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10一7

10一7 橘との謎の同居生活から一週間経った。 その間、キスはおろか体に一切触れられていない。 ついでに言うと、ほとんど目も合わせてくれない。 毎日抜かりなく「放課後いつもの場所で」とメッセージがくるし、勉強の後は橘の自宅へと帰宅している。 だから余計に、橘の態度が理解出来ない。 あの日、自宅に着いたら泊まる経緯を説明してやると言っていたはずなのだが、橘は早々に酒を飲みながらパソコンを前にしていて由宇を構ってくれなかった。 必要最低限の会話しかしないため、黙々とパソコンに向かっている橘に「説明しろ」とは言い出しにくい。 だが一週間も同じ状況が続くと、さすがに由宇も落ち込んできていた。 なぜ目を見てくれないの。 なぜ揶揄ってこないの。 なぜ触ってくれないの。 なぜ………キスしてくれないの。 (何なんだよ……訳分かんないよ。 ふーすけ先生のバカ。 悪魔。 …魔王様) 唯一、橘の匂いを感じられる布団を頭まで被って、冷たいシーツの上で丸まって瞳を瞑った。 キーボードを打つ音がリビングから聞こえる。 酒の入ったバカラグラスをガラステーブルに置く、カタン、という音も聞こえてくる。 橘の存在はすぐ傍に在るのに、「困らせたくない」が先に立つ由宇には、自身の不安な気持ちなど伝えられるはずが無かった。 そんな態度を取るなら放っておいてほしい。 こうして自宅に泊めて縛り付けるなら、もっと構ってよ。 露骨に態度を変えられる前なら、平気でそう言えた。 今はもう、思った事を口に出すのはもちろん、甘える事すら怖い。 橘が、ではない。 問い詰めてワガママを言えば、橘に嫌われてしまう。 疎ましいと感じられたら最後、それを目前に突き付けられるのが怖いのだ。 両親と同じ目で見られる恐怖に打ち勝つ術など、由宇は知らない。 友人である怜以上に、心を開ける大人にやっと出会えたと喜んでいた矢先にこれでは、落ち込むなという方が無理だった。 (こんなの……家に居るよりツラいよ……) 不思議と、この一週間は悪夢を見ていなかった。 橘の態度に疑念と胸騒ぎを感じていて、両親の事が頭から消え去っていたからかもしれない。 ここに居る意味など果たしてあるのだろうか。 このままあと一週間もこの気持ちを引き摺らなければならないのなら、家に帰りたい。 あの家はどんよりとしていて、空気はまったく美味しくないけれど、優しくない橘と居るよりマシだと思った。 由宇の心にたっぷりと浸透しているくせに、突然冷たくなった橘は一緒のベッドで眠る事もない。 優しくできない、優しくなんかないと言いながら頭を撫でてくる天邪鬼な橘は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。 「…………ふーすけ先生……」 こんもりと山になった布団の中で、なかなか寝付けない由宇は寂しく名前を呼んだ。 そしてふと思い出す。 いやらしい事をしたその日はキスをしてくれた。 様子がおかしくなったのは、あの日の翌日からだ。 「…あ…………もしかして………」 怜の件の解決が見え始めて、由宇の知らないところで橘の結婚の話が急ピッチで進められているのかもしれなかった。 だから、軽々しく由宇にちょっかいをかけている場合ではない、…そういう事情なら納得出来る。 (そっか………そうだよね…。 先生…、結婚するんだっけ…) あれだけ構い倒されて、いやらしい事を教えられて、胸が熱くなるような台詞を言われた後だと、どうしても忘れがちになってしまう。 また橘が襲ってきたら、結婚するんだろ、と言って拒否する気満々だった事さえも忘れていた。 手を出してこないからだ。 「………うーー………」 「何を唸ってんだよ。 眠れねーのか」 「…ッッッ!?」 布団をギュッと握り締めたその時、ベッドサイドから待ち兼ねていた橘の声が降ってきた。 「そんなまん丸になってんのは寒いから? 毛布出そーか?」 暖房入れてあんだけどな…と呟く橘が離れて行く気配がして、由宇は咄嗟に布団から抜け出た。 衝動的に橘の服の裾を掴み、視線が合わないのを承知でソッとその長身を見上げる。 「先生…………俺…帰りたい……」 「は?」 「……………家に、帰りたい…」 「なんで」 「なん、なんでって………先生のせいだろ…っ。 先生のせいっ」 「…………………………」 やはり由宇とは視線を合わせてくれず、前を向いたまま平然としている橘の横顔がやたらとカッコ良く見えて………ムカつく。 由宇の気持ちを弄んで放ったらかしにしているのに、この男にその自覚は微塵もないのだろうか。 「説明もしてくれないし、ここに居ても寂しくなるだけだから、帰る。 明日からはもう泊まんない」 「…………駄々こねてんの」 「違う! そうやって俺の事見てくれないからだろ! なんなんだよ…っ。 結婚するからって急にそんな態度取るなんて……」 「あのさ、優しくなんかできねぇって言っただろ。 何を期待してたのか知らねーけど、もうすぐお前の幸せ見えてくっから大人しく来週までここに居ろ」 こちらを向いてくれはしたが、視線は合わない。 もはや橘と話をするのも疲れてきて、投げやりな気持ちになってきた。 何度言っても説明はしてくれない。 あれもこれも分からないことだらけで、橘に、由宇を戸惑わせている自覚がまるでないのなら、このまま全部を無かった事にしたいくらいだ。 帰りたい。 橘が見詰めてくれないのなら、触れてくれないのなら、この家に居る意味などない。 ーーー幸せなど、訪れない。 「俺の幸せなんか……もうどうだっていいよ…」 掴んでいた裾から手を離し、布団を手繰り寄せてまた丸まり、悲観に浸る。 明日は家に帰ろう、そう思って瞳をギュッと瞑ると橘が溜め息を吐いた。 「よくない。 ……んな寂しーなら今日だけこっちで寝てやるから。 帰るってのはナシ」 「………ッほんと? 一緒に寝てくれる…?」 「あと一杯飲んで仕事終わらせてくっから。 毛布は? いるのか?」 「いらない…寒いわけじゃないから」 「あっそ」 素っ気ない返事をした橘が寝室を出て行った。 由宇は布団から顔を出さないまま、喜びに足をバタバタさせる。 何も期待しないと約束するから、せめて同じ布団で眠りたい。 ささやかな願いが、一週間ぶりに叶いそうだった。

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