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おまけ:自称コミュ症な嫁のこと(主計視点)
コミュ症、という言葉を知っているだろうか。
俺はうちの嫁に出会って自称されてからネット上で検索して初めて知った。
コミュニケーション障害というと、会話に何らかの不全症がある脳障害や精神障害かなと予想するわけだが、どうやら少し違う意味でカズくんは使っているらしい。
ちなみに、カズくんは字を間違って覚えていたようだが、正しくはコミュニケーション障害、略してコミュ障だ。
コミュ症で検索しても結果が表示される程度にはこちらの字でも普通に認知されていることは伺える。
いや、医学用語から少し外れた意味で使うにはコミュ症の方がむしろ正しいのかもしれないが。
そもそもコミュニケーション障害というのは、聴覚や発声器官に何らかの異常があってコミュニケーションに支障を及ぼすこと、もしくは発達障害などの精神科的異常を原因として心の病からコミュニケーションに支障を来しているものを示す。これが、精神科の医学的見解だ。
ところが、ネットでコミュ障というと何やら少し違った症状が検出される。
他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる最近のネット社会や若者を中心に使われる言葉であるらしい。
カズくんもこちらに当てはまる。確かに、仕事上の会話は問題なくできるけれど雑談を必要とされると途端に行き詰まる、そう自己申告していた。
話題に盛り上がればカズくんの中から出てくる豊富な雑学が非常に楽しいのだけれど、確かによく考えてみれば会話のきっかけは全て俺が提供している感がなくもない。
俺自身勝手に喋りすぎかと反省する程度には話好きなので、そうして俺主体に話を振ることがカズくんを楽にしているのなら願ったり叶ったりなんだが。
母には、カズくんがコミュ障を自称していると告げた直後に「それなら会話するときはこちらが負荷ばかけんごつ気ば付けちゃらんといけんね」と返ってきた。母がこの意識なら家庭内でカズくんが孤立してしまう心配は無さそうだ。
世間的なコミュ障の定義はネットで調べてもらうと良いだろう。とりあえず俺が話したいのはカズくんの症状のことだ。
カズくんがコミュ障を患うには、彼の成長期の経験が強く関係していた。
一番顕著な症状が、タメ口がきけないというものだろう。
熊本に移住してきてそろそろ1年経つのだけれど、カズくんからは未だに敬語が返ってくる。ずいぶんタメ口も増えたから時間をかけて慣らすしかないんだろうなと思っているけれど。
つまり、カズくんと日常的にタメ口で話す誰かの存在がカズくんには長いこと存在しなかったのだろう。会話の仕方を忘れてしまったうえに、だからこそどのように崩したら相手を不快にさせないかの判断基準を失ってしまっていて克服に時間がかかっているのだと見受けられる。
そう。彼の症状で重要な第2のポイントがその自信の無さだ。とにかく自己評価が低すぎて、自分が他人になんらかの影響を及ぼす一挙手一投足にいちいちおっかなびっくりしている。
ひとりでいる分には実に気楽そうで、だからひとりでできる趣味中心にビックリするほど多趣味だ。
好奇心は強い質なのだろうに、行動制限が半端ない。
自己評価の低さはおそらく、そもそも他者から正当な評価を与えられないで成長してきたせいなんじゃないかと思う。
客観的評点としても、自分で口にしていた通り一切の試験というものに苦手意識があって、実際取れる得点も低いらしい。
運転技術も道交法に対する蘊蓄も豊富に持っている彼が、免許を取る際の試験で仮免も本免も学科試験をことごとく1回落ちたという逸話はさすがにビックリだった。家族親戚友人知人といろいろな人の運転する車に乗ってきた経験上首位独走の運転技術を持っている彼が、誰でも取れると噂の普通免許の学科試験を2回受けているとか。
その話をしてくれた時、バカじゃないのと家族に散々言われたのだ、とカズくんは恥ずかしそうな苦笑をその表情に浮かべていた。誰も慰めてくれなかったんだろうか。
大学受験も、妹が控えているのと家計の余裕の無さから滑り止めなし国公立大学1本しか受けさせてもらえず落ちたら就職浪人決定という背水の陣で臨んだ1次選考試験で見事に落ちたそうだ。ただ、翌月の2次選考試験で小論文で同じ学校学部に合格し大学生にはなれたらしい。
その1回目に落ちた時も、2次があるからと次に賭けるカズくんをよそに家族からは「ふぅん、あっそう、残念だったね。就職頑張って」とからかわれたという。家族は何気ない気心の知れた家族相手の軽口だったのだろうが、そりゃ凹むわな。
そんな感じで、一番彼の頑張りを誉めてくれるはずの家族からまともに誉められたこともなく、他人が相手のことを誉めるなどよっぽどの功績を残したときくらいだろうし、もしかしたら今まで生きてきて誰かに誉められたことがないのかもしれない。
熊本へ移住を決めたことを両親に告げたカズくんがこの歳になって初めて「お前はしっかりしてるから、そのお前が決めたことなら反対しない」と認めるような言葉をかけられたのだと嬉しいのか戸惑っているのか微妙な口調で教えてくれた。
今さらそんな風に認められてもねぇ。ビックリしちゃいました。だそうだ。
口調がやっと少しずつ砕けてきて安心したのも束の間、次に俺が気がついたのはカズくんの目線だった。
これもやはり自信の無さから来るのかもしれないが。
カズくんとはとにかく目線が合わない。向かい合っていても彼は俺の目ではなく喉元あたりを見ているし、俯いたままふわりと笑っているのが良く見る幸せそうな彼の表情だ。
気になった時に意識的に俺に目線を合わせてもらったら、ものの見事に5秒足らずで視線をさ迷わせた。
いくらなんでも短すぎるが、本人はもう限界恥ずかしすぎる勘弁してと句読点なしで逃げ出してしまった。
その後聞いた話では、こちらはカズくんが経験したイジメ被害によるトラウマからきている症状だった。
カズくん自身は、ちょっとハブられた時期があってね、と事態を軽く告げてきたものだが、どう聞いてもそれは十分イジメだったと思う。
受けていた被害のメインは、クラスの連中がよってたかってハブく、というものだったのだが、ハブくにはそれなりの理由が加害者側にも必要だったようで、汚いだの気持ち悪いだの難癖をつけられていたらしい。
実際には毎日入浴して服も洗いたてを身に付けていて汚い要素など皆無だったそうだが、難癖なんてものは事実関係と乖離するものらしい。
で、そうしてハブられていた時期に、体育の授業前休み時間の教室で体操服に着替えていたところ、気持ち悪いからこっち見るな、と何故か詰られたのだとか。
誰かを見ていたつもりは一切なかったものの、目が悪く着替えの為に眼鏡をはずしていたタイミングだったから、意識せずにその見るなと言った生徒を見つめていたのかもしれないと話していた。
いや、目を開いている以上誰かは目に入るだろうに。着替え中その辺を目線がうろうろしている方が気持ち悪い。自意識過剰なんじゃないのか、その生徒。
ともかく、そんなことがあってからしばらく、カズくんはホモなんじゃないのかとか、男の裸見て喜んでいるのだろうとか、言いがかりをつけられ続けたという話だった。
そのおかげで、自分の目線が他人を不快にさせるのかと思わされたのか、今でも目線を合わせるのが怖いのだという。
「あれ? でも、カズくんって眼鏡でもコンタクトでもなくないか?」
「あぁ、レーシックですよ。一昨年受けました」
今は視力も両目で1.5あるそうだ。ちゃんと効くんだな、レーシックって。
こんな感じで、カズくんの努力もなかなか追い付かない程度にコミュ障の症状は原因が多岐に渡っていてどれも克服が難しい状態だったんだ。
よく俺とふたりきりで旅が出来たよな、と改めて感想を述べれば、何故だか晴れやかに笑われるのだけど。
「ケイさんの高いコミュニケーション能力の賜物ですよ!」
いや、うん。
俺は普通だと思うんだが、カズくんがそう思ってるならまぁ良いや。
ちなみに、一連の検証をしていたら、カズくんが俺とエッチしている最中に枕にしがみついてしまう癖も納得してしまったという、残念な副産物があった。
誉められたこともなくイジメの被害を受けていて目線も合わせられない上に汚いもの扱いを受けて嫌がられていた彼は、とにかく他人と意識的に接触する機会が皆無だったんだ。
人肌って温かいというより熱いですよね。
裸になって抱き締めた恋人にこんな風にしみじみと言われる経験なんて、なかなかしないと思う。
その熱い肌の温度に触れるのが気持ちいいと、嬉しいと、むしろ自分から抱きつきたいといつか思ってもらえるように。
俺の奮闘は続くのだ。
まぁ、今のままでもカズくんは反応が可愛いから別に構わないんだけどね。
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