79 / 196

8一9

8一9 怜を一人にしておけない、そう思っていたけれど、母親と会った事で心に余裕が生まれたのかずっと表情が穏やかだ。 「由宇はおばあちゃんの所に戻るの?」 「へっ? …あ、あーっと、うん、そう」 「そっか。 俺はもう大丈夫だけど、由宇が心配だな。 母さんがもう少し落ち着いたら、俺も由宇の力になりたい。 …わざわざおばあちゃんの家から駆け付けてくれてありがとう」 (ち、違う、少し違うんだ怜…!! おばあちゃんはどっちも他界済みで、ほんとは居ないんだよーっ) 由宇がまだ幼かった頃、両親共の祖母は亡くなっている。 橘と居るだなんて言えないので、つい口から出まかせで「おばあちゃん」を多用させてもらっているが、そろそろしんどくなってきた。 お付き合いの件が丸く収まったら嘘をつく必要なくなるだろ、と悪魔顔で笑われた事を思い出し、思わず内心で橘に「嘘つき魔王!」と暴言を吐いた。 (ばあちゃん家じゃなくて、先生とペンションに戻ります♪とか言えるわけないじゃん!! 結局嘘つかなきゃいけない!) ハハハ…と愛想笑いを浮かべながら、由宇は制服を持って玄関へと急ぐ。 階下の魔王を長くは待たせられない。 そう思い、立ったまま靴を履いてる由宇の背中から、怜が不意に抱き締めてきた。 「由宇、いつでも泊まりにおいでね。 週末は待ってるから」 「うん。 ありがとう、怜。 ……お母さんのお見舞い、俺も行けるときは一緒に行ってもいい?」 「もちろんだよ。 一緒に来てくれたら心強い」 怜の腕の中で振り向くと、もう一度名残惜しげに由宇を抱き締めてすぐに解放した怜が、また月曜にね、と微笑む。 ほんの朝まで怜との仲を案じていた由宇は、変わらない友情を感じて笑顔が止まらない。 (良かった。 怜が心から笑える日がくるの、そう遠くないかも…) たとえ父親が懲りずに歌音と逃避行してしまっても、怜と母親の絆が強くあれば二人は逞しく前向きに日々を送れるような気がした。 きっと、怜も、怜の母親も、芯の強い人間だ。 あの橘を更生させようと奮闘したという怜の母親なら、大丈夫。 微かだが怜の一件に光が射し込んで、由宇はニコニコでエントランスを進む。 (あっ! わ、忘れてた……これから先生と…) 和やかな怜との時間で忘れられていたのに、橘の車を見るやまたもあのキスと言葉が蘇ってくる。 由宇にはここから回れ右して走り去る選択も出来たはずなのに、あっさりと橘の車の助手席に乗り込んだ。 「…〜マジで? やっぱなぁ。 俺お手柄だろ。 前科消しといてよ」 シートベルトを静かに装着して、電話中の橘の邪魔にならないように息を殺す。 持ち帰ってきた制服を抱え直していたら、「前科」という言葉に驚いて橘の横顔を見詰めた。 「うわ、またそんな昔の事言ってんの? もう聞き飽きたんだけど。 っつー事でじゃーな」 何故か通話の終わったスマホを由宇に手渡すと、橘は無言で車を発進させた。 渡されたもののどうしたらいいか分からないのでとりあえず黙って持っておいたが、またスマホが着信を知らせてくる。 「通話スピーカーにして」 「あ、うん、了解」 言われた通りに由宇はスマホを操作した。 運転中の橘が「誰?」と問うと、電話の向こうから橘と似たような喋り方の男が笑っている。 『なんだよ、運転中なのか? 今いい?』 「あぁ。 樹さんな」 『歌音が実家から逃げたらしいぞ』 「何だと? それいつ?」 『二時間前。 風助に連絡取れねぇって、拓也から俺に電話掛かってきた』 「マジかよ。 二時間前っつー事はもう拓也達が捕まえてんだろ?」 『いや、俺もその後スタジオ入ってたから分かんねぇ。 急いで連絡取ってみろ』 「分かった。 サンキュ、樹さん」 電話の相手は、以前にも聞いた事のある「樹さん」からだった。 橘が副総長をしていた暴走族の、総長だった男だ。 そんな事よりも、スピーカーにしていたおかげで丸聞こえだった内容に由宇も少々慌てていた。 「歌音さん、居なくなったの!?」 「らしいな。 着歴から拓也探して掛けてくれるか」 「う、うん!」 再度、橘のスマホを操作して拓也へと繋ぐ。 待機していたのか、拓也はすぐに電話口に出た。 『風助さん! 樹さんから聞きました?』 「あぁ、聞いた。 捕まえたんだろーな?」 『もちろんっす! でもちょっと困った事が』 「なんだよ」 『対象Bも一緒です』 「ほー。 今どこ? 俺もそっち行く」 拓也が示した場所は某ビルの名だった。 赤信号に差し掛かり、橘は由宇の手元にあったスマホを取ると胸ポケットにしまう。 「悪い、ちょっと用事出来た。 このまま行くけど構わねー?」 「いいよ。 対象Bって何?」 「ひょろ長の親父。 どうやって連絡取ったのか分かんねーけど、落ち合うつもりだったんだろ」 「そうなんだ…。 あ、さっきの電話は何だったの?」 怜の父親と歌音が早くも逃避行を再開しようとしていたと聞いても、由宇はあまり驚かなかった。 何となく予想出来た事で、ただたった一週間しか経っていない今日それを実行するとは、よほど会いたかったのだろう。 怜と母親の絆を深める大きなチャンスを得た今は、不思議と、もう好きにさせてやればいいのにと思ってしまう。 「あぁ、ヒネにキモい男が自首したかどうか確認した」 「あ!! ど、どうだった!?」 「自首したらしい。 あいつやっぱ余罪ありまくりだったぜ、面見てすぐ分かった」 「余罪…! 変装までして病院に忍び込んでたもんね…!」 「まんまと引っ掛かりそうな奴が居たしな。 あーあんま思い出させんな。 この後また一暴れしなきゃなんねーのに、手加減出来なくなんだろ」 それは絶対に由宇の事を言っているだろと突っ込もうにも、血走った目のブチギレ橘は誰にも止められないので、今釘を差しておかなくてはと由宇は冷静だった。 父親と歌音の居る現場に向かっているであろう事は分かっているため、ヘッドホン越しに聞いたあの日の大暴れの再来は早めに食い止めておかなければならない。 「一暴れするなよ! 穏便にいこっ?」 「さーて、それはどうかな。 俺いま虫の居所が悪い」 「自分で分かってんなら抑えてよ!」 「無理。 露天風呂の時間ズレこんだし怒り上乗せしてっから」 (どんだけ露天風呂に入りたかったんだよ…!)

ともだちにシェアしよう!