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最終話

 アザミはくすりと笑った。  一度笑うと、それは止まらなくなり、くくっと肩を揺らしてしまう。 「俺は嘘は嫌いだ」  低い声が、アザミをぴしゃりと叱った。  ふ……とアザミの唇から笑いが漏れた。 「ふふ……。男娼に、(まこと)を求めるのは愚か者のすることですよ」  アザミはきちんとスーツを着込んだ、清潔な男へと細い指を伸ばし、西園寺のシャープな顎のラインを指の腹で辿った。 「あなたは僕が、マツバのようにもの慣れていない初心(うぶ)な反応をするのを見て楽しんだ。(あなた)を楽しませる。それだけが淫花廓(ここ)で求められていることです。あなたの大事なマツバも、計算の上の振る舞いかもしれない」 「計算? マツバが?」  有り得ない、と男の顔には大きく書かれており、西園寺がマツバを格別に可愛がっていることが見て取れた。 「有り得ないと、思いますか? けれどあなたは現に、アザミの演技に騙された。淫花廓(ここ)では男娼(しょうひん)は皆、自分ではないなにかを演じている。マツバも、例外ではありませんよ」 「俺は嘘は嫌いだ。腹の探り合いは仕事で充分間に合っている。きみはそんなふうに客を不愉快にさせるのが仕事なのか?」  淡々とした声で諭され、アザミはふふっと笑った。 「まさか。アザミは、アザミのお客様にはいつもご満足いただいております。けれどあなたは、アザミを抱いたわけではない。アザミの中に、マツバを探しておられた。アザミのお客様にならない御方に対しては、それ相応の振る舞いをさせていただきます」  アザミは、男の顎先にじゃれつくようなキスをして、スーツの胸元をドンと押した。  アザミのちからごときではビクともしなかった男だが、彼はアザミの非礼を責めることはしなかった。  スーツの乱れを整え、アザミに向き直り、西園寺が目礼をする。 「俺は、きみの自尊心を傷つけたということか。すまなかった」  あっさりと詫びを口にした男を、アザミは眉を顰めて見つめた。  先ほどまでアザミを好きに貫いていた男とは思えぬ、忌々しいほどの男ぶりだった。  こんな男を上客に持つマツバには、それほどの魅力があるということなのか。  アザミにないものが、マツバにはあるということなのか……。  アザミは薄い唇を軽く噛み、この無礼で自信に溢れた男に、なにか、(トゲ)を埋め込んでやりたいような気分になった。  アザミ、という野花には細い無数の棘があり、花言葉のひとつは、『報復』。  アザミは西園寺のネクタイを掴み、それをぐいと下に引っ張った。  高い位置にあった男の顔が、アザミの動きに連動して下がり、アザミと目線の高さが合わさる。  アザミは笑った。  色気がある、とよく言われる口元のホクロを歪めるようにして、微笑する。  左右のてのひらで、西園寺の頬を包み込み、さらに自分の方へと引き寄せた。 「西園寺様」    男の名を呼んで、耳元に唇を寄せた。  耳の形を確かめるように、耳殻に舌を這わせ、最後に耳朶をやわらかく吸った。 「古来からの遊女に倣って、ここの男娼は、好いた御方にしか唇をゆるしません」     西園寺の手が、アザミの剥き出しの肩を掴んだ。  そのまま引き剥がされ、アザミは抗わずに男から距離を取った。  西園寺の双眸が、アザミの言葉の裏を探るように細まる。 「ふ……ふふっ。マツバの(まこと)が欲しいと仰るなら、あなたの真を差し出すべきです。マツバが唇をゆるせば、それがすなわち、彼の真ですよ」 「……きみの言葉は、嘘ばかりだ。それも、俺を騙すための嘘なんだろう?」 「さて、どうでしょうね。マツバにキスでもすれば、わかるんじゃないでしょうか?」  アザミは畳に脱ぎ捨ててあった色打掛を拾い上げ、肩に掛けて男を振り向いた。   「それでは、本日はありがとうございました。旦那様」  最後の最後に、淫花廓で決められた、客に対する呼称を口にして。  アザミは優雅に頭を下げた。  またお待ちしています、とは言わない。  男がもう、アザミを指名しないことはわかっていたからだ。  アザミの棘は、西園寺に刺さっただろうか?    男娼が客に唇をゆるさないなんて、真っ赤な嘘だった。  淫花廓に身を落とした時点で、そんな純真な男娼など居ないだろう。現にアザミの唇は汚れている。    けれど……。  マツバであれば、あるいは、と思わされた。  アザミがマツバのようであれば……真を求めるような相手と、巡り逢えたのだろうか……。  アザミは蜂巣(ハチス)から出てゆく男の端整な後ろ姿を見送りながら、そんなことを考えた。  橙色の灯篭が照らす石畳の通路の奥に、西園寺の姿が完全に消えてから、アザミは蜂巣の入り口の横に影のように控えていた巨躯の男へと声をかけた。 「怪士(あやかし)」    闇と一体化するような黒装束に身を包み、置物のように膝を付いていた男が、低く、「はい」と答えた。  アザミは軽く伏せられた能面へと視線を走らせ、指先で怪士を招く。 「僕の声、聞こえていた?」  歩み寄って来た男の腕に、するりと絡みつき、逞しい体に体重を預けながら、アザミは問いかけた。  心得た怪士がアザミの膝の下に腕を回し、軽々と抱き上げてくれる。  肩に引っ掛けていただけの打掛が、はらりと落ちた。    アザミは全裸だったが、怪士は動じない。男娼に惑わされているようでは、淫花廓の男衆は務まらないからである。  怪士の首に抱きついたアザミは、能面から覗く耳の後ろへと唇を寄せ、そこを軽く吸った。  ぴくり、と怪士の腕が揺れる。 「久しぶりに、お客様があんないい男だったから、僕も興奮してしまったよ。僕の啼く声は、おまえにも聞こえていたかい?」  マツバのような、初心な男娼を演じたアザミであったが、今日のアザミ付きの男衆がこの、アザミの一番のお気に入りの男であったため、つい、声を聞かせてやろうと思い立ち、本来の目的からは逸れた行いをしてしまった。  西園寺の好みに沿うならば、もっと、恥じらいのある喘ぎ声を出さなければならなかったのに……。  アザミがそんな真似をしても、この怪士はなんの反応もくれないだろうことはわかっていたけれど、少しはアザミに、興味を向けてくれるかもしれない。そんな期待が、胸の奥に巣食って……それに抗うことができなかったのだ。 「おまえも興奮したかい?」  問いかけながら、アザミは能面の唇に、自身の唇を押し当てた。  仮面一枚を隔てた向こうには、怪士の本物の唇があって。  それが、この先もアザミに触れることはないと、知っていたけれど。  アザミは男の腕に抱かれたままで、偽物の口づけを繰り返した。  男娼が、好きな相手にしか唇をゆるさないなんて、絵空事だ。  だからこの行為にも、なんの意味もない。  アザミはそう思いながら、なにも生み出すことのないキスを。  作り物の唇へと落とした。  否とも応とも答えない男の腕は、逞しく。  その腕で危なげなくアザミを抱えた男の、黒装束越しの肌の熱が。  アザミの裸体を、じわりと温めた……。  アザミの章(番外編)・完

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