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10一8

10一8 この一週間、橘はリビングのソファや、由宇がまだ上がった事のない二階のどこかで寝ているようだった。 担任になって日が浅いし、仕事が溜まって寝落ちでもしているのだろうと、初日はまったく気に留めていなかった。 だが二日目、三日目、と日にちが経つにつれ、由宇もさすがに、おかしいと思い始めた。 この家に居る時だけではない。 学校での橘はもっと素っ気なかった。 ここに泊まる経緯を説明してくれると言って何日も無言を貫かれ、話し掛けてもまともに応えてくれず、隣で寝てもくれない。 橘の表情や睨みはもはや怖くなんてないけれど、ぞんざいな返事を返される事の方が怖くて、とうとう由宇の方から話し掛けられなくなってしまった。 婚約者が居るにも関わらず、あんなにも情熱的な時間を過ごした後ろめたさがあるならば、何にも求めないから、ここに居ろと言った間だけでも優しくしてほしい。 橘なりの優しさで、由宇は充分なのに。 そんな思いが由宇の中に溜まってしまい、つい無意識に橘を引き止めてしまったが……一杯飲んだら今日は隣で寝てくれると言ってくれた。 (……先生の考えてる事なんて、最初っから全然分かんないんだから悩むだけ無駄だよね……) 由宇の戸惑いなど知らん顔な橘を、憎いと思う。 甘く熱烈に由宇を求めてくれたあの日の橘は、この一週間の態度を考えるとやはり雰囲気に呑まれてしまっただけだったのかもしれない。 だがそれを受け止めて消化するには、由宇はまだ幼過ぎた。 考えても出ない答えをいつまでも悩み続ける心の疲弊は、自身を追い詰めていくだけだ。 それならば、あれもこれも、全部、まるごと忘れてしまえばいい。 分かっている事は一つ。 橘には、婚約者が居るのだから。 「また丸まってんじゃん。 やっぱ寒いんだろ? 毛布持ってきたから一回出て来い」 「…………………寒くないって言ったのに」 毛布を抱えて戻ってきた橘は、布団をはぎ取って由宇を見下ろしてきた。 よくよく見ると、橘は珍しく髪をハーフアップに結っている。 少し様相が違うだけで橘の雰囲気が変わり、普段より柔和な印象に映って初見ともあり思わず見惚れてしまった。 「じゃあなんでそんな丸まってんだよ」 「先生、学校でもその髪型にしなよ」 「毛布なんてまだ早えだろ。 俺が暑いわ」 「絶対そっちの方がいいよ、優しく見える」 「おら、どけ。 俺のスペース寄越せ」 「…………あ、髪解くんだ」 「さっきから何なんだよ、うるせーな」 噛み合わない会話をし、髪を結っていたゴムを手首に嵌めた橘が由宇には背中を向けて横になった。 いつもの橘スタイルに戻ってガッカリな由宇は、たとえ背中を向けられていても、こうして言い合いをするのが久々なように感じて嬉しくなる。 (…普通に喋ってくれてる………) 何日も単語でしか応答してくれなかった事を思えば、この言い合いも愛しく感じた。 なぜ突然冷たくなったのか、そして由宇をここに居させようとする意図すらも分からないままだが、橘と居られるなら理由はもう何だって良かった。 橘が傍に居るのに孤独に苛まれるなら帰りたいーーーと強く望んでいた気持ちは、彼の体温を感じる今はすでに無くなっている。 「暑い…………」 由宇も橘に背中を向けて大人しくしていたのだが、寒くて布団に包まっていたわけではないので毛布が加わるととても寝苦しかった。 夜は冷えるからと暖房を入れてくれていたので、さっきまでが適温だった。 小さな呟きが聞こえたらしい橘が、分かりやすく溜め息を吐く。 「ワガママも大概にしろよ」 由宇にそんなつもりはなかった。 あまりの素っ気なさに負けて甘えられなかった由宇が、突然ワガママを言うはずがない。 混乱を招いている張本人からの発言とは思えず、由宇は振り返って橘の後頭部に向かって叫んだ。 「俺寒いって言ってないじゃんっ」 「………言ってない?」 「言ってないよ! 先生のせいで丸まってるとは言ったけど!」 「紛らわしいな。 暑いなら毛布蹴っとけ」 「やだ……この毛布ふわふわだからこっちがいい」 「じゃあ布団を…」 「ねぇ、ふーすけ先生!!」 「………っ」 言い合いをしていても頑としてこちらを向かない橘の肩を揺すって、その体に由宇は馬乗りになった。 単語だけじゃなく、会話らしく受け答えをしてくれている今がチャンスとばかりに、牙を剥く。 少しだけ驚いた様子の橘の瞳が、久しぶりに由宇を直視した。 「俺、先生に期待なんてしないよ。 この前の事もぜ〜〜〜んぶ忘れる! だから…冷たくしないで…先生。 前の先生に戻ってよ…! ふーすけ先生……っ」 「…………………………」 橘の腹の上で、由宇はやや乱心する。 由宇を直視していたはずの瞳がスッと細められ、やがて瞑られた。 うまく伝えきれないけれど、これだけ切に言っても橘は変わってくれないのだろうか。 ーーーツラい。 ーーー悲しい。 由宇の心の中は、橘でいっぱいだった。 目を見てくれないだけで、こんなにも胸が苦しい。 切ない。 (…息が出来ない………これは何…? なんでこんなに…涙が出そうになるんだよ…っ) 胸が苦しいだけじゃない。 目の奥から、じわじわと涙が押し寄せてくる。 なぜ悲しいのか、 なぜ切なくなるのか、 なぜ息が出来ないほど胸が苦しくなるのか、 なぜ橘を思うと……… 甘酸っぱい気持ちになるのかーーー。 分からない。 (ふーすけ先生………先生なら教えて、これは何? ……これは何なのか、どうしてこんなに先生の事で頭がいっぱいになるのか、黙ってないで教えてよ…!! ふーすけ先生…っ)

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