1 / 2
第1話
https://twitter.com/no_pan_yeah
ノーパンアンソロジー『Oh!Pantsu』に寄せた原稿のサイドストーリーです。
お手に取っていただけたら幸いです。
____________________
初恋①
私立善沢高等学校、略して善高。郊外の山ひとつがその敷地だという、規模の大きな男子校だ。
六十年の歴史を持つこの進学校には、報道部という、あまり耳慣れない部が存在する。簡単に言ってしまえば、新聞部と放送部を足したようなもので、構内のマスメディアを一手に引き受ける部だ。活動内容は多岐にわたり、真面目な校内新聞を発行したり、ちょっとした動画やアニメーションを作ったりする部門もある。
「では、最後に全校生徒に向けて意気込みなど、伺えますか」
「はいイ! 我ガ卓球部は、来週末の試合で……」
その中でも、他部活動の活動や大会出場の報告動画を作成するのは、主な活動の一つだ。その動画は学食やホールに設置された大型モニタで繰り返し放送されており、善高生ならば誰もが目にした事があるはず。また、学校ホームページで同じものを視聴することもできる。その動画の再生回数は、経営陣に広告掲載を検討させた程だとか。まあ、これはただの噂、ではあるが。
人気の理由。
それはインタビュアーが善高のアイドル、港陽輝(ミナトハルキ)だから、である。
「部長、真っ赤ですね」
「そらまあ、あんな近くで、頑張ってください、応援してますとか言われたら」
「いいなあ、部長。さっき握手もしてましたよ」
「ひい、オレなら一生、手、洗えねえ!」
「陽輝サマ、今日もお美しい……!」
インタビューを受ける生徒の背景、練習風景を演出するメンバーもどこか浮ついている。たどたどしく勝利宣言をする卓球部部長の隣で、静かに微笑んでみせる港だが、心中では高笑いが止まらない。
港を意識してざわざわと落ち着かない空気。体育館中から集まる注目と熱視線。
この春入学して、まだ日も浅い一年生の間にも善高の校風は浸透し、港の存在も受け入れられている。日頃の努力の賜物だ。鼻歌でも歌いたい気分である。
どうよ、中原!
カメラのLEDが緑に変わったことをしっかりと確認してから、親友であり、相棒の中原元基の姿を視界の端で探す。みんなのアイドル港陽輝は、平等でなくてはならない。それがこの校内で唯一心を許した友人相手であったとしても、人目がある場所で普通の友人にするように気安くすることはない。
いつも港を見守ってくれている中原。
港が中原を見付ければ、その視線は必ず港に向いている。約束がある。行動がある。信じられる。
二人の間に恋愛感情はない。
しかし、恋愛などよりもっと確かな絆がある。
今の今まで、港はそう思っていた。
「ハル!」
「!??」
ハル……?
違和感に首をひねる。中原は港をハルとは呼ばない。いつも、ハルキと、そう呼ぶ。
「ハル!」
どうした、中原。
オレはこっちだ。
どこを見ている?
おい。ハルは、ハルキはこっちだぞ?
思わず長身の横顔を呆然と見つめた。
中原が港を見守っていない。こちらを見ない。港の目線に答えない。かつてない事態に港の心に戸惑いと不安が入り混じる。入学当初から一年以上積み上げられてきた信頼感が、音を立てて崩れていく。
中原。
このオレを無視して何を見ているんだ?
中原の視線の先。辿ったそこにあったのは、床に転がったボールを拾い上げる地味な一年生の間抜けな姿だった。港の思いなど知る由もない中原は、ゆっくりと一年生の傍へ近寄っていく。
「あれ、基にい」
「ははっ、アレ、じゃねーよ。なんで気づかねーの」
「いや、ボール拾うの忙しくて」
「真面目か」
「大真面目だって、の」
目を細めてその一年生の頭を乱暴に撫でる中原の姿は純粋に物珍しいものだったが、それより何より、港が気になったのは、その一年生自身だった。
「あいつ……」
どちらかといえば地味で特徴のない学生だが、撮影中からずっと気にかかっていた。
体育館中の視線を集めていた港は、どちらを向いても必ず誰かと目が合う。慌てて逸らす人、熱視線を送り続ける人、勿論、好意的なものばかりではない。妬みや嫉み、射殺さんばかりに睨み付けてくる人もいる。反応は人それぞれであるのだが、その誰しもがそわそわして落ち着かない。
そんな中、彼の纏う空気だけ凪いでいた。
きっと彼と目が合ったのも数秒だった筈。他の人と目が合ったとそう変わらない瞬間的なものだった。
それなのに、その印象は鮮烈。
真っ黒な目が港を見つめ、そしてそのままそらされた。
そこには何の特別な感情もなく。まるっきり、景色の一部にされてしまった。
オレは港陽輝だ。
港はアイドルだ。
この学校の太陽だ。
全生徒が港を意識している。そういう地位を築いてきた。
あれは誰だ?
一年だ。地味で、平凡な、年下の、つい先日まで詰襟を着た中坊だった、ガキ。
そのガキに、無視された。
コケにされた。
そう、港はそのプライドを傷つけられたのだ。
この体育館の支配者は間違いなく港だったのに。ただ一人の男を取り漏らした。そのことが、苛立たしい。しかも、港の唯一無二の親友である中原をまで誑かすとは……!
港の司会の中で、楽しそうに笑い合う二つの拳がごつりと音を立てて離れた。
「陽輝、悪い、待たせた」
「ああ」
すっと何の心を残すこともなく振り向いた中原は、まっすぐこちらに向かって来る。港から逸らされることのない視線。いつも通りの光景だ。先ほどまでの数分は悪い白昼夢だったのだろうか。
「部室で編集に入る前にチェックかけよう」
「うん。……いいのか?」
「ん? あ、ああ。ハルか。大丈夫」
差し出された大きく厳つい手のひらに、港はいつものように手をのせる。
「中学の後輩?」
「ああ、幼馴染。ガキの頃から弟みたいなもんだよ」
相手の耳元に交互に顔を寄せて囁き交わす。いつも注目を浴びる二人の個人情報を外に漏らさないためにはそうするしかない。二人にとっては癖のようなものだ。
「?」
ふと感じた気配に振り向けば、一瞬の眼光が港の視界の端が捉えた。
「? 陽輝?」
「……何でもない」
先ほどの少年だ。中原にハルと呼ばれ、その平凡な顔に太陽のような満面の笑顔を浮かべていた、あの、少年。
今はもう、何も興味がないかのように黙々とピンポン球を拾い集めてはいるが、間違いない。先程のあの眼光に込められた感情には覚えがある。
嫉妬だ。
強く、渦巻くような。
「……ふーん」
隣を歩く背の高い友人をちらりと見て、港の口角が僅かに上がる。弟と言っていた中原の様子に含みは感じられなかった。ひとりっ子だけれども長男気質で世話焼きなこの男の性格からして、その言葉の通りの存在なのだろう。
つまり、少年の片思い、か。
港はそう判じた。どんなに慕っても、弟以上には見てもらえない。せっかく高校も追いかけて来たというのに、だ。そして港は、中原に彼女がいることを知っている。
可哀想に。
モヤモヤとわだかまっていた胸の内が弾けて愉快で堪らない。あの生意気な後輩の甘酸っぱい恋心は中原に届くことはなく、きっと叶わない。
罪な男だね。
人の不幸は蜜の味だ。それが気に入らない人間であればなおのこと。
中原に「ハル」と呼ばれて満面の笑みを浮かべていたあの少年が、港の中でおもちゃとして認識された瞬間である。
ともだちにシェアしよう!