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16一1
いくら橘の利き手が右でも、包帯を巻くのは慣れないだろうから由宇がしてやると言ったのだ。
片手しか使えない橘より、両手が自由な自分がした方がいい、と。
それなのに、セクシーフェロモンを振り撒きながら風呂上がりのビール(六本目だ)を飲む橘に、鼻で笑われた。
「いや、全力で遠慮する。 お前の両手より俺の右手の方が器用だ」
「なんでだよ! 包帯巻くくらいできるって!」
「未だにネクタイ結べない奴が言うな」
「キィっ…………むっ」
「うるせーから鳴くな」
ムカついて反射的に奇声を上げようとした口を、包帯を巻いた手で封じられた。
む…と押し黙る由宇の肩を抱いた橘は、「ベッド行こ」といやらしさ満載で囁く。
(……っ! 慣れてんなぁ、先生…!)
いつもこんな調子で女性を口説いているのだろうか。
この橘が「口説く」様子はあまり思い浮かばないけれど、経験豊富そうなので嫌でもそんな想像をしてしまう。
由宇にとっては初めての人だが、橘にとっては一体何人目なんだか。
よくない思考に引きずり込まれようとした由宇へ、マイペースな橘は腕を組んできた肩をさらさらと撫ぜる。
「お茶飲む?」
「えっ? ベッド行こって今…」
「お前なんも飲んでねーから聞いたんだけど。 そんなベッド行きてーのか。 エロいな。 いいぞ、エロいのはいい事だ」
「なんで意地悪ばっか言うんだよ! お茶ちょうだい!」
「もうこんな時間なのに元気だなーお前。 まだまだ余力ありそうで何より」
「〜〜〜っ! いいからお茶!」
だらしなく着崩したバスローブを僅かにだけ直し、立ち上がった橘がキッチンへと向かった。
由宇はソファに腰掛けたまま動いてやらない。
軽口ばかり叩いてくるので、手伝いに行ったところでどうせ「邪魔」と言われるのがオチだと思った。
「俺が淹れたお茶美味いだろ」
お洒落な白のホーローやかんで湯を沸かす橘が、支度をしながら問い掛けてくる。
ノーパンで橘の大きなバスローブを着用している由宇は、落ち着かないお尻をモゾモゾっとさせながら神妙に頷いた。
「……………うん。 それは認める」
「実家が茶道家だからな。 ガキの頃は俺も茶道の道に行くもんだと思ってた」
「あ! 先生の実家、茶道家なの!」
(だから先生がいつも淹れてくれるお茶、美味しいんだ…!)
本来の茶道家が淹れるものとは少し違うのだろうが、橘が淹れるお茶は緑茶でありながら抹茶のような風味、苦味がして絶妙なのである。
その苦味の中にはまろやかさもきちんと残っていて、橘はとても慎重にお湯の温度を見ながら急須内で茶葉を踊らせる。
湯呑みも程よく温めてあったりして、お茶を淹れるだけで何故こんなに時間を掛けるのだろうと不思議だったが、ようやっと謎が解けた。
昔教わった技法が体に染み付いているのだ。
「でも先生、そのわりには振る舞いっていうか作法がなってないよね」
「あぁ?」
「もう〜っ、その怖い顔やめてってば! ほんとの事言っただけだろ!」
出来上がったお茶を由宇に手渡しにきた橘の眉間に、縦皺が何本も表れた。
「俺は茶道家じゃねーからいんだよ。 あんな楚々と出来っか」
「分かる〜先生はそんなタイプじゃないね。 ……でも和服は似合いそう…てか似合ってた…」
ふとペンションでの浴衣姿を思い出し、頬を赤らめる。
あの時もし橘への気持ちに気付いていたら、穴が開くほど見詰めてしまっていたかもしれない。
顔面だけはやたらといい男で、髪型はともかく綺麗な黒髪で、身長が高いという三条件だけで和服が似合う要素が揃っている。
「似合ってた? 俺お前の前で着た事あった?」
「え、! あの、……ペンションで…」
「ペンション? …あぁ、あの浴衣な。 そんなほっぺた赤くするほど似合ってたか」
「え、嘘! 赤い!?」
「ここで押し倒してやろうかっつーくらいな」
「やだやだ! ここでするくらいならベッドがいい!」
美味しいはずのお茶の味が分からなくなるほどドギマギした。
この一年、あのペンションで過ごした二日間を思い出しては頬を赤らめ、かと思えば、何一つ気付けていなかった事を後悔する…を繰り返していた。
反芻すればするほど、あの日に戻って何もかもをやり直したいと何度も悔やんでいたので、ペンションというワードだけで込み上げてくるものがある。
それがいけなかった。
大きな声で「ベッドがいい」と叫び、当時の記憶に耽って瞳を潤ませて橘を見上げると、無表情でジッと見詰められた。
……また何かを伝えようとしている。
(余計なこと言っちゃったなぁ…っ。 ベッドがいいなんて叫んじゃったから、また「えっろ」ってニヤけるつもりなんだよ…!)
お決まりの軽口を覚悟して視線を逸らすと、意外にも思いのほか真剣な表情で由宇を手招きしてきた。
「なに……?」
「来い」
「うわわわ………っ! 先生、俺重いから! 下ろして!」
湯呑みを置き、のろのろと立ち上がった由宇の体を橘は軽々と抱き上げた。
小さな子を抱くような格好に、慌てて橘の首にしがみつく。
「この俺様を煽りやがったな」
「えぇっ? そんな事してな……!」
「今夜は寝られると思うなよ」
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