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14一3

耳打ちされた親玉も、悪い顔をしていた。 歌音が惚れている怜の父親さえ居なくなれば、橘と歌音との結婚を強行できると、そう思っているらしい。 腹立たしいが、橘が好きだと言う由宇の事など、始めからこの者らの眼中にはないのだ。 「流血沙汰は起こしません。 ご安心を」 ニヤリと笑った男は足早にリビングから出て行き、この場に居た全員……特に怜の父親はこれから何が起きるのかとハラハラしている様子だった。 由宇の肩を抱いてくれている橘も、入り口を凝視している。 親玉がフッと笑ってお茶を置いたその瞬間、唸り声と共に木刀を持った男が勢い良くリビングへ飛び込んできた。 「おらぁぁぁーーッ!!」 (─────!?!) 嘘だろ、と橘のシャツを掴んだ。 あの男、流血沙汰にはしないが殴打沙汰にはしようとしている。 「キャーーー!」 何かのスイッチが入ってしまった男の剣幕は恐ろしく、迫り来る木刀を前に歌音が悲鳴を上げた。 男は木刀を振りかざし、怜の父親の元へ走り寄って行く。 話し合いでは埒が明かないからと、血の気の多そうな強面は考え方が短絡的だ。 最悪だ!と由宇は瞳を瞑る。 ───ドスッッ…。 肩に置かれていた温かさが消えると、木刀が振り下ろされて何かを殴打した音が耳に飛び込んできた。 何度も同じ音が響くだろうと覚悟していたが、鈍い殴打音は一度きりだった。 ……恐る恐る瞳を開く。 「痛ってぇ…。 思いっきり振りかぶりやがったな、てめぇ──!」 「………うぐっっ」 「先生…!!」 開いた目の前では、痛いと言いながら木刀を奪った橘がその流れで男に回し蹴りをお見舞いしている光景であった。 反射的に怜の父親を庇いに行った橘の左腕を、男が振り下ろした木刀がまともに殴打したようだ。 キレた橘は倒れ込んだ男の腹を踏み付け、怒号を飛ばす。 「こんな無抵抗の奴にコレ振り下ろすほど無能なのかてめぇは! 親父さんにゴー出されたからって今やんのは違ぇだろ!」 「…ぅぐっ……!」 「てか、やんなら俺じゃね!? そんな度胸ねーから標的をエロ親父にしたんだろーけどな! 親父さんも、こんなもん用意させてんじゃねーよ! 力でねじ伏せてもダメな事があるって、何で分かんねーんだ!」 「………ッッぐっ、苦し……ッ」 腹を踏み付けられている男は、息も絶え絶えになってしまっている。 ヒートアップした橘が男の腹に足をグリグリと捻り込んでいるからで、歌音を背に庇う怜の父親はその様子を見て顔面蒼白だった。 「フッ……あと踵一押しで内臓やれるけどどーする」 三白眼の橘が親玉を振り返った。 その直後だった。 「先生───っっ!」 橘の背後目掛けて、強面一味の残り二名が襲い掛かろうとしていた。 一人は木刀、もう一人は短刀を持っている。 由宇の体が勝手に動いていた。 橘が危ない。 殴られるのはまだいいとして、あの短刀は橘の命さえ奪う事になる。 (先生……!!!) そんなの駄目だ。 橘が居なくなったら、由宇は生きていけない。 まだ、「好きだ」と言ってもらえていない。 大事な告白は、あんな親玉にではなく由宇本人に向けて言ってほしい。 「キャーーー!!」 歌音が悲鳴を上げた。 デジャヴかと思った。 なりふり構わず走り寄る由宇と、背後の二人に気付いた橘が三白眼を細める。 そんな橘が咄嗟に取った行動は───。 「わわっ………っ」 由宇は、橘に思いっきり突き飛ばされた。 反動で数歩下がった後に尻もちを付き、痛みに顔を歪める。 (痛てて………っ) 汚い言葉を吐きながら襲い掛かる二人に、橘は一人で対抗していた。 怯える歌音を背に必死の形相で守る怜の父親、橘を庇おうと寄って行った由宇を突き飛ばした橘。 そこには、大切な者を守ろうという意識が、怜の父親にも橘にも確かにあった。 「んなもん持ち出してくんじゃねーよ! 俺はタイマンしかやらねーってのに!」 上背のある橘は木刀はすぐに奪う事に成功したが、短刀を持った男の方は小柄なせいでなかなかうまくいかない。 (どうしよう、先生が…っ! 先生が…!) 「…っぐっ……!」 短刀をかわしながら、木刀を持ち出してきた男が鬱陶しく殴り掛かろうとするので、早々に回し蹴りして気絶させた。 ヒヤヒヤしながら立ち上がった由宇の内心などお構いなしに、橘は、「やっとタイマンだ」と笑っている。 どれだけ強心臓なのだろう。 危ない局面の場数を踏んでいると、この状況でさえも笑みを浮かべる事が出来るのか。 あの悪魔の笑い方が、今は相応に見えて仕方がない。 「風助さんっ、命は取らないんで大人しく社長の言う事聞いてください!」 「うるせーよ! そっちがその気なのに大人しくするわけねーだろ!」 「だったらしょうがねぇっす! 俺だってこんな事したくないんだ…!」 橘と距離を取っていた小柄な男が、短刀を振り上げて構えた。 短刀を奪うタイミングを見ていた橘が動いたのと、男の一歩がほぼ同時だった。 ────ザクッ…。

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