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9一5
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視界が暗闇になったのは、初めての猛烈な射精感に耐えきれず由宇が瞳を閉じてしまったからだった。
自慰すらまともにした事が無い由宇は、射精する事自体にひどい疲労感を覚える。
先週、あれよあれよという間に橘にイかされた時もそうだった。
抱き枕にされてぷんぷんしていたはずが、射精した後は事切れたかのようにあっという間に眠りに付いてしまっていたから、今回のこれもそういう意味だったのだろうかと一瞬考えて、やめた。
由宇と橘が放った精液はベッドの上に散らばっている。
うつ伏せになった腹に二人分の精液がベッタリと付いてしまっているのは分かっていたが、呼吸を整えている今はそんなものどうでもいい。
(絶対に意味なんかなさそう……! 実はふーすけ先生…そんなに優しい人じゃないのかもしんない!!)
橘がする事にはすべて深い意味があると信じていた由宇も、この事実はどう説明するんだと問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。
キスをされた事も、何故か由宇を連れ回す事も、恥ずかしいからやめてと言ってもやめてくれなかった今のいやらしい行為の事も、はぐらかさないで教えてほしい。
(…なんでこんな事、するんだよ……)
ただでさえこの所、感情を揺さぶられる珍事件が多かったのだ。
これ以上悩ませないでくれと怒鳴ってやりたい。
やりたいのだが、橘がまだ由宇の背中に覆い被さっているせいで身動きが取れなかった。
「……………………先生、重い」
恐る恐る瞳を開くと、由宇は押しつぶされたままの態勢で背後に迫る橘に唸った。
橘の大きな体はそんなに長くは支えていられない。
呼吸は整ってきたのに、息苦しくてかなわなかった。
ほんの少し動かせる腕を使って橘を押し退けようとすると、唐突に耳元に口付けられてピタッと由宇は硬直する。
「言えよ」
「…………何を?」
「こういう事すんの、俺だけだって」
「やだ、言わない。 なんで先生にそんな事言わなきゃなんないの?」
「お前も強情だな。 言わないなら俺も言わねー」
まずそこが分からないのだ。
恋人同士がするようなキスもさっきのゴニョゴニョも、橘が一切説明してくれないから由宇には何にも伝わってこない。
言いたい事があるならぜひ聞かせてほしい。
「ふーすけ先生も言わないって…何を言わないんだよ!」
「だから言わねー。 ポメが自分で気付かねーと意味ねぇじゃん」
「なんの事!? 何の話してんのっ?」
(俺が自分で気付かないと意味がない…?)
一体どういう意味なんだと橘を振り返るも、こんな時だけ大人の顔をして溜め息を一つ溢している。
「ここまでお子様だとマジで説教もんだな。 よく考えろ、俺とポメが今した事」
「なっ…! 分かんないから聞いてんだろ! なんでこんな事…!!」
「風呂行こ。 ポメは?」
もはやはぐらかされる事に慣れてきてしまいそうだ。
由宇から離れた橘は、さっさと自分だけ身なりを整えて見下ろしてきた。
今何か起こりましたっけ?とでも言いたげな無表情に心底イラついた。
「い、行くよ!! 行くに決まってんだろ! お腹ベッタベタなんだから!」
「だろうな。 すげー出た」
「…ッッ」
由宇が上体を起こすと、橘がティッシュで腹部を拭ってくれたが、当然である。
はだけた浴衣は袖だけ通している状態で何も守ってくれそうになく、帯もぐちゃぐちゃであられもない姿だった。
どうせ何も教えてくれないし、聞いても無駄だと分かっているのに何度このやり取りをしているだろう。
ムッとしつつ立ち上がって浴衣を羽織り直していると、悪魔が顔を近付けてきて笑った。
「お前もな、由宇」
「っっやめてってば! 名前!」
「ぷんぷん丸がいいのか。 変わってんな」
「それ懐かしいっ」
「怒ってる時はぷんポメ決定」
「うるさいよ! ほんと悪魔だよ、先生!」
軽口を叩きながら帯を結んでくれている橘に、小さな牙をこれでもかと向けた。
それでも、ニヤッと笑っている橘はどことなく機嫌が良さそうだ。
部屋を出る橘の背中を追い掛け、ついさっき入ったばかりの露天風呂までの道中も二人は言い合いを続けた。
「その悪魔にやらしー事されてあんあん言ってたのはどこの誰だよ。 この俺様を煽りやがって」
「あ、煽ってない!! いつ俺が煽ったんだよ!」
「俺から逃げようとしたり? 嫌、やめて、って何回も言ってたじゃん。 次はもっと暴れていーよ。 押さえ付けてヤりてー」
「…そ、そそそんな…!! 次なんてないしっ…!! てかふーすけ先生そんな趣味あんの!?」
「ねーよ。 ポメ限定」
「すっっっごい迷惑なんだけど!」
「先走りトロットロ出しといてよく言うわ」
「う、うるさいって!! 思い出させんなっ」
「こっち使えるよーになったらぐちょぐちょのドロドロにしてやるから楽しみにしてろ」
「だから俺にはそんな場所ないから!」
「あるっつったじゃん。 マジで早く気付けよ、アホポメ」
「ア、アホーー!? キィィィッッ」
「威勢がいいな。 具合悪いの治ったじゃん」
「治ってなーーーい!!!」
「うるせーよ!」
奇声を上げたり大声を出したりですっかり元気を取り戻していた由宇は、橘の視線から逃れながらも気持ちの良い露天風呂を満喫した。
曇っていてあまり見えなかったはずのまんまるな月を拝めて、しかも澄んだ夜空には星が散り散りに輝いていた。
橘の事は嫌いではない。
だが様々な出来事については「どうして」の気持ちが根強くて、訳が分からないままだ。
怜の件で安堵したかと思えば、すぐに次の難題を与えられていて……本当に心が忙しい。
両親の事で鬱屈とした気持ちになる暇が無く、良くも悪くも橘の存在の大きさを改めて知る形にはなった。
それがどんな形なのかは、まだ由宇には知る事は出来ないけれど。
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