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7一6
7一6
目が覚めると由宇は一人で布団の中に居た。
眠る直前まであれだけ、怜の誤解を早く解かなければと焦っていたのにこの有様だ。
どうしようのおまじないによって、まるで現実逃避をするように一瞬で夢の中へ旅立ってしまっていた。
眠れない素振りでゴソゴソと寝返りを打って、怜の狼を目覚めさせる一歩手前までしでかしていたのはどこの誰か。
「あ、起きた? おはよ、由宇。 朝ごはん出来たから顔洗っておいで」
「うん……ありがと。 おはよ…」
寝惚けながら体を起こしたところに怜が現れて、未だお付き合いが継続中だという事をまざまざと思い知らされた。
どこかで、もしかしたら自分はまだ夢の中に居るのではないかと楽観視しようとしてすぐに、それこそ現実的ではないと悟る。
言葉の端々から伝わる優しさと愛情を受ければ受けるほど、由宇の心はどんどん窮屈になっていく気がした。
怜の気持ちを思うならば、訂正する事に怯えてぐるぐる目を回している場合ではなく、時間を掛けている暇ももちろんない。
(早く言わなきゃ…。 俺のために怜の時間を割かせたくないよ……)
キッチンで物音がする。
怜が恋人である由宇のために温かい朝食を支度してくれているのだ。
出来たと言っていたから急いで歯を磨いて顔を洗って、熱いうちに頂かなければ。
「………ん…? 俺の?」
ベッドから降りたその時、由宇のスマホが低い振動音による着信を知らせていた。
鞄の中にしまいこんでいたので取り出すと、相手は朝が苦手なはずの魔王からである。
「えぇっ? 俺ふーすけ先生に番号教えたっけ?」
振動し続けるスマホを握って固まってしまった。
そういえば橘の家に泊まりに行くとなった時に、由宇の番号を登録しておけとスマホを渡された記憶がある。
大人しく由宇は橘のそれへは登録したが、由宇のスマホの画面に「ふーすけ先生」と表示されているのはどう考えてもおかしい。
「先生っ、俺のスマホ勝手にイジっただろ! まったくいつの間に…!」
『朝の挨拶はどこ行ったんだよ。 細けー事は気にするな。 ハゲるぞ』
「その心配はハゲてからするからいい! 朝っぱらからどうしたんだよ!」
『その様子だと貞操守れたみたいだな。 今日から俺ん家だろ。 用事あっからそれ終わったら迎えに行く』
「ちょちょちょちょ、待ってよ、先生の家には行かないって言ったと思うけどっ?」
『お前の話は聞かない事にした。 また明日なって言っただろ? っつー事で三時に降りてこい。 じゃな』
「あっ、ちょっと…! …もう切ってるし。 ………っつー事でって何だよ…」
(強引過ぎるだろ………)
用件を言うだけ言って切られてしまい、履歴の一番上に「ふーすけ先生」が表示された。
今日は土曜日で、しかもたまたま課外の無い休日だから「また明日な」というセリフ間違えてるよ…ププ、と昨日心のどこかで笑っていたがこんな事になろうとは。
キスの衝撃は未だ色濃く由宇の中で戸惑いを生み続けているから、出来る事なら授業ですら会いたくないと思っていたのにこれだ。
橘の家には行かないと断ったはずが、もう時間指定までされて迎えに来る気満々であった。
(なんであんなマイペースで居られるんだよ! 怜の事でも頭がいっぱいなのに…!)
「由宇? 今誰かと電話してた? 話し声したけど」
どうしたもんかと頭を悩まされる前に、怜が不思議そうに部屋へと入ってきた。
「先生」という単語を聞かれてやしないかとヒヤヒヤしたが、大丈夫そうだ。
橘と話すとつい由宇もムキになってしまうので、声量を考えなくてはいけなかった。
まさか橘の家に行くとは言えずに、歩み寄ってくる怜に向かってとてつもなく動揺しながら声を絞り出す。
「あ、い、いや、あの…ばあちゃんから。 週末は俺、帰るね」
ーーー怜に吐く嘘は死ぬほど嫌だ。
橘を誤解したままの怜にはただでさえ言えない事が多いので、言ってはいけない事をポロッと口走ってしまわないか、その不安とのせめぎ合いもあって大変である。
帰ると言うと途端に怜は不機嫌そうに眉を顰めた。
「え? それ本当か? なんだよ、しばらくここに居るって言ってたのに」
「そ、そうなんだけど、どうしても来いって言われて…その……」
「………分かったよ。 おばあちゃん家に着いたら連絡して。 おばあちゃんも由宇の事が心配なのかもしれないしな」
優しい怜はすぐにそう頭を切り替えてくれて、由宇の激しく動揺した気持ちを落ち着かせてくれた。
「……そうだね、うん。 そうかも……ははは…」
(嘘ばっかついてごめんね、怜……全部解決したらふーすけ先生の事どんだけ殴ってもいいからね……)
憤る怜などまったく想像つかないけれど、心穏やかになれる日が一日でも早く訪れてほしい。
そうすれば、由宇への感情がただの恋に似た別のものだと気付いてくれるのではないかと慮った。
怜はまだ関係を先に進めようとはしないでくれるようなので、今日橘と過ごす事になるならばこれだけは相談してみよう。
あんなにも甘酸っぱい大人なキスを仕掛けてくる橘なら、フッと悪魔のように笑んで昨日のように余裕綽々で受け答えしてくれるのではないだろうか。
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