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4一1
4一1
気持ち程度の夏休みが明けて、二学期に入った。
由宇の家庭環境は相変わらず重たいまま、そして怜の方も進展がないのか変化は見られなかった。
ほとんど毎日怜と居たので、解決策を求めて動こうにもそれも出来ずにいる。
九月に入ってもまだまだ暑い。
ようやく慣れてきたネクタイを結んで、いつもの気持ちで由宇は自宅を出ようとしていた。
「由宇、待ちなさい」
珍しく朝から起き出していた母親に呼び止められて、振り返る。
「母さん達、別居する事になりそうなの」
「………え?」
「ここは父さんと由宇が住む事になるから、母さんは出て行こうと思ってる」
「ちょっ、待ってよ。 ……離婚するって事?」
「そうなると思う。 まだハッキリとは決まってないんだけど、母さんもう疲れたのよ」
「………………………」
立ち止まった由宇は、フローリングの床にドサッと鞄を落とし絶句した。
清々しい朝一番の親子の会話とは思えない。
多分そういう結論に達するだろうなと予想はしていたが、いざそれを目の前に突き付けられると思った以上に動揺してしまう。
仕事の疲れだけではない、日々のストレスからなのか母親はここ一年でグッと老け込んだ。
顔を合わせる度に父親と怒鳴り合う精神的苦痛も相当なのだろう。
「疲れたのよ」とダイニングに突っ伏した母親は、生きる事にもそう感じていそうだった。
「あの………時間ある時にまたゆっくり話そうよ。 俺もう行かなきゃ…」
「そうよね。 ………由宇、ごめんなさいね。 あなたは好きな道に進んでいいんだからね。 医者になんてなるもんじゃないわよ」
「……………行ってきます」
落とした鞄を拾い、ひどく疲れた顔をした母親を直視出来ないまま、由宇は逃げるように家を飛び出した。
医者になんてなるもんじゃない、そんな事を言われる日が来るとは思わなかった。
そして何より心を揺さぶられた、両親の離婚危機。
両親がどちらか欠けるという驚きと悲しみよりも、あの喧嘩を聞かなくて済むかもしれないとそちらの安心をしてしまった。
受け止めきれなくはない。
だってずっと危機的状況だったのだから。
大人二人が不機嫌丸出しの家の中は、由宇にとっては息苦しくて息苦しくて、たとえ家が無人でも二人の怒鳴り声が聞こえてきそうなほどそれは毎日だった。
生きづらいだけじゃなく、由宇すらおかしくなってしまいそうだった。
それが、不幸にも両親の離婚で安堵の生活が送れるかもしれないと思うと、複雑な心境だ。
二人は好き合って結婚したはずなのに、いつからあんな風に憎み合い始めたのか。
両親が離婚するかもしれないと分かったところで、由宇にはあまりダメージが無かった。
早い段階で愛情を掛けてもらえなくなったからだ。
一緒に住んでいるだけの形ばかりの家族。
確かに喜怒哀楽を出せる、むしろ感受性豊かな由宇の心の奥底は、そんな風に冷めきった部分もある。
橘が言っていた、「みんなが幸せになるのは難しい」という台詞が蘇ってきた。
怜の家族を何とかしたいという思いの中で、難しいかもしれないけれど丸く収める事は出来るはずだと願っていたが、そうではないのかもしれない。
両親を目の当たりにしていたここ数年の事を思い起こせば、二人…いや由宇を含めた三人は幸せなんかじゃ到底無かった。
(別れた方が幸せ…って事もあるのかな……)
由宇はてっきり、元サヤこそが幸せだと思っていたけれど、そうとは限らない事に気付く。
お互いに違う人生を歩む事もまた、新しい道なのかもしれない。
駅で怜から声を掛けられるその瞬間まで、由宇は答えのない問題を考え続けた。
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