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第1話

人類社会の頂点にして、一部の有力者しか出入りが許されないアッパータウン。この世界を支配する血筋(ブラッドタイプ)の名を取って、インペリアルタウンとも呼ばれる街の中心は、空を突き刺すようにそびえる超高層ビルだ。昼も美しい建物だが、夜ともなれば全体が金色の光を発するそれは、巨大な光の槍にも似た偉容をもって世界を睥睨している。 「スターゲイザー」。天文学者、星見、転じて夢見人などを意味する名をつけられたビルの下層部には、商業施設も入っている。アッパータウンの住人であれば誰でも利用可能だが、上層階は強力なセキュリティに守られており、おいそれと近づけない。足を踏み入れる栄誉に浴せるのは、タイプ・インペリアル――生まれついての支配階級の中からさらに選び抜かれた黄金の一族、ゴールデン・ルールの許可を得られた者のみだ。 「……僕もある意味、最初からゴールデン・ルールの許可を得てここに入ったんだよな」  入ったというか、連れ込まれたというか。スターゲイザーの最上層部にある豪華な広間の片隅にて、ワスレナはポツリとつぶやいた。  典型的なタイプ・コンセプションである、紅茶色の髪をした細身の美青年だ。この階層で行われる集まりに相応しく装っているため、一層人目を惹く。  優美だがどこか翳りのある美貌に、人いきれによる疲労が皮肉な華を添えているので、余計にそう見えることに本人は気づいていない。普段は気が回るほうなのだが、今はそんな余裕がないのだ。  寄りかかった強化ガラスの向こうには、ネオンさえ整然としたデザイナーズ・シティ。インペリアルの中でもさらに有能な者たちの知恵とセンスの結晶。生まれはミドルタウン、その後ダウンタウンに捨てられて長い年月を過ごしてきた目に、半年余りの時間を経てようやく馴染み始めた景色。  しかし、ガラスの内側に反射する紳士淑女の群れに慣れるには、もう少し時間が必要だ。非合法な地下組織・サンスポットに拾われて生き延び、命のやり取りも何度か経験してきた。このようなパーティへの出席も初めてではないが、スケールも客層も何もかも違いすぎて、落ち着かない。  参加人数は百人前後で、ゴールデン・ルール主催のパーティとしては規模が大きいものではないということだが、ワスレナにとっては十分だ。おまけに、と物憂く瞳を伏せたワスレナに近づく煌びやかな人影があった。 「失礼、ワスレナさん。よろしければ、ご挨拶をしても?」 「え? あ、ああ……、ええ」  三十代と思しき身なりの良い男性がそこに立っていた。知らない顔だが、今この場にいられる時点で、インペリアルとしても高位の存在であることは間違いないだろう。ワスレナの片翼(ベターハーフ)のように、コンセプションをこのような場に平気で連れて来るインペリアルは例外中の例外なのだから。 「申し訳ありません、星を見ていらっしゃったのに」  遠慮がちな表情は、インペリアルがコンセプションに向けるには相応しくない。ワスレナがダウンタウンで過ごしていた頃、いやいやミドルタウンで家の奥に閉じ込められていた時に出会っても、彼がこのように殊勝な態度を取ることはなかっただろう。無視がせいぜいだったはずだ。 「あ……、いえ、大丈夫です」  そんなロマンチックな状況ではない、と訂正するのもためらわれ、ワスレナが話を合わせると、相手は顔を綻ばせた。その目にインペリアルにありがちな肉欲は感じられないが、好奇心はありありと窺える。 「ここから星を見るというのも、また格別ですね。もっとも、私などにとっては、あなたという花を愛でる機会を得られたことが僥倖ですが……」  意味ありげな視線が目元に送られる。ワスレナ、という名前が、勿忘草に似た青紫をした瞳の色に由来していることも知っているようだ。  ワスレナの存在が有名になり出した時から、この手の雑学は広く流布するようになった。だがおそらくは、誰が名づけたかまでは知るまい。  複雑な思いを噛み殺すワスレナをよそに、美辞麗句は続く。 「あのシメオン・ルミナリエが、ついにパートナーを決められたと聞いて驚きました。しかも、片翼(ベターハーフ)とは……半身誓約すら、結ばれたことがないと噂でしたのに」 「……そうみたいですね」  最初は、一方的な半身誓約だったんだよな。神と崇めた男に見放された直後の悲劇を、ワスレナはぼんやりと思い出す。これも、一部の関係者しか知らない情報だ。  当時は自殺を考えるほどつらかった出来事も、今となっては噛まれたうなじの痛みさえ、ほの甘く感じるのだから現金なものである。あの時よりも今のほうが幸せなのは間違いないのだが、ではその幸せに一点の曇りもないかと言われると、答えに詰まってしまうのが現状だった。  ワスレナがそのように苦悩しているなどと知らぬインペリアルの語りは、ますます熱を帯びていく。  「ですが、実際にワスレナ様にお会いして納得がいった。片翼(ベターハーフ)の存在はおとぎ話のように語られることが多いですが、お兄様方の例を見れば、おとぎ話だと思われてしまうのも無理はない。ルミナリエ三兄弟レベルのインペリアルでなければ、あなた方のようにすばらしいコンセプションと、魂のレベルで繋がることは……」 「失礼」  まだまだ続きそうな言葉を遮ったのは、素っ気ない一言だった。 「……やあ、これはこれは、ドクター・シメオン」  ムッとしてもおかしくない場面だったが、件のインペリアルは振り向いた先の相手が話題の人と知り、如才なく笑ってみせる。  シメオン・ルミナリエ。彼が熱心に褒めそやしていた最上級のインペリアルであり、ゴールデン・ルールを代表するルミナリエ三兄弟の三男だ。一族に共通する艶やかな黒髪に緑眼の美丈夫であり、恵まれた長身を儀礼的な白いコートに包んでいる。長い指先を保護する白い手袋まで含め、汚れやすく着脱に人手がいる衣装は古い貴族たちを彷彿とさせた。  長男にしてゴールデン・ルールの総帥であるジョシュアや、ジョシュアが病床に伏していた間に代行を務めていた次男セブランと比べるとやや認知度が下がるが、ジョシュア復活を内々に祝うこのパーティに招待される客なら当然知悉している。加えて、最近一部の上流階級に向けて、片翼(ベターハーフ)――運命的な繋がりを持つコンセプションを得たと発表したばかりだ。  一躍時の人、というわけだが、愛する者を得たとはいえ、元から愛想のいい兄たちとは違う。学者肌で人間に興味がないという性格に大きな変化はなく、このような公の席であってもそれは同じだ。 「申し訳ありません、あなたの片翼(ベターハーフ)を独り占めしてしまって……」  同じ血筋(ブラッドタイプ)であっても、格の違う相手の威圧的なオーラを浴びたインペリアルは恐縮した表情になった。 「構わない」  無表情に言ったシメオンの瞳は、彼ではなくワスレナを見ている。 「ワスレナは私の片翼(ベターハーフ)だ。他人に話しかけられた程度で、揺らぐことはない」  軽く目を見張ったワスレナに軽くうなずいてから、シメオンは後ろを振り向いた。そこにはすっかり元気になった彼の兄、ジョシュア・ルミナリエが輝くような笑顔を振りまきながら、大勢の挨拶を受けている。彼の片翼(ベターハーフ)である女性コンセプション、エリン・ルミナリエもそっとその側に寄り添っていた。 「ジョシュア総帥への挨拶がまだなら、行かれるといい。そろそろ閉会だ」 「そうですね。どうも、ご親切に。ドクターへのご挨拶は、また後日させていただきます」  体よく追い払われていることは分かっていようが、最後までそつのない態度を貫き、インペリアルは去った。ほーっと息を吐いたワスレナに、シメオンが小声でささやきかけてくる。 「どうした、ワスレナ。気持ちが沈んでいるようだな」  そう言うシメオンも、少しばかりピリピリしていることをワスレナは感じ取っていた。片翼(ベターハーフ)同士は感情が伝わる。遠慮しても無意味と知っているワスレナは、再び窓の外に視線を投げてから素直に弱音を漏らした。 「……いえ、なんというか……すごい光景だなぁ、と思いまして」 「そうだな」  同じように夜景を見下ろして、シメオンはかすかに頬を緩めた。 「何度見ても、ここからの景色はいい」 「……そうですね。あなたは飛行機好きだ。高いところも好きですものね……」  飛行機好きが高じて航空工学を極め、理想の機体「タイムレスウイング」の開発に携わるぐらいだ。あれのロールアウト式典では大変だったな、と懐かしく思い出すワスレナを見つめ、シメオンは真顔で言った。 「今はお前のほうが好きだ」  虚を衝かれ、ワスレナは固まってしまった。シメオンは先ほどワスレナに話しかけ、今はジョシュアと熱心に話し込んでいるインペリアルを顔だけ振り返ってじろりと睨む。 「あいつがお前に失礼な振る舞いをしたのなら、出入り禁止にするが」 「いや、そんな、そういうわけじゃないです!」  本当に隠し事ができない。慌てたワスレナであるが、それでもシメオンの対応は、出会った頃に比べれば大人だと思った。あの時の彼であれば、出会い頭に「出て行け」と言いかねなかった。  ――いや、違う。さっきのインペリアルの問題ではない。 「……分かっているんです。僕が、ただ、卑屈になっているだけだって」  出て行け、などと言う必要はないのだ。先ほどのインペリアルの発言に差別的な要素はなかったのだから。  声音にも表情にも陰湿さはなかった。シメオンの片翼(ベターハーフ)とお近づきになりたい、という下心はあっただろうが、その程度はしなやかに受け流せねばならない。シメオンの片翼(ベターハーフ)として、今後もやっていこうと思うのならば。  無理やりに半身誓約を結ばされたあの時は、名実共に彼のパートナーとして紹介される未来など想像したこともなかった。遠からず誓約を解除され、死ぬのだとばかり思っていた。「葬式代」と題した口座を作り、破滅までの日数を指折り数えながら暮らしていた。  今は違う。生まれてこの方、こんなふうに周りから丁重に扱われたことはない。だからこそ自分だけではなく、シメオンの立場を悪くしてはいけないという戒めが、不必要なほどに神経をとがらせるのだ。 「余裕を持っていなければいけませんね。僕はあなたの、片翼(ベターハーフ)なんですから」 「そうだ」  強く同意してくれたシメオンの態度こそが揺らがない。あまりのマイペースぶりに腹が立つことも多々あるが、インペリアルばかりの環境にいまだ不慣れなワスレナにとって、彼の変わりのなさに救われることも多かった。 「……それに、この後のほうが本番ですものね」 「そうだな」  うなずくシメオンの声にも少し力が入っている。本日の彼がピリピリしているのは、パーティの後に用意された特別イベントのためだ。 「それにしても、研究対象としては興味のある相手でしょうに、嫌そうですね」  自分にとっては唾棄すべき裏切り者だが、学業最優先のシメオンは案外喜ぶかもしれないと考えていた。不思議に思って尋ねると、 「……お前がやつにされたことを思うと嬉しくない。無関係な連中にあのことを知られたくないので引き受けた」  ぶすっとした口調で吐き捨てるように言われ、シメオンには悪いが心が少し温かくなった。彼のためにも、「やつ」ときちんと向き合わねばと、強く感じた。 「そうですね。僕も、がんばります」  意気込むワスレナであるが、シメオンは不機嫌なままである。 「……そんなにがんばらなくてもいい。助っ人も呼んであることだし、お前はできるだけ直接相手をするな」 「助っ人?」  誰だろう。シメオンが言うように、あまり話を広げたくないこともあり、自分たちにお鉢が回ってきたはずなのだが。そんな疑問を持った時だった。 「シメオン、ワスレナ」  近づいてきたのはセブラン・ルミナリエである。シメオンやジョシュアと同じ、生活感のない白いコート姿できっちりと装っているのに、ややだらしなく見えるのは「人徳だよな!」とのこと。ジョシュア代行を務め始めた当時は兄のコピーのような振る舞いをしていたが、徐々にぴんぴんと跳ねた癖っ毛も含めて本来の奔放さを発揮し始め、代行の座から解放された今はやんちゃな次男坊に戻っている。  もっとも、代行ではなくなったとはいえ、もともとの立場である副総帥に戻っただけなのだ。ちゃんとしろ馬鹿、と片翼(ベターハーフ)であるカイ・アントンには毎日のように怒られているのだが、懲りた様子はない。怒られることを喜んでいるようでさえあるから始末が悪い。  ただし、ただのちゃらちゃらした軽薄な次男坊にはゴールデン・ルールの総帥代行も副総帥も務まらない。挨拶に来る名士たちをお調子者な発言で沸かせていた時と異なり、その表情には緊張が漂っていた。そういう顔をすると、彼とシメオンが実はそっくりであることがよく分かる。 「ぼちぼち兄貴が閉会の挨拶をするが、二人とも準備はいいか?」 「問題ない」 「……はい」  うなずいたシメオンとワスレナの声に、「パパー!」という可愛らしい呼び声が重なった。カイが彼とセブランの一人娘、ステファニーを連れてやって来たのだ。前ゴールデン・ルール総帥にして三兄弟の父であるサミュエルと、その妻であるインペリアルの女性、ハリエット……要するにワスレナにとっても義理の父母である二人が一緒にいる。 「セブラン、ダディとマミィのところへ行く前に、ステフがお前に会いたいとよ」  娘に受け継がれたハニーブロンドがまぶしいカイは、一見コンセプションらしからぬ体格のよさと陽気さを持つ好青年だ。家族を愛し愛されてきた彼が愛娘に向ける微笑みには、慈愛があふれている。 「やったー! 俺ももちろん、お前に会いたかったぜ、ラブリーエンジェルステファニーちゃーん!!」  セブランもたちまち相好を崩し、おめかしをしたステファニーを抱え上げて頬ずりした。ステファニーはくすくす笑いながら身をよじり、 「やだもー、パパったら、子供みたいなんだからー!! えへへ、でもステフも久しぶりにパパにいっぱい会えて、だっこしてもらえて嬉しいのー!!」  きゃあきゃあと楽しげな声を上げるステファニーであるが、「久しぶり」という言葉に大人たちは少しばかり胸を痛めた。  ステファニーは両親の忙しさ、加えてジョシュアが兇刃に倒れたという前例もあり、基本的には祖父母に預けられセキュリティに守られている状態だ。食事は可能な限り両親が用意しており、忙しい合間を縫ってスキンシップはしているものの、絶対的に触れ合う時間が少ないのは事実である。 「……よーしよーし。ステフ、もうちょっとの辛抱だ。ジョシュア兄貴が復帰して、面倒ごともだいぶ片づいた。あともー少し世間が静かになったら、もっとたくさん一緒にいられるからな!!」 「うん! そしたらステフもパパのお世話をして、ママに楽させてあげるね!!」 「……ちょっとちょっと、それはねーんじゃねーの、ステフちゃーん……?」  無邪気な一言にセブランが情けなさそうに眉を下げ、周囲がどっと笑う。ワスレナもつられて微笑んだが、逆にそれによって、自分の顔が強張っていたことに気づいた。ステファニーの境遇に心を痛めていたゆえではない。 「おやおや、みなさん、僕の弟ばかりに注目していらっしゃいますね。不甲斐ない僕は、もうちょっと寝ていたほうがよかったかな?」  おどけたジョシュアの声にさらなる笑いが起こり、全員の注目が再びジョシュアへ集まる。彼が閉会の挨拶を行っているのを聞きながら、ワスレナはぎゅっと拳を握り締めた。  先ほど話しかけてきたインペリアルはもちろん、この場に集うのはみな、優しく気遣いのできる人々なのだ。  ついに現れたシメオンの片翼(ベターハーフ)を見ても、ステファニーとじゃれ合うセブランたちを見ても、ワスレナに「子供はまだか?」とせっついてこないのだから。 「まだお子様がいらっしゃらないエリン様に、遠慮しただけかもしれないけど……ああ、くそッ」  誰にも聞こえないように毒づいたワスレナは、己の狭量さに辟易して整えた髪をかき回した。  ジョシュアは長期にわたって生死の境を彷徨っていたのだ。しかもワスレナが神と仰いでいた男のせいである。子作りのことで引き合いに出すような相手ではないだろうに、どうかしている。  しかもこれから、その神と再会するのだ。さらにぐっと拳を握り締めたワスレナは、お開きとなったパーティ会場を後にし、より上層階へ……ゴールデン・ルールの心臓部に当たるエリアへと移動を始めた。

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