1 / 11

RIRIRIRIRIRIRIRIRIRI… 携帯のアラームのけたたましい音により意識が覚醒する。 「ねむ…」 半ば条件反射のようにスヌーズを止めてから、ふぁあ、と大きな欠伸を一つして、のそりと布団の中から起き上がった。 目線の先には、カーヴェンデル山を背景に広がる、ミッテンヴァルトの色彩豊かな町並みを描いた水彩画。少し視線をずらせば、その横には旅先で撮ったのであろう沢山のスナップ写真が散りばめられたコルクボード。 引っ越してきて早1ヶ月、毎朝1番に目に飛び込むこの景色にも、大分慣れてきた気がする。 この春父親が仕事の関係で他府県への勤務になり、母親は一緒に付いて行く事を提案したが直人は1人で残る事に決めた。既に高校2年生、人間関係も部活での地位も順調に築いていた直人にとって、知らない土地への引っ越しも転校も考えられなかった。但、本当は一人暮らしで良かったのだが、丁度通学圏内の街に叔父が住んでいる為お世話になることになったのだ。 この現役高校生男子に似つかわしくないお洒落な部屋は、叔父の亡き妻、つまり母の妹の部屋だったものだ。 「うーん」 大きく伸びをしてベッドから飛び降り、壁際のクローゼットから学ランを引っ掴んでダイニングへ向かうと、キッチンのカウンターから黒いエプロンが見えた。 「おはよう」 「……はよ」 パジャマに寝癖をつけたまま、欠伸混じりにゴニョゴニョと不明瞭な返事をする直人とは対照的に、すっかり身支度を整えた上にメンズエプロンを着け、フライパンを片手に爽やかな笑みを浮かべるイケメン。それがこの家の主である叔父、篠川伊織である。 「もう出来上がるから、盛り付ける間に珈琲淹れてくれる?」 「ふあい」 スリッパを履いてパタパタとキッチンに入り戸棚から豆を取り出す。ここに来るまでインスタントのコーヒーしか知らなかったけど、コーヒーミルを使って豆から挽く作業もなかなか様になってきた…気がする。 淹れたての珈琲をダイニングに持って行くと、既に朝食の準備は完了していた。トーストにスコッチエッグ、グリーンピースのポタージュ、苺ジャムの乗ったヨーグルト。これが男二人暮らしの食事か……?と疑問を抱かざるを得ない手間のかかった料理の数々。初日にその事を指摘したところ、「ヨーグルトもスープもまとめて作り置きしているものだから、そんなに大層なものじゃないよ」と笑われたが、それにしても充分凝り性だ。 「珈琲ありがとう」 「うん」 「じゃあ、頂こうか」 「「いただきます」」 確り両手を合わせてからお箸を取る。こうやって誰かと朝食を食べる事にも、少しずつ慣れてきたように思う。家族仲が悪いとかではなくて、単に家だといつもギリギリまで寝ていて、朝の早い両親とすれ違いになっていただけだが。伊織さんの家からだと学校まで4駅もあるから、自然と早起きせざるを得ない。 「なお君、今日は遅くなるから先に夕食食べておいてくれる?そこの鍋にポトフが入ってるし、お米はスイッチ押せば炊けるようにしてあるから。野菜は冷蔵庫にあるし…」 「分かった。伊織さん今日は授業だっけ」 「うん」 伊織さんは最近人気急上昇中の『NET予備校』なる予備校の塾講師だ。場所要らず、通学要らずが売りのこの予備校は、基本的に映像授業のみの為実際に生徒の前に立って教鞭を取ることは余り無いそうだが、伊織はそこそこ人気のある先生らしく、こうやって月に何度かは日本各地で宣伝の為の授業をしに出張をする。 「近くの学校?」 「いや、今日は名古屋なんだ。だから夜遅くなる」 本当は知っている。 直人はとある計画を今夜実行するために、2週間も前から伊織の予定をカレンダーで何度も確認していた。 「そうなんだ。…じゃあ新幹線?」 一瞬でも不自然に思われないよう、当たり障りの無い会話を続ける。 「そうなるね。なお君は今日も部活かい?」 「ううん。今日からテスト週間」 「なら早いのか。すまないね、長時間独りにしてしまうことになって」 「いや、俺もう高校生だし。流石に留守番くらいどうってことないよ」 「あはは、ごめんよ。ついこの間までおしめをしていたのに、と思うとついね」 「この間って、もう10年以上も前でしょ。大昔じゃん」 「あはは、大昔って。若いなあ」 クスクスと笑いながら珈琲を啜る伊織さんを見て、ホッとする。 良かった。特に何も思われてないみたい。 ホッと息を吐いて時計を見ると、いつの間にか6時半を過ぎている。 「やばっ、急がないと」 電車に間に合わない。急いで残っていたスープを飲み干しご馳走様をする。 「駅まで車で送ろうか?」 「大丈夫!」 髪を整えに洗面所へ走る直人の背中に心配そうな伊織の声が掛かるが、流石にそこまで甘えられない。 起床時間は早くなったが、朝ごはんが豪勢になった分食べるのに時間をくって、結局いつも朝はドタバタしている気がする。 「行ってきます!」 「行ってらっしゃい。気をつけてね」 わざわざ玄関まで来て送り出してくれる伊織に直人は片手を少し挙げて、足早に外へ出た。

ともだちにシェアしよう!