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23.誉と龍華

橘総合病院は、とりわけ脳神経外科が有名な大病院よ。 そしてアタシの主治医、卯月 誉先生は、脳神経外科の部長さん。 最近では大学病院の方でも活躍なさっていて、業界ではかなり有名なんですって。 店のお得意様からの情報だけど、もう殆んど"馴染み"の患者さんしか診ていなくて、新規となると、診察まで数年待ちもザラだとか。 というか、脳神経外科なんて数年待ったら"やばい"人ばっかりだと思うんだけど、その辺はどうなっているのかしら。 そんなことは露知らず、前に"彼、アタシの主治医よ"、なんてお店でうっかり口を滑らせたら、紹介して欲しいって問い合わせが殺到して本当にびっくりしたわ。 でもまあ、確かに。 検査の後、外来じゃなくてこんな奥の個室に通されるなんて、普通じゃないわよね。 病院とは思えない上質な皮張りのソファーに腰を下ろして、出して頂いた紅茶を楽しみながら、もう三十分ほど経ったかしら。 このVIP対応、何度されても本当に気分がいいわ。 ……なんてホクホクしていたら、不意に向こうのドアが開いた。 「龍華さん。 待たせてしまって、ごめんね」 入ってきたのは、卯月先生ご本人さま。 小脇に抱えたファイルは、アタシのカルテかしら。 実はアタシ、以前重い脳腫瘍を患って、彼に手術をして頂いたの。 その関係で、半年に一度精密検査を受けているのよ。 私も後でお兄様から聞いた話なのだけれど、カイ様が頼んでくれたからこそ、卯月先生が特別に執刀してくださったとか。 お陰で後遺症もなく、お二人には本当に感謝しかないわ。 「いいのよお。 先生、教授への昇進が決まって、とてもお忙しいんですってね?」 「あはは、君は情報通だなあ」 ふんわりと笑う卯月先生は、上品で物腰も穏やか。 本当にこんなスマートなイケメン、なかなかお目にかかれないわ。 それでいて、実力も地位もあるなんてホント天が二物を与えすぎるパターンってあるのねえ。 まあ、そんな完璧な彼でもひとつ気になることがあるとしたら、顔は笑っているのに、目が全然笑ってないところかしら。 「検査の結果は、特に問題ないね。 何か気になる症状は出ていないかな?」 「そうねえ、特に無いわ」 「そう、なら良かった」 流れるようにカルテに書き込んで行くその所作も本当にかっこよくて、惚れ惚れしてしちゃう。 「だったら、また半年後、定期検診に来てもらえるかな」 「はあい、わかったわ!」 「そうそう、半年後と言えば……」 すると卯月先生は、胸ポケットから名刺入れを取り出す。 渡された名刺には、そのお名前と"卯月先進医療クリニック"の文字が。 「今度ね、新しく病院を作るんだ」 「んまっ、独立ですか? おめでとうございますう」 「まあ、名目上はそうだね。 恐らく新しいクリニックに居ることが多くなるから、次の予約はそっちに入れてもらってもいいかな」 「ええ、構わないわ」 「ありがとう。 帰りに受付で事務長に声をかけてくれる? 話は通してあるから」 「分かったわ」 頷きながら、何となく名刺の住所を目で追う。 すると、見たことのある市、地区、丁、番地の羅列。 あら? これって、もしかした……いや、もしかしなくても。 「やだっ、カイさまのマンションのすぐそばじゃない!」 びっくりしすぎて、思わず声に出ちゃったわ。 卯月先生の方を見たら、 「そうなんだよね」 なんて苦笑い。 「狙ってかしら?」 「偶然だよ」 「ふうん……まあそういうことにしときましょう」 「君は手厳しいねえ」 ……というか。 私、ずっと気になっていたことがあるのよ。 いい機会だから、聞いてみちゃおうかしら。 「ところで、卯月先生とカイ様って、どういうご関係なのかしら?」 「今更? それを聞いてどうするの?」 「どうもしないわ、単純に好奇心よ」 「ふうん。 ちなみに、櫂はなんて?」 「カイ様には、そんな事とても聞けないわよ。 卯月先生の名前を出しただけで、烈火のごとく怒り始めるもの!」 「あはは、櫂らしいなあ」 「貴方は患者には"平等"で、どんな"VIP"の頼みでも正規の手順を踏まないと診ないって皆が口を揃えて言うわ。 なのに、アタシのときーー……カイ様の頼みは二つ返事で了承したそうじゃない。 ただのお友達って感じではなさそうよね?」 「うーん、ほんと、君の情報網はすごいねえ」 そして卯月先生は肩を竦め、思ったよりもあっさり答えてくれたの。 「櫂は僕の大切なパートナーだからね、特別」 「え?」 その言葉に我が耳を疑ったわ。 カイ様とこの人が、パートナー? って、一体何の? ビジネスパートナー……ではないわよね、業種が全然違うし。 ってことは、もしかして、もしかして……。 「………………付き合ってるってこと?」 「俗な言い方をするとそうだね」 「げ、現在進行形で?」 「勿論」 あのカイ様が?!卯月先生と?!本当に?! 予想の斜め上な回答に、流石のアタシも次の言葉が出てこない。 だってカイ様にはユウもいるし、そもそもあの荒れて干からびた生活ぶり。 どう考えても恋人がいる感じじゃないもの。 それに、そうよ。 卯月先生はご結婚されていた筈よ。 それも、お相手はこの橘総合病院の院長さまのご令嬢よ。 やだわ、卯月先生ってば、私の事をからかったのね?! 「もう、悪い冗談はよしてくださいよお」 「本当の話だよ」 「んまっ、だったらその指輪は何かしら」 「結婚指輪だよ」 「でしょ、だったら」 「結婚に至る理由や事情は様々だよ、龍華さん。 君ならこの意味、わかるでしょ?」 「…………」 細められた切れ長の目が、冷たくアタシを見据えている。 きっとこれ以上は踏み込んじゃいけない領域……、そう悟って口をつぐんだ。 ーーーつまり。 卯月先生とカイ様は、人目を忍ぶ恋ってこと? だからカイ様は、こんな"スパダリ"がいることを私たちに隠してきたの? どんな事情があるかはわからないけれど、あの暴虐武人で我が儘で無神経なカイ様が、その裏で敢えて身を引くようなことをして、苦しい思いをしていたなんて、アタシ全然気がつかなかったわ! これじゃあ、プロフェッショナルなオネエ失格よね。 アタシもまだまだだわ……。 落ち込むアタシに、いつの間にかいつもの優しいお顔に戻った卯月先生が 「君は櫂が心を開いている数少ない"友人"のようだ。 いつも彼の力になってくれて、本当にありがとう。 櫂は少し世間知らずなところがあるからね。 君みたいなしっかりした子に支えてもらえたら、パートナーとして僕も安心だし、とても助かるよ。 これからも、是非よろしくね」 と、微笑みながら言ってくれたの。 そんなこと、カイ様本人からも言われたことがないから感激しちゃったわ! だから得意になって、 「もちろんよ、任せて!」 って、卯月先生の手を握りながらお約束をしてあげたの。 そして病院を後にして、アタシは予定通りそのままお店に向かう。 そこには既にあからさまにイライラしているカイ様と、ソファーでダレているユウがいたわ。 「おい、おせーんだよ、お前」 ……そんなことを言われても、まだ約束の時間の五分前よ。 いるわよね、いつも遅刻してくるくせに、たまに時間より早く来て遅いってキレる人。 いつもなら一言、二言返してやるのだけど、今日のアタシはそんなことはしないわ。 だって卯月先生と約束したし、カイ様の胸の奥に秘めた苦しみがわかるから。 「……どうした?具合でも悪いのか?」 いつもと違う反応に、少し動揺しているみたい。 そう、カイ様って想定外のことに弱いのよね。 もしも卯月先生とのことを私が知ってるとわかったら、どんな反応をするかしら? かなり興味はあるけれど……。 「……なんだよお前、今日、マジでおかしいぞ。 もしかして、検査の結果が悪かったのか?」 「ううん、そんなことないわ。 むしろ絶好調よ!」 「そ、そうか、なら良かったけど……」 「うふふ」 「??」 でも、アタシ、決めたの。 カイ様から話をしてくれるまで、今日のことはアタシの胸にしまっておくってことを。 それから、カイ様の切ない恋を全力で応援するってことを!!

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