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13一6 ●ふーすけ先生の活路●③
体育祭の時期がやって来た。
橘はクラスを持ってしまったがために、去年より格段に仕事が増えた。
去年は綱引きの審判と騎馬戦の補助だけで済んでいたのに、今年は前述に加えて徒競走でのスターター、救護係の責任者、受け持ちクラスの何やかんやと盛り沢山の仕事を与えられている。
体が一つでは足りない。
元々夜型の橘は、ただでさえ昼間はかったるくてしょうがないのに、一日外に居て日光を浴びていると溶けてしまいそうだ。
「せんせー♡ 拳銃似合ってるー♡」
「ホンモノみたーい!」
「うるせーよ。 拳銃じゃねーし」
徒競走のスターターとしてスタート位置に居た橘に、女子生徒達から揶揄する声が掛かってイラついた。
スターターピストルを持つ橘は、生徒達の言う通り一見まるでその筋の輩である。
職員会議でも同じ様な事を半笑いの教師らから言われて、やらされる羽目になった。
すでに今日一日だけで青空に向けて何発発砲したか分からない。
似合うかもしれないが、もちろんホンモノに触った事などない。
失礼な話だ。
───まーたあいつ見学してるし。
上背があって力持ちだからという理由だけで選ばれた救護係の責任者は、見学者の把握も仕事のうちだった。
時折様子を見に行って声掛けしなくてはならない生徒達の中に、昨年と同じく体育祭から逃れている由宇の姿がある。
事故によって負った怪我で、走る事に異常な恐怖を感じるらしい。
担任には「走る事が出来ない」と単刀直入に伝えたようだが、実際は「怖い」だけだ。
役目を終えた橘はスターターピストルを用具係に渡し、救護テントへ向かう。
運動場にいる間、何故か由宇からの視線が痛くてかなわなかったので、久しぶりに話し掛けてみる事にした。
「よぉ、サボり」
「なっ!? サボってない!」
「真実は俺の胸にしまっといてやる」
今年の見学者は由宇を含めて四名で、残りの三名は貧血気味だという事だがパッと見で頷けた。
声を掛けると、由宇は目をまん丸にして早速橘を睨んでくる。
まともに話すのは相当に久々で、橘はニヤッと笑い「これこれ、この顔」と内心喜んだ。
「うん、黙っといて。 …てか先生、拳銃似合ってたね」
「拳銃って言うなよ」
「ほんとにそっちの人にしか見えなかったよ」
「お前笑ってね? 手どけろ」
由宇の隣のパイプ椅子に腰掛けると、口元に手をやって細まった瞳を橘に向けてくる。
それであんなに見てきていたのか。
ププ、と笑われて腹が立つと同時に、こういうやり取りが久々過ぎてどこか浮ついている自分が居た。
口元を覆っている腕を取ると、こんなに細かったっけ…と感触すら忘れている事に気付く。
「わ、笑ってないよ! ぷっ…!」
「笑ってんじゃん。 ムカつく」
「似合ってるって言ってんだから喜んでよ〜! ……なんか、先生が先生らしくなってて驚いた」
「俺は去年からずっとセンセーなんだけど」
「変わんないね、先生」
この一言に、現実として二人が離れていた日々がある事を匂わせる。
本当はあのまま個人授業も継続したかった。
夕暮れの教室で、子犬のようなあどけない顔をした由宇にキスを仕掛けてむくれる姿を見ていたかった。
橘が教えられるのは数学だけだが、自分が役に立つなら受験の日まで由宇の面倒を見るつもりだったのだ。
由宇への気持ちが無自覚だった頃から、由宇を囲おうとしていた己に今さら気が付いても遅い。
あれからもう半年以上が経ち、すっかり状況は変わってしまった。
「……お前はどうなんだよ。 親は」
「最近二人で会話してるのよく見るよ。 一年前の今頃じゃ考えられないくらい穏やか」
「そうか。 夜泣きは?」
「夜泣きって言うなってば! ……ないよ。 って言いたいんだけど、まだたまにね。 一ヶ月に一回あるかないかくらいだから、完全になくなるのも時間の問題かな」
「まだあんのか」
親が落ち着いているのに、頻度こそ少ないにしろ依然としてあの夜泣きがあるならば心配だ。
添い寝してやろーか、と言いかけてハッとし、口を噤む。
あまり言いたくなかったのか、由宇は橘から運動場へと視線を移してしまい、目を逸らすなと顎を取りかけたのも堪えた。
いけない。
由宇を前にすると触りたくてたまらなくなり、目を逸らされると異様に腹が立つ。
「……ない。 ないって事にしといて」
「んだよ、それ」
「先生は…順調?」
「何が」
「な、何がって……その…歌音さ…」
「橘先生! 次騎馬戦ですー!」
由宇が歌音の名前を出した瞬間、結婚の話はどうなったのか知りたいのだと分かったが、それは同僚教師の大声によってかき消された。
二の句は分かっていたけれど、今の由宇に話してもしょうがない。
「うぃーっす。 じゃあな、……ポメ」
「っ…! ポメって言うな!」
「フッ…大人しくしてろよ」
怒ってこちらを向いてくれた由宇の頭をポンポン、と撫でて、橘は立ち上がった。
背中に視線が刺さる。
気だるく歩き出した橘は、ふと手のひらを見詰めた。
───由宇の髪はあんなに柔らかかっただろうか。
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