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1一8
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橘は根っから悪そうな人ではないのは、何となく分かってきた。
ネクタイを結び直してくれたり、こっそり公式を教えてくれたり、周りに聞こえないようにアドバイスめいた事を言ってくれたり。
それは由宇にだけではないから、他の生徒も橘の本質に薄々気付き始めているようだった。
中間試験が終わったらすぐに体育祭の練習に入ったけれど、由宇は例によってそれには参加していない。
ほんの少し肌寒いような、でも時折汗ばむような、よく分からない梅雨入り前の天候。
今日は稀な快晴の中、クラスメイト達は運動場を忙しなく走り回っている。
徒競走の練習だ。
由宇も走れなくはないと思うのだが、実は担任にはちょっと大袈裟に事情を話して体育祭参加を免除してもらった。
「だって怖いもん……」
リハビリは死ぬほどツラかった。
車椅子生活を四ヶ月も続けていたら、リハビリは歩き始めるところからのスタートで、その第一歩の恐怖ったらなかった。
筋肉を付けるために毎日汗だくになって下半身強化のトレーニングをこなして歩けるようにはなったけれど、外科医である父親からは未だに「まだ痛むのか」と問われるほど無自覚に足を引き摺っているらしい。
事情を話した怜に聞くと、「引き摺ってるように見えないよ」と言ってくれたので、それはきっと父親が医師目線で見てくるからいけないのだ。
由宇の右太腿上部には生々しい手術痕があり、それを見る度に事故の際の、ボキッという骨が折れる嫌な音と激痛が蘇ってくる。
たまに悪夢を見てうなされて起きるくらいだ。
痛みも無ければ足を引き摺るような事もないから、体育祭程度の運動は平気なのだろうが、やはり怖いものは怖い。
出来れば一生走りたくなんかない。
体育が少ないというのも進学校の利点だと思っていたのに、こんなに早い時期に体育祭があるなんて最悪だった。
由宇は、万が一見られたら嫌な手術痕を隠すために下は冬用の長ジャージを履いていて、上は半袖だった。
木陰にいると肌寒くなって、教室に長袖を取りに行こうと立ち上がる。
階段を上がりかけたところでふと煙草のにおいがして、まさか隠れて生徒が吸っているのかとそのにおいを辿っていくと。
「………っ……」
かったるそうに壁に背を預けて煙草を吸っていたのは、生徒ではなく例の先生だった。
「覗くなよ、サボり」
「サボってません!」
「じゃあなんでこんなとこいんの」
「先生こそ!」
「俺は4限授業ねーからサボりじゃねー」
由宇の方は見ず、空を見上げたままそう話すスーツ姿の橘は、完全にヤが付く人に見える。
「あ、お前あん時の新入生じゃん。 そうだろ? 白井由宇」
「げっ…」
「あ? いまゲッっつった?」
「い、いえ! とんでもないっ」
「聞こえたし。 っつーかお前あれだな、数学ダメだな」
「………………………」
「中3の公式がうろ覚え過ぎ。 そんで慌て過ぎ。 あと字が汚ねぇ」
そんな畳み掛けてこなくてもいいじゃん…!!
気にしている事をズバズバ言われイラついた由宇は、橘を睨みつけてそのまま無視してプイとそっぽを向き、回れ右して階段の方へと歩いた。
「何なの、あいつ! めちゃくちゃ言うじゃん! 腹立つ〜〜!」
入学式での由宇の事を覚えていて、しかもフルネームまで記憶していたなんて初めて知った。
なるべく目立たないように、柏木の影に隠れられてラッキーとさえ思っていたのに、そんな様子も壇上に居る橘にはお見通しだったに違いない。
なんて事だ。
今の一件でまた由宇は橘が苦手になった。
いや、嫌いになったと言ってよかった。
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