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【連休から1年後】
お台場の先にある東京港フェリーターミナルを夜19時過ぎに出発し、2泊の船旅に出発したのは、ケイさんと広島で別れた日からピッタリ1年後のことだった。
この1年でやるべきことが多すぎて、俺の30年に満たない半生の中でももっとも充実した1年だった。
連休明けに俺を待ち構えていたのは、所属する開発部の社員の半分を動員するような大プロジェクトの物流系サブシステムを開発するチームのうち、配送計画システムという孫システム開発チームのチームリーダーという位置付けだった。
そんな大プロジェクトの計画が立っていたのなら連休前にひと言予告くらいしてくれても良かったんじゃないかと思う。そう上司に直接愚痴ったら、あれだけ社内が大騒ぎだったのに気づいてなかったのかと呆れられた。
ちなみに、直前まで俺と一緒に修羅場っていたチーム全員が、そんな余裕あったわけねぇだろ、と口を揃えたのは余談だ。
今まで小規模ひとりチーム案件か中規模案件の火消役ばかりしていた俺がいきなり超大プロジェクトの一部とはいえ分隊長を任されてもはじめから上手くできるわけもない。システムの設計などという実務面はともかく、チームメンバーの分担管理とスケジューリングに右往左往し、先輩リーダーの邪魔をしながら手探り状態でペースを掴むまで、3ヶ月はかかった。
そりゃあ、ある程度の規模のチームリーダー経験を積みたいと上司に直談判していたのはその通りなんだが、何事にも限度というものはあると思う。いきなり20人近いチームのリーダーでサブリーダーも自分で見極めろと投げっぱなしされるとか、無茶振りってものだ。
ペースを掴むまでの精神的に焦っていた間、俺の愚痴を聞いてくれたケイさんの存在は実に大きかった。
ゆったり構えて俺の子どものような愚痴も余さず聞いてくれて宥めてくれるのだ。俺が頼らないわけがない。
まだ余裕のあるうちは公休日は休出禁止令が出たのを良いことに、ケイさんに会いに行ったり、御朱印集めに寺社を巡ったり、個人事業主としてそこそこ成功している例のオタクな友人に起業の相談をしたりと、休みは休みで忙しく動き回っていた。
ケイさんに見せるからと普段より気を使ってたくさんの写真を俺なりの構図で撮りまくった結果、写真をアップしているサイトの1日の訪問者数も予想外にウナギ登りになって驚いたものだ。
熊本に縁が出来たので移住するのだという話から、向こうでケイさんを手伝いながらあわよくば収入源を確保したいというなんとも都合の良い考えを相談された友人は、そんなご都合主義に引くことすらなく、だったら自分の仕事を手伝わないかと誘ってくれた。
レンタルサーバ管理を主業務にしながらWebシステムの受託仲介をしている彼は、近年の災害の多さからリスク分散のために日本の離れた土地にバックアップサーバを置いて管理したいと考えていたそうなのだ。そのためには離れた土地に人脈が必要なのだが、如何せん全く伝もなくて困っていたらしい。
それこそ、俺の熊本移住を渡りに船と歓迎ムードだ。
「でも、今は熊本もまだ余震警戒中だぞ?」
「だからこそ今なら免震物件が新築のトレンドだろ。物件はこっちでも当たりをつけるし、内見に行ってくれるならうちの経費で補助も出すよ」
実際に移住する俺よりも乗り気な彼に、苦笑も漏れるというものだ。
方針が決まればそれからはトントン拍子で、熊本に用意する施設の準備資金は友人が持ち、俺がその管理委託を請け負いながらレンタル料を支払い、という具合にどちらにも都合の良い条件で話はまとまっていった。
伝も資金もない俺が一から始めるよりも、実績のある彼の事業拡大による資金調達という形の方が銀行から資金を借りやすい。レンタル料契約の諸々ややこしい取り決めはこの銀行取引が最大の事由だ。
住むところはケイさんの住まいに転がり込む事で決定だし、年末年始もゴールデンウィークもシルバーウィークも全て熊本でケイさんの仕事やお母さんの家事を手伝いながら過ごした事で、美作家ではすっかり家族扱いだった。
老人ホームで暮らしているお祖父さんには、最初は男の嫁など受け入れられるはずもなく嫌われていたけれど、両親と何よりケイさん本人の強い意思から次第に態度を緩めてくれて、前回の帰り際にはむしろ早く戻ってこいと言われたほど。
あのキツい性格の嫁さんをもらっていたケイさんのお兄さんも、さすがお母さんの息子なだけあって嫌悪感ゼロだったし。
ちなみに、お兄さんは県庁職員として働いている公務員だった。同じ熊本に生活していながら住まいも別で酒屋も継がずで何をしている人なのかと謎だったが、県の公務員ならそりゃ親の家業の跡継ぎとはいえ辞めるわけがない。
ケイさんのこの1年はといえば、お父さんに付き添って営業の引き継ぎをしつつ、紙媒体メインの事務仕事を電子化したいな、とか、電話やファックスで受け付けている注文をWeb化できないかな、とか、色々と野望を膨らませていた。
システム屋として俺も相談に乗っているし、簡単なExcelマクロくらいなら作って送っていたりして、サポートに手を惜しんでいない。
やりたい内容はいくらでも聞いているから、俺の熊本での初仕事はリカーショップ美作向け受発注システムの開発と決定済みだ。
連休明けから携わった大プロジェクトは開発フェーズを終えて現在納品準備に追われている。俺の退職希望は半年も前から伝えてあって、このプロジェクトが俺の手を必要としなくなったら辞めさせてもらうということで会社と合意が取れた円満退職になった。
旅行先で良縁に恵まれて移住するのだ、との理由で納得しない人はなかなかいないだろう。
先週末にはプロジェクト収束前祝いとついでに俺の送別会も開いてくれて、久しぶりに前後不覚寸前まで酔っぱらわされたものだ。
プロジェクト中に発生した休出の振替と残った大量の有給休暇は全て会社が買い取ってくれた。棄てられるものと覚悟していただけに嬉しい誤算だ。
そこには開発部部長の気持ちと部長の訴えを受けた社長の厚意が影響したそうだ。最後の挨拶に行ったときに仕事で不在だった社長の代わりに受けてくれた専務に暴露された。
なんでも、せっかく早いうちから育てればずっと有能なマネージャーに成長する素質があったのに不遇な期間を数年過ごさせてしまった詫びの気持ちがあったそうだ。今頃リーダー手当てなども上乗せした給料を受け取っていただろうに申し訳なかった、なんて謝られてしまっても、何と答えて良いやら。
さすがに俺にそんな見込まれるほどの潜在能力はないと思うんだが。
そんなわけで臨時収入もあり懐温かく数日前にあたる先月末付けで会社を退職した俺は、着替えやパソコン類という最低限の荷物を車に積み込み、嵩張る家財道具は売り払い、今朝借りていたマンションの解約手続きも済ませての、船上の人になった。
北九州到着予定は明後日の朝。36時間ほどの船旅である。
レストランなどの設備はないらしいとのことで、船内売りの冷凍品を温めて食べるくらいならとカップ麺や弁当を持ち込んでいる。100円で買えたレンチン可能な使いすて容器とラップが大活躍だ。
実は弁当男子。冷凍したおかずを自然解凍で食えるのはよく知っている。夏は職場で普通にやってたからな。
最初は自分で高速走って熊本まで行こうかと考えていたのだけれど。
広島から帰宅した翌日の自分のぐったり感から、できればもう少し楽をしたいと調べたところのフェリーという結論だったんだ。
自分で高速を走らせて北九州までかかる時間が休憩時間除外で大体12時間。高速代とガソリン代がかかる。その料金と時間と俺の負荷を考えれば、フェリーでもあまり変わらなかったわけだ。時間がかかるかわりに疲れないし好きなように眠れる。
北九州の港には朝7時の到着だ。
去年の今頃もそうだったように晴れ続きの気候で波も穏やかだったおかげで船はほとんど揺れずに航海を終える。
早朝の天気も快晴。今日も1日良く晴れそうだ。
車に戻ってフェリーを降りてターミナルビルの玄関口に回る。
朝早いからと遠慮したのに聞かなかったケイさんがニコニコと満面の笑みを浮かべてそこで待っていてくれた。
「カズくん、おはよう!」
「本当に迎えに来てくれちゃったんですね」
「だって、早く会いたかったんだよ!」
呆れる俺の表情も気にすることなく、小走りにやって来て助手席に乗り込む。この位置関係も1年ぶりで懐かしい。
休みごとに遊びに来ていた時は、公共交通機関を利用するかケイさんのペーパードライバー脱却しかけで運転する車の助手席かだったから。
「朝ごはんは食べた?」
「まだです。フェリーの中、マジでちゃんとしたメシがなくて。作りたてのもの食べたい」
「じゃあ牛丼屋の朝定食かな」
「良いですね」
前日泊して待ち構えていてくれたケイさんに感謝しつつ、近隣の牛丼屋をナビに表示させて、熊本へ向けて出発進行。
今日からはもうずっと、ケイさんの隣で生きていく。離れる心配はほとんどない。
「カズくんに大切なお知らせです」
「え……。なんか嫌な予感」
「いやいや。一応おめでたいお知らせだよ」
「一応って、そんな取って付けたみたいに言われても安心材料にならないんですが」
「あはは。うちの母さんの破天荒ぶりは天災レベルではあるからねぇ」
ということは、貴腐人なお母さんからの司令なんですね。余計聞きたくなくなったんですが。
「で、お知らせはなんですか?」
「うちで養子縁組届用紙用意して待ち構えてます。ヨリちゃんは昨夜出てくるときに小豆ふやかしてました」
うちの子になっちゃいなさいとは確かに言われてたけども。やっぱり本気だったのか、あれ。
小豆ってことは、赤飯でも炊いてくれるのかな。
いや、うちの方の家族には熊本に引っ越す話しかしてないんだが。
「お義母さん、気が早い」
「役所に提出するのは瀧本家にご挨拶に伺ってから、と念は押しておいた。書類を書くだけで良いよ」
「着いたらまず判子探しですね。段ボールの開封手伝ってください」
「OK、任せろ!」
弾むようなケイさんの声が請け負ってくれる。きっとこのまま、俺の残りの人生までも。
養子縁組なんて、名実ともに嫁入りみたいなものだ。
男で、長男で、一応瀧本家の家名を継ぐものと思われて育てられてきた俺が。
嫁扱いに嫌ともまったく思えない俺も俺なんだろうけどな。
旅先で嫁入り先の手配を済ませてしまう男なんて、広くて狭い人口過密なこの日本列島でも、きっと後にも先にも俺ひとりしかいないに違いない。
幸せとは案外非日常の中にあったりするものだ。
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