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9一7
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両親がどこかで大喧嘩をしている。
近頃はほとんど家に帰って来なかったはずの父親が居ると知ってか、母親が金切り声で何事かを叫んだ。
それに同調するように父親も喧嘩腰で応戦する。
両親は由宇から離れた場所で言い合いをしているはずなのに、エコーが掛かっているかのように確実に耳へと入ってきて鼓膜を震わせた。
鳴り止まない不快な雑音は加熱する一方で、耳を塞いでもそれは止まない。
やめて。
もうやめて。
喧嘩しないで。
お願いだから。
どうしていがみ合うの。
愛し合って結婚したんじゃないの。
なんでそんなに汚い言葉が言えるの。
やめて、物を投げないで、母さん。
父さん、口汚く母さんを罵らないで。
部屋をめちゃめちゃにしないで。
お願い、もうやめてよ。
俺の事は捨ててもいいから。
邪魔だって言うなら、この喧嘩を聞かなくて済むなら、物分かりいい子になるから。
だから言い争わないで。
お願いーーー。
「……~めて! やめて!! やめて!!」
「っ由宇!! 由宇!! 起きろ! 由宇!」
(…………ッッ???)
両耳を塞いで両親の怒鳴り声を遮断しようとしていたら、突然橘の声がした。
恐る恐る手のひらの力を抜いて瞳を開けてみる。
「由宇!!」
「………………ふーすけ、先生…?」
目前には、出会ってからというもの初めて見る橘の焦りの表情があって、由宇と目が合うや大事そうに抱き締められた。
大きな体が乗っかってきたが、夢と現実の狭間に居た由宇は「重い」と押し退ける事など出来ない。
優しく頭を撫でてくれる心地良さでようやく、夢を見ていたらしいと分かった。
たまに、なんの前触れもなく訪れる、例の悪夢。
「落ち着いたか?」
上体を起こされて、コップに注がれた常温の水を飲ませてくれた。
そしてまた抱き締められる。
背中をゆっくり上下に擦ってくれる優しさと、今まで見ていた悪夢が両極端過ぎてまだ混乱が続いていた。
どうやら、嫌な夢を見てまた騒いでしまったらしい。
最近はあまり無かったと思うのだが、この夢は本当に唐突にやってくるから困る。
「………………ごめんね、先生…俺、うるさかっただろ…」
「んなのはどうでもいい。 こういう事がよくあるのか?」
「たまに、……かな。 ……ほんとに、たまに。 最近あんまり無かったんだけど……ごめんね、先生…迷惑掛けて……」
久しぶりだったせいか、夢の中の両親の喧嘩はとても激しかった。
いつかに聞いた事のある二人のおぞましいやり取りは、聞かないフリで耳栓をしていても由宇の脳裏にしっかりとこびりついている。
橘の腕の中で肩を落とし、大して暑くもないのに汗を大量にかいていて気持ち悪かった。
「先生、着替えていい? 汗だくで…」
「待ってろ。 浴衣持ってきてやる」
「い、いいよ! 俺自分で行く…!」
「うるせぇ! こんな時くらい俺に甘えろ!」
珍しく本気のトーンで怒られてしまい、部屋を出て行った橘の背中を黙って見送る事にした。
「甘えろって言われても………」
もう充分、甘えている気がする。
橘の言う意味が分からないまま、水をもう一口飲んでコップをサイドテーブルに置いた。
浴衣を持って戻って来た橘がテキパキと着せ替えてくれて、帯も綺麗に結んでくれる。
だがその橘の眉間がいつも以上にくっつきそうで、お礼を言うのも躊躇われた。
「来い。 俺にしがみついてろ」
「ぅわっ。 痛いって……」
難しい顔をした橘にギュッと抱かれて、そのままベッドに横になる。
それがあまりに強い力で、心配されているのか怒られているのかハッキリしない。
「ねぇ先生、あぁいうのもう慣れてるから、大丈夫なんだけど」
「慣れるな。 夢見てたんだろ、親の」
「え、何で分かるの?」
あえて両親の夢を見ていたとは言わなかったのに、すぐに言い当てられて睨まれた。
いや、橘は睨んでいるつもりはないのかもしれないが、眉間に皺を寄せているのでこの状況でガンを飛ばされている気になる。
仏頂面で橘が続けた。
「じゃあ尚更、慣れるな。 そんな事に慣れたら駄目だ。 やっぱりお前の件は早急に片付ける」
「だから大丈夫だってば。 慣れてるっていうのは、平気だって意味で……」
「平気なわけあるか! その歳でその殊勝さはおかしいと思ってたんだ。 安心しろ、俺が絶対に解決してやる。 園田家よりお前を優先すべきだった」
「何言ってんだよ! 俺は何も不満とかないから大丈夫!」
言葉や雰囲気から、怒った顔をした橘が由宇をとても心配しているというのが伝わってきた。
夜中に叩き起してしまってムスッとされていたのかと思ったが、どうやら違うようだ。
いらぬ心配をかけたくなくて、慣れているから平気、大丈夫だと言っているのに橘の表情はさらに怒りに満ちてくる。
単純に、めちゃくちゃ怖い。
「俺に「大丈夫」って言うな。 ムカつくから。 嘘はつかなくていい。 俺には本性だせよ、由宇」
「また名前………」
「寝汗かいて涙流して叫んで…何が大丈夫なんだよ。 お前の大丈夫は大丈夫じゃねー」
「………ふーすけ先生……」
「しがみついたまんま寝ろ。 そんで明日六時に起こせ。 俺アラーム気付かねーかもだから」
正義の橘に感動すら覚えていたのに、起こせと言われて笑ってしまった。
抱き締めてくれる腕の力は半端ではないし、安心して眠れはするかもしれないが寝付くまでにかなり時間が掛かりそうだ。
(だ、だってまた……ドキドキしてきた…)
由宇はおずおずと橘の背中に手を回し、心臓の音を聞かれないように少しだけ下へとさがる。
広い胸元に顔を押し付けて、甘えてみた。
「……頼りないなぁ、先生ほんとに28歳?」
「俺は26!」
「あ、そうだった、普通に間違えた……んむっ」
強めに訂正されて、由宇はパッと顔を上げて笑った。
すると顔を寄せられてすかさず唇を奪われる。
「お前の減らず口を可愛いって思い始めた俺は相当いかれてんな」
「か、可愛い………ッ!?」
「いいから寝ろ」
理由のないキスを受けてドキドキが加速している中、橘から「可愛いと思い始めた」と言われてしまい、さらに眠気など吹っ飛んだ。
眠れるはずがない、こんなにドキドキして息が苦しいのだから。
(ふーすけ先生、一応先生なんだから教えてよ…)
どうすればこのドキドキが、治まるのかーーー。
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