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第2話

 この世界に生きる人々は、ABO式血液型とは別に三つの血筋(ブラッドタイプ)に分かれている。  タイプ・インペリアル、タイプ・ノーマル、そしてタイプ・コンセプション。このうち八割を占めるタイプ・ノーマルはいわゆる普通の人間であり、体質の宿命による恩恵も受けないが、それに振り回されることもない。大半がミドルタウンで一生を終えるが、優秀な者はアッパータウンへ迎え入れられ、「支配の血筋」と言われるインペリアルの補佐を務めることがある。 「黄金の血筋」ゴールデン・ルールに代表されるタイプ・インペリアルの人口に於ける割合は一割。だがその圧倒的なカリスマにより、特に政治分野の占有率は七割を超える。学業や芸術分野にも秀でている者が多く、身体能力も高く、見た目も麗しい。正に世界を導く存在と言えよう。  残り一割がタイプ・コンセプション。どこか陰があるが美しい姿をしている者が多く、男性であっても体つきが華奢で女性的である。それは見た目だけではなく、「孕む血筋」と呼ばれる彼等は数ヶ月周期で発情し、見境なくフェロモンを振りまいてノーマルやインペリアルをセックスに誘う。発情期のコンセプションは男女どちらも体内に子宮を有し、精子を受け取れば子を授かることが可能だ。  最悪(ザ・ワースト)、哀れな血筋(ミザリー・ブラッド)、果ては雌犬の血筋(タイプオブザビッチ)などと呼ばれるコンセプションは、長らく無能な淫乱という烙印を押されてきた。彼等とて好きで発情しているわけではないというのに、本能の熱に蕩けた肢体を貪るだけ貪っておいて、事後は「お前が誘ってきた」とすげなく放置されることが多々あった。  その解決策として、半身誓約がある。発情フェロモンを出しているコンセプションの体の一部、大抵はうなじをインペリアルが噛むことによって、本能は互いを半身と認め合う。そもそもコンセプションがフェロモンを垂れ流すのは、つがう相手を求めてのことだ。その相手が誓約によって定まれば、半身たるインペリアル以外を誘う必要がなくなり、発情期は来なくなる。  ただし半身誓約は、インペリアルからは一方的な解除が可能だ。本気であろうが遊びであろうが、誓約を解除されたコンセプションは心身を病み、最悪の場合は死に至る。 「だがお前は、そこのインペリアル様に一度半身誓約を解除されたにもかかわらず、見事に生き延びて今ではゴールデン・ルールの最新片翼(ベターハーフ)というわけだ。出世したものだな、ワスレナ。そろそろお前がヒロイン役のソープ・オペラが乱発されている頃か?」 「……」  スターゲイザーの外窓に使われているのと同じ強度を誇る強化ガラスの向こうで、かつてワスレナの神だった金髪の男が嘲る。ノーマルとは思えない傲慢な美貌は拘束着を着せられ、実験動物のごとく電子手錠で四肢を拘束されてなお、王の輝きを帯びていた。  スターゲイザー内には幾つかのラボが設立されている。うち一部はコンセプション研究のために割り当てられており、シメオンも専門分野である航空工学と共に籍を置いている。ゴールデン・ルールがジョシュアの代でコンセプションへの差別を解消する方針に転換したため、コンセプションのフェロモンが効かない特異体質であるシメオンならと見込まれてのことだ。  最近はコンセプションだけの研究では足りないと、血筋(ブラッドタイプ)全体を対象とする研究へ領域を広げつつあった。そこへ新たなサンプルとして加えられたのが、ワスレナの名づけ親でもあるディンゴだ。タイムレスウイングの墜落事故を企んだ彼はそれが露見した時に報復を食らい、長く治療を受けていた。  無事に回復はしたものの、当然ながら無罪放免とはいかない。そもそもディンゴはジョシュアの影武者でありながら、その地位を良しとせず主の暗殺を企て逃走したばかりか、懲りずにダウンタウンで地下組織「サンスポット」を作っていた重罪人なのだ。命があるだけで不思議な状態である。  回復次第、部下のヴェニス共々終身刑で刑務所行き、というのが当初の話だった。だが慎重な協議の結果、彼が革命を起こそうと開発していたインペリアル化手術その他の情報を惜しまれ、モルモットとしてラボの奥に用意された独房で管理されているのだ。 「どうした、だんまりか。それもそうだろうな。だが、私の苦しい胸の内も理解してくれていいのではないか? ワスレナ。可愛い可愛い私の子猫が、間男とその家族までぞろぞろと引き連れて、見世物のごとき辱めを与えにきたのだ。嫌味の一つも言いたくはなるだろう?」  哀れっぽい台詞とは裏腹に、セブランやカイといった関係者一同を見回す姿は余裕に満ちている。代わりに他の研究者たちは席を外しているのだが、彼等を前にしていても嫌味の方向性は同じだっただろう。インペリアル化手術の踏み台として、繰り返し犯しては中途半端な半身誓約を結んで解除してきたワスレナはもちろん、仇敵であるゴールデン・ルールの面々を前にしても、堂々たる態度に変わりはない。 「黙れディンゴ。ワスレナへの侮辱は許さない」  唇を噛んでいるワスレナを庇うようにシメオンが一歩前に進み出た。冷たい怒りを帯びた美貌に大抵の人間は恐怖すら覚えるのだが、ディンゴは悠々としたものだ。 「久しぶりだな、シメオンぼうや。私が仕込んだ体でお楽しみか? 昔から乗り物が好きだったものな、お前は」  かつてはスターゲイザーの住人であり、ルミナリエ三兄弟ともある程度親しかった過去を持つディンゴにとってはシメオンも「ぼうや」である。 「……てめえ、今度こそぶっ飛ばすぞ」  いつものマイペースさはどこへやら、シメオンが凶悪に顔を歪めた。  今でこそドクターと呼ばれ、カレッジで講義を受け持ってもいるが、若い時分には敷かれたレールに嫌気が差してダウンタウンで過ごしたこともあった。感情が激すると、当時覚えた言葉遣いがしばしば顔を出すのだ。ましてワスレナを得てから顔を合わせるのは初めてで、そのワスレナを引き合いに出してからかわれたとあっては、怒りが先行するのも無理はない。 「や、やめてください、シメオン博士。もう終わったことです。僕の片翼(ベターハーフ)は、あなたなんですから……!」 「そうだぞ、シメオン。ワスレナに美しい名前を与えたのも、処女を奪ったのも確かに私だが、そうムキになるな。男の嫉妬は見苦しいぞ」  分かっているくせに、ディンゴは次から次へと火種を差し出してくる。いちいち挑発に乗るシメオンもシメオンだが、こっちはこっちで自分の立場を理解しているのかとワスレナは呆れた。 「……ディンゴ様も、いい加減にしてください。今のあなたは虜囚なんです」 「まだ私を様づけで呼んでくれるのか、可愛いやつめ」  言葉尻を捉えたディンゴが流し目を送ってくる。本日の再会は前々から周到に準備されてのことだ。罵られることも、このように秋波を送られることも視野に入れていたが、不覚にも胸がざわめいてしまう。 「そ、それは、その、口が慣れてしまっているので……シメオン博士、違います、もうこの人と僕はなんの関係もないんですってば!!」  あたり構わぬ怒りのオーラがシメオンの体から放射される。ワスレナばかりでなく、カイまでかすかな怯えを示し、セブランが無言で彼を庇う位置に立った。  せっかく仲裁に入ろうとしているのに、ディンゴは火に油を注ぐばかりだ。どうしようか、とディンゴからは見えない位置へ視線を巡らせたワスレナに応じ、背の高い影が檻の前に踏み出した。 「こらこら。あまり僕の弟たちをいじめないでほしいな、ディンゴ」 「! ……貴様……!!」  視界に入ってきた男が誰か分かった瞬間、余裕綽々だったディンゴの顔に衝撃が走った。 「やあ、久しぶり。君が僕を殺しかけて以来だね。元気そうで何よりだ。僕には絶対会いたくないそうだけど、来ちゃってごめんね」  にっこり微笑む元上司、ジョシュアの顔を数秒まじまじと見た後、ディンゴは舌打ちしていつもの不遜さを取り戻した。 「……チッ、そうか。貴様までが来るからこその、一族揃い踏みか。ふん、今頃復帰とは、体が鈍っていたんじゃないか? ジョシュア」 「後半はとにかく、前半については、ま、そーゆーことね。滅多にねー見世物じゃん、こんなの?」  セブランが皮肉っぽく口を挟むと、ジョシュア同様、ディンゴの死角にいた女性がすっとジョシュアの隣に立った。 「口を慎みなさい、ディンゴ。誰の嘆願のおかげで、あなたとヴェニスが助かったと思っているの? ねえ、カイ」  エリン・ルミナリエ。ジョシュアの片翼(ベターハーフ)であり、つらい環境に置かれたコンセプションたちにとって最初の希望の光となった女性だ。柔らかに光る長い金色の髪を背に、凛としたまなざしでディンゴを見据える。 「……エリン、お前もか」  彼女まで来ているとは思わなかったようだ。再び言葉を失ったディンゴに、カイが畳みかけた。 「そうですよ。てめえには貸しがあるんだ、ディンゴ。つべこべ言わずに、必要な情報を吐いてもらうぜ」  義姉であるエリンと一緒にディンゴの助命嘆願を行ったカイであるが、義兄の殺害を目論んだディンゴの全てを許したわけではない。虐げられたコンセプションとして、世界の理に異を唱える気持ちにある程度の共感を覚えていてもだ。 「雁首揃えて、何が目的かと思ったら……差し詰め、私の可愛い部下たちのがんばりぶりが気に食わない、というところか?」  復帰したばかりのジョシュアだけでなく、エリンまで連れて来たことでディンゴはおおよその事情を察したようだ。そうだよ、とうなずいたジョシュアを軽く手で制し、シメオンが再び口を開いた。

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