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13一1 ●ふーすけ先生の憂鬱●
鳴り続ける着信音で、橘は目を覚ました。
朝早くからこんなにしつこく鳴らし続けるのは、あの人しか居ない。
「なんすか」
『おはよ! あけおめ!』
「樹さん…朝の俺のテンション知ってるだろ。 返せねぇよ」
不機嫌丸出しの風助に対し、恐らく徹夜明けで空元気中の樹から新年の挨拶をされたが、目も開けない今はスマホを耳から遠ざける事しか出来ない。
普段は樹もこんなにハイテンションではないからか、徹夜明けを悟った橘の口元が微かにニヤつく。
『なぁ風助、年明けたけど諸々どうなった?』
「諸々? ………あー…園田さん復活したけど離婚、歌音とエロ親父は愛まっしぐら」
『マジで? 結婚どうすんだよ』
「それはちょっと考えあってな。 二人と話すんだよ、春過ぎたら」
『春過ぎたら? またかなり先だな』
「学校での仕事が山積みで春はそれに輪をかけて忙しい。 年内で代理担任は解消されたけど、俺次の一年のクラス受け持つっぽいんだよ」
年末の忘年会で、校長と何気ない会話をしていると「橘先生に新入生持ってほしいなぁ」とぼやかれてしまった。
縁故採用にも関わらず、しかも新任教師である橘の評判は、評価と共に今やうなぎ登り。
受け持ちの希望が通る通らないの前に、校長直々にそんな事を言われたので、次の担任の話はほぼ確実だろうと思われる。
『すげぇな、風助がいよいよ教師じゃん』
「もう教師なんすけど」
『あ、そうだったな。 で? ポメラニアン君の方は?』
「………………あれから触ってねぇよ」
『風助が!? マジでか!』
「いや…一回キスはしたか。 でもそれ以降はなんも。 あいつ好きな奴出来たらしいし」
『はぁ!? 誰だよ!』
「んなの知るわけねーだろ。 俺があいつに色々教えちまったから男に走ってんだろーな。 相手男みてぇ」
『うーわ、最悪の結末。 でもな風助、失恋には新しい恋だぞ。 歌音との結婚に考えがあるなら、風助もポメラニアン君みたいに新しい恋をするんだよ。 それが一番だ』
伸び過ぎてあちこちに跳ねたボサボサの頭を掻きながら、樹の話を流し聞きしつつ上体を起こす。
片膝を立ててその上に肘を付き、由宇の顔を思い浮かべた。
個人授業の合間、由宇が片思いをしているとはにかんで告げてくる度にモヤモヤと重たいものが心を支配していったが、何食わぬ顔をするのが大変だった。
歌音との結婚を考えなくてはならないから、可哀想だと思いながらも由宇に少々冷たくあたってしまい……。
ただそれが彼の心変わりの原因になってしまったのだとしたら切ない。
誰が好き好んで冷たくなどするものか。
確かに由宇は橘を好きで居てくれていたはずだ。
それがほんの一ヶ月冷たくしただけで心変わりされるなど、我ながら勝手だが、何とも言えない複雑な思いだった。
好きな人出来た、とニコニコで報告してきた由宇の視線が橘を捉えると、「他の奴を好きでいる瞳で俺を見るな」とムカついてしょうがなく、相当不貞腐れていたので目なんか見られなかった。
未練がましく、教壇上からついつい由宇を盗み見てしまう毎日。
黒板をジッと見詰めてくる可愛い瞳が、橘ではない誰かに注がれているのだと思うと本当に腹が立つ。
放課後の個人授業中、由宇の考え込む姿は年相応なのにいじらしくて、時間を忘れて眺めてしまいそうだった。
……いい加減、橘も自分の気持ちを知った。
「無理。 俺あいつにマジだわ。 離れて気付いた」
『おいおい! 八方塞がりなんだからそこで自覚すんなよ!』
「分かってる。 別にこの先どうこうしようとは思ってねーし。 好きな奴いるって言ってんだから、あいつの好きにしたらいいと思ってる」
そうだ。
橘が由宇を幸せにしてやる事など出来ないのだから、忘れてもらって結構だ。
そのまま順調に、橘と過ごした時間を過去のものにしたらいい。
とてつもなくイライラはするが、由宇の片思いの相手が早く由宇を幸せにしてやってくれと願う。
そうしてくれなければ、橘はいつまで経っても由宇への想いを断てない。
電話の向こうでため息を溢し、失恋の先輩である樹が神妙に言った。
『風助…………それが恋だよ、恋』
「………樹さん、朝から俺と恋バナして楽しい? もう切るぞ。 まだ眠い」
『また近々連絡すっから。 飲み行こ』
「分かった。 おやすみ」
『俺はあと十二時間は眠れねーけどな! じゃ!』
やはり連勤かつ昨日徹夜のハイテンション状態だったらしい。
フッと笑った橘は一度トイレへ起き出し、またベッドに舞い戻る。
由宇が着ろとうるさかったバスローブは、あれからきちんと着るようになった。
ノーパンは相変わらずだが。
「寒っ…」
いそいそと布団を肩まで上げて、じわりと瞳を瞑る。
今年の冬はかなり寒くなるみたい、と由宇が言っていたが、本当だった。
起き出した際に見た窓の外を、ふわふわと真っ白な雪が舞っていた。
寒いはずだ。
──ついでに心も。
橘はその日一度もベッドから動かず寝続けた。
休みの日くらい、何も考えたくない。
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