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7一1
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怜は本当に温かい家庭で育ったようだ。
幼い頃の怜の思い出のアルバムを見せてくれながら、遠い目をしている怜の横顔が寂しそうでいたたまれない。
由宇は何もかもを順調に進めていた。
怜の自宅に泊まる事になって三日目、ついに怜の楽しかった思い出を語らせる事が出来ている。
だがそれは由宇が意図していたような筋書きではない。
泊まりに来て二日目の夜、悪夢にうなされて泣きながら目を覚ました由宇は、怜に抱き締められて背中を撫でられる事でようやく落ち着いた。
ここしばらくそんな事は無かったのに、ひどく汗をかいてやたらと呼吸が苦しかった。
まったく覚えていないけれど、相当に嫌な夢だったのだ。
無意識に怜にしがみついて、「家族って何?」と泣きながら問うたらしい。
由宇はこの時の事をあまり覚えておらず、怜は今日渋々とだがこうしてアルバムを見せてくれている。
「由宇、眠りたくなかったら無理に寝なくていいよ。 俺も一緒に起きてるから」
「ううん、大丈夫。 でもうなされてたら起こしてくれる? 寝ながら泣くのしんどいんだよ」
「…分かった。 なぁ由宇。 ……ずっとここに居なよ。 由宇は平気な顔してるけど、心はツラいんじゃない? そろそろ我慢できなくなってるんだと思うよ?」
「………どうかなぁ…最近あんまり喧嘩する声聞いてないから、大丈夫だと思うけど。 それより毎日俺が居たら怜が眠れなくなるよ」
「俺は寝不足でも構わないよ。 …俺も独りだし…由宇が居てくれたら嬉しい」
優しい怜に魅力的な提案をされたけれど、由宇はそれには即答しなかった。
泣きながら目を覚ますのはこれが初めてではなくて、実は何回か同じように怜に迷惑を掛けてしまっている。
自宅で一人の時なら構わず泣き喚けるのだが、怜にもその様を見せてしまうのが何となく心苦しい。
相手が事情を知る怜であっても、出来ればそんなに見せたいものではないからだ。
無意識下で、しかもその時の事はあまりよく覚えていないので、やはり泊まるのは週末だけにしなければと思った。
「……由宇?」
ふと楽しげな家族写真に目をやる。
怜は由宇とは違い、家族の愛を知っている。
このアルバムの中に居る園田家の笑顔を取り戻せる可能性が1%でもあるならば、行動を起こすべきだ。
橘に協力しなければという思いもあるにはあったが、由宇の知らない家族というものを怜は知っているのだから、何もしないでただいたずらに時間を過ごすのはよくないと思う。
(どうか、お母さんを助けてあげて、怜ーーー)
「………ねぇ怜。 またその話?って嫌がられるの分かってるけど…。 お母さんのお見舞い行ってあげようよ。 俺も……」
「嫌だよ、それだけは嫌」
「聞いて、怜。 ……俺さ、母さんとの思い出も父さんとの思い出も無いから、単純に怜の事が羨ましいよ。 今は怜もツラいかもしれないけど、お母さんはもっとツラいんじゃないかな? たくさん思い出もあって、笑い合って、あったかい家族だったんでしょ? 愛し合って結婚したはずの旦那さんが離れていって、心が壊れないはずないよ。 今その旦那さんは頼りにならないんだから、それを支えてあげられるの、怜しか居ないんじゃない?」
「…………………………」
「俺、分かったんだ。 怜はお母さんに会いたくないんじゃなくて、怖くて会えない。 そうだよね?」
俯いて、言葉を発さなくなってしまった怜の顔を覗き込む。
由宇は、怜の家族が羨ましかった。
アルバムの中の三人は何とも美しい笑顔で写っていて、まるで知らない世界を見ているようだ。
怜の顔から視線を外し、瞳を瞑る。
事故で入院を余儀なくされた時、外科医である父親が勤務する病院ではない場所を選ばされた。
ああいう場合、息子が大怪我を負ったとなれば我先にと執刀してくれそうなものだが、病院からして違ったので頼るに頼れず寂しい思いをした。
母親の勤務先でも無かったし、友人らは中学三年という受験戦争真っ只中だったのでお見舞いにはほとんど誰も来ずだった。
個室で独りポツンと窓の外を眺めては、どうしてこんな事になったのだろうと何度悲観したか分からない。
夜中は、骨の軋む痛みに眉を顰めて堪えた。
退院してリハビリ生活を送っていても、暗くジメジメした家に活力を見出すものなど何一つ無くて切なかった。
両親共に確かに現存しているのに、この孤独感は一体どういう事かと考えるのも寂しくなるからやめて、とにかくひたすら勉強した。
苦手な数学は伸び悩んだが、他の教科はそこそこ取れていたため怜と出会えたこの高校に入れたものの、状況はひどくなる一方でついに両親は離婚だ。
一刻も早く離ればなれになればいいのに。
そうすれば、家族一緒くたに孤独に苛まれるだろう。
それを望む由宇の胸中は、ひどく寒々しい。
(チャンスがあるかもしれないんだよ。 元に戻そうよ、怜ーーー)
こんなにも温かい家族はバラバラになんかなってはいけない。
由宇とは違う家族の形を知る怜が、孤独など味わう必要はない。
今は少しだけ、人間としての試練を誰からともなく与えられているだけ。
(そんな風に思えたら、怜も前に進めるかもしれない…)
頑な怜の心に呼び掛けて、当初は説得なんて不可能だと思っていた由宇だったが、それは見事に成功しそうだった。
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