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10一10
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翌日、橘は本当に髪をハーフアップにして登校してくれた。
その姿は、橘が教壇に上がるや女子生徒達の瞳を釘付けにしていて、由宇はほのかに優越感に浸っている。
「センセー結んでた方がカッコイイよ!」
「何で今までしてなかったのぉ?」
「家ではしてた」
「私達にお披露目してくれたんだぁ♡」
「そんなんじゃねぇ。 野良猫が言う事聞かねーっつーから仕方なくだ」
「えぇ? 何それー?」
(先生、それは意味深過ぎるよっ!)
不審がる生徒達に向かって、橘は真顔でプリントを配り始めた。
朝のSHRで橘の姿を見る事にも慣れてきた。
新任で、しかもそれほど面倒見が良さそうには見えない橘だったが、意外にも代理担任が板についている。
正義を信条としているせいか、生徒が曲がった事をしない限り橘はどの教師よりも生徒の気持ちに寄り添ってくれる。
数学の時間にしか会わなかったせいで橘を誤解していた、特に男子生徒達の態度の軟化は顕著だった。
(先生……カッコいいな…)
髪は無造作なのに、いつもスーツを着て教壇に立つ橘は本当に凛として男らしい。
かなり強面だがゴツゴツした印象がまるでなく、あの三白眼さえ治せばむしろ誰もがメロメロになってしまいそうなほどの男前だ。
起き抜けのぼんやりした魔王とはまるで違うので、由宇はその点でも優越感を感じていた。
自分だけしか知らない橘が居ると思うと、口元がだらしなく緩んでしまう。
「今日の数学は小テストやっからな。 期末まで週一でやるぞ」
「えぇ〜〜!!!」
(えぇぇ〜〜〜!!!)
ニヤっと笑う橘へ、全方向からブーイングが飛んだ。
由宇も知らなかったので、内心で皆と共にブーイングし、「自分だけには教えておいてほしかった」と不満を募らせた。
生徒達の全力で嫌がる反応が面白かったのか、素知らぬ悪魔顔の橘はご機嫌である。
「今学期の成績で、二年からのクラス割りが決まんのは知ってんだろ。 ここにいる奴らは大半が進学だ。 目標定めんのは早い方がいい。 来週一週間かけて一人一人と面談すっから、そのつもりで」
「はーい♡」
「やったぁ、センセーと二人っきりだぁ♡」
「またみんなに自慢しちゃおー!」
「目一杯自慢しとけ。 そんで俺の評判あげて喫煙所作ってもらえ……と思ったけど俺タバコやめたんだった」
「センセータバコやめたのー?」
「葉っぱはな」
「センセーが葉っぱって言うと危なーい♡」
確かに、と頷いた由宇は、生徒達と橘が会話をしているのを横目に「ん?」と首を傾げた。
そうだ、そういえばここ何日もタバコの匂いがしない。
(何で先生、タバコやめたんだろ……あれだけ吸ってたのに)
橘はヘビースモーカーな方だと思う。
タバコやら加熱式やら電子式やら、ガムを噛みながらでも手当り次第に吸っていた。
あまり橘が構ってくれなかったせいで、全然知らなかった新しい事実。
後で聞いてみようかと思ったものの、昨日の今日で会話をしてくれるのか分からなかったので尻込みしてしまう。
あんなに冷たい態度を取られるのは、本当に嫌なのだ。
悪魔だ、魔王だ、と知っているけれど、それとは違う。
関心のない冷めた瞳と、体ごと逸らして少しも由宇を見ようとしてくれない素っ気なさは、たった一週間ではあったが由宇の心はそれだけでひどく傷付いた。
濃厚な行為をした後だったので、余計に。
「……ぼんやりしてると時間終わっちまうぞ」
いつの間にか一限目に突入していて、小テスト真っ最中だった。
配られていたのは小テストのプリントだったらしい。
由宇にだけ聞こえるように橘に囁かれて顔を上げると、周囲は小テストに熱中していて誰も由宇達を気に留めていなかった。
まともに目が合った直後、ふわっと由宇にだけ優しく微笑んできた橘の不意打ちに……ついに、ノックアウトされた。
(………先生、……好き…)
(俺、先生の事…………好きなんだ……っ)
芽生えた想いを自覚すると、急に顔面が熱くなってくる。
心臓があり得ないほどドキドキし始めて、まだ由宇の傍にいる橘を恐る恐るもう一度見上げると、小さな紙切れを胸ポケットに入れられた。
そしていつもの悪魔顔に戻り、教壇へと戻って行く。
その背中を見詰めていた由宇は、入れられた紙切れを取り出して開いてみた。
そこには、今由宇が自覚したばかりの気持ちがいつからかバレていたらしい橘の綺麗な文字で、こう書かれていた。
『俺を好きになるなよ』
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