が凍りついていくのを感じても俺は口を閉じなかった。ラウルの胸倉を掴んだまま、玉座の肘掛けに片足を乗せ、奴を睨み付ける。  お前なんざ、人の痛みが分からねぇくそったれだ!口から血を流しても、痛みすら感じてないみたいな顔しやがって。 「レオ、やめろ」  コンラッドの声が静まり返った王の間に響く。心配なら不要だ。俺の心は既に決まっている。 「誰かに罰を与えたいのなら俺に与えれば良い!」  ラウルの胸倉をぐっと引き、互いの額がつきそうなほどの至近距離で俺は言い放った。馬鹿みたいだが、頭に血がのぼると直ぐにこういうことをしちまうのが俺だ。 「殺したいなら殺せば良い。俺は不死身じゃねぇ。自分で自分を殺めることが出来ないだけ……だ……」  突然、俺の心臓が一瞬大きく脈打った。何かがおかしい、身体が熱い……。 「先程までの威勢はどうした?随分と具合が悪そうだな」  今まで黙っていたラウルが皮肉混じりに鼻で笑い、上を向かせるように俺の顎を掴んできた。 「っ、うるせぇよ……傷付けたいなら……見えるように……やれ」  傷が隠れるように人を痛めつけるやつは卑怯者だ。他人から見えない場所に跡をつけるな。 「……っ」  次第に心臓の高鳴りが激しくなってくる。全身が溶けそうなほどに熱くなり、嫌な汗が流れ出してきた。まさか、これは……。 「ほう……、貴様、オメガなのか」  ラウルが目を細め、興味深そうに俺を見てくる。  くそ、これがヒート(発情)か。対処方法なんざ知らねぇよ。  狼人の王様が面白がるのも分かる。普通オメガってのは身体が小さくて弱者って感じがするからな。だが、同じだと思われるのは嫌に癪に触る。 「……ッ……俺は……オメガじゃ……ねぇ……、アルファだ……!」  身体が熱い、心臓が痛いほど脈打つ。苦しい……、息が止まりそうだ。このまま死ねれば、どんなに楽か。ラウルの胸倉を掴んだ腕に力が入らなくなってきた。 「早く殺せ……!」  震える声を押さえつけ、俺は強く叫んだ。 「ぁ……ぐっ!」  突如として首元を襲った痛みに俺は低く呻いた。ラウルが俺の首に牙を立てたのだ。その行動はまるで最初から決まっていたかのように躊躇いもなく、素早かった。 「な、に……しやがる!」  震える手で俺が掴む前にラウルは頭を離し、代わりに今度は奴が乱暴に俺の胸倉を片手で掴んできた。 「今、貴様と私は番(つがい)になった。知っているだろう?アルファである私から一方的に番は解消できるが、その場合、オメガである貴様は、そのショックによって一生、誰とも番になれなくなる」  ────一生、孤独とヒートを背負い続けることになる。 「……やるなら……早くしろよ!」  番を解消すれば、お前が望むものが見れるかもしれないぞ?誰と番になろうとも、まだヒートは治らない。番を失った俺は誰彼構わず誘うフェロモンを振り撒いちまう。辿り着く先は強姦だ。 「……っ!」  急に身体が浮き、俺は息を呑んだ。ラウルの野郎が俺を肩に軽々と担ぎ上げたのだ。本当は「何考えてやがんだ!」と言ってやりたかったが、遂には口を開けば何か変なことを言ってしまいそうで、口を閉ざすしかなかったのだ。 「コンラッド、次は無いぞ」  俺を担いだまま、ラウルはボソリと呟き、静まり返った騎士達を横目に王の間から姿を消した。

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