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11一1
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いつからバレていたのだろう。
好きだと自覚したその日に『好きになるなよ』と牽制され、一瞬で由宇の気持ちの持って行き場が無くなった。
だがそれも当然だと思う。
自覚したところで橘は由宇を見てくれないだろうし、何より彼には婚約者がいるのだ。
遅かれ早かれこの気持ちに気付いたとしても、由宇の想いは自覚したと同時に失恋が決定した。
(分かってた事だけど……)
ずっと、不思議だった。
あんなに苦手で、むしろ嫌いだと思っていた橘の事を突っぱねる勇気も無く、きっかけがあったからとてそう易々と考えを変えられるなんておかしいと思ったのだ。
恐らく、入学して間もなくあった嫌がらせ事件の際の変な優しさに触れた時から、由宇の心は徐々に持っていかれていた。
あの頃から橘へのイメージが変わった事を思うと、自覚するのが遅過ぎたくらいだ。
本当は気付きたくなかった。
気付いてしまうと、橘と二人だけの空間がひどく緊張する場になるし、何より………切なくなる。
放課後、何食わぬ顔で対面した橘は、心配していた通り由宇が好きではない方の橘へと戻ってしまっていた。
「今日と明日は家でメシ食うから」
「あ、うん。 ありがと………でも俺、何日も先生のとこ居たら迷惑だろ? 帰ろうか?」
昨夜の悪魔を恋しく思いながら、ツンツンしている優しくない橘の横顔を見た。
由宇と一緒に居るのが嫌なのではと思わせるほど、それは冷たく感じる。
好きだと思うとさらに冷たさに拍車が掛かっているように見えて、ツラい。
橘自らが『好きになるな』と言うくらいだから、由宇の想いを知って突き放そうとするならば一緒に居るのは迷惑だろうと思った。
だがツンツンしたままの橘は、ハーフアップに結った髪を指差し、不機嫌そうに禁煙パイポを噛む。
「は? お前が言う事聞くっつーから、コレ、してんだけど?」
「…………そうだった。 …似合ってるよ、先生。 みんなからも評判良かったでしょ」
「評判なんかどうだっていーんだよ。 帰るとか帰りたいとか帰らせてとかほざくな」
顔も、声も、態度も、雰囲気すらも冷たいのに、言葉だけは由宇を引き止めようとするなんてずるい。
これだから、橘の事を嫌いになれないのだ。
根っからの悪人で冷たい男なら、由宇を疎ましいと感じている素振りをしてまで傍に置いたりはしないと思う。
決して、突き放したくて冷たいわけではない。
橘は悪人になりきれないのだ、そうしなければならない理由があるからーーー。
「…………やっぱ優しいじゃん…」
「あ? なんか言ったか?」
チラと横目をくれた、その意地悪な視線すら好きだと思った。
橘の事が好きだ。
たとえ今、由宇を見てくれなくても、時が来たらまた目を見て話をしてくれるようになる。
橘も、由宇も、お互いの心に燻る想いに結論を出せる日が来るはずだ。
それはきっと、ーーー橘の結婚のタイミングで。
そうやって気持ちを落ち着かせなければ、ドラマや映画のように「片思い」に苦しまなければならなくなる。
まだ、失恋を味わいたくない。
「んや、何にも。 先生、これ分かんない」
「これ今日やったとこじゃねーか。 お前聞いてなかったな?」
「うん。 ふーすけ先生に見惚れてて」
「…………はっ?」
「冗談だよ」
由宇の軽口にほんの少し目を丸くした橘と、一瞬だけ視線を合わせる事に成功した。
(今はいいよ、これで…)
大人に冷たくされるのには慣れているから、それがたとえ恋をした橘でも我慢できる。
なぜ初恋が女の子じゃなかったんだろうという当然の不満が頭をよぎりはしたが、由宇の中で大きな存在を示している橘を前にすると、どんな相手も霞んでしまうに違いなかった。
意地悪で悪魔で三白眼のキツい、笑顔が下手くそな橘がいい。
想いを募らせないようにと思っても、自覚したばかりだと思考は言う事を聞いてくれなかった。
ふっ、と唇の端を上げた橘が、いつものミント味のガムを食べ始めてノートに解き方を書いてくれる。
この綺麗な文字すら、好きだ。
「いい度胸してんじゃん。 俺様に冗談言うとは」
「でしょ。 ………今日の晩ごはん何かなぁ」
「晩メシの事よりこっちに集中しろ。 この調子だと理系選択間に合わねーぞ」
「間に合うって。 先生が付きっきりで勉強教えてくれてるんだし。 俺もやる気満々だから!」
「やる気満々なのに授業聞いてなかったのかよ」
「痛いとこつくね! 先生のそういうとこ見習わなきゃ」
「俺みたいないい男になるにはあと千年足んねーな」
「まーたナルシスト発言してるー」
「無駄口叩いてねーで、早く問題解け。 ここはな、………」
冷たいくせに、悪人になりきれない橘は、由宇が分からないと言った問題を丁寧に教えてくれた。
本当は橘に見惚れていたというのは事実であったが、それは由宇の心の中にしまっておく事にする。
高い鼻筋に気を取られながらも手元に集中していると、あっという間に問題は解けた。
橘に教わると、理解が早い。
昨日までは、ーーーもっと早かったのだけれど。
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