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act12:その後のふたり④
それは年が明けて、店の初営業日に井上が突然、閉店5分前に現れた。堂々と入ってきたんじゃなく、何故だか扉を少しだけ開け、恐々とした表情を浮かべて顔を突っ込んだ状態で、店内を覗きこむ姿に首を傾げるしかない。
受け持ちのお客様を送った後だった俺は、それにいち早く気がつき、井上の傍に掛け寄ってやった。
「あけおめ。何やってんだよ、こんな店先で」
「あ、レイン先輩。あけましておめでとうございます……あの大倉さんは?」
明らかに困った顔をして、おどおどしている様子に首を傾げる。井上らしくない。
「大倉さんなら奥で、仕事上がりに俺が飲むレモネードを作ってる最中」
「そうか。義兄さんがこっちに戻ってきたら、とりあえずここに顔を出すよう、大倉さんに言伝頼まれたらしくて。何か知ってる?」
――あ、例のアレ……
「悪ぃ。井上が俺にした破廉恥なコトが、今頃バレちゃって。大倉さんがお冠になってるんだと思う」
言いながら人差し指で頭に角を生えさせたら、やっぱりそれかと呟いた。勘の良いコイツのことだ、そういう予想がついていたから、恐る恐る店を覗いていたんだな。
「なーに、ふたりでコソコソと、仲良さそうにしているのかな?」
振り返ると妙に明るい声をかけてきた大倉さんが、ニコニコしながら俺らを眺めている。手には、ジョッキが二つ握られていた。
大倉さんの登場に観念したのか、扉をしっかり開けて中に入り込み、姿を見せた井上。
「あけましておめでとうございます、大倉さん」
ぺこりと頭を下げて、しっかりと挨拶。それを見降ろす、大倉さんの笑顔が逆に怖すぎる……
「あけましておめでとう、穂高さん。わざわざ来てくれて嬉しいよ」
笑顔を絶やさずに、手に持っていたジョッキの一つを、俺に手渡してきた。
「レインくん、いつものヤツ。今日は少しだけ、レモンを多めにしておいたよ。早く疲れがとれるといいね」
「あ、サンキュー……」
「穂高さんにもあげるね、これ――」
頭を上げた井上の目の前に、颯爽と掲げられたジョッキ。それは大量に氷が入れられた、ただのお冷にしか見えなかった。
「……いただきます」
手を伸ばした井上を避けるように、大倉さんはジョッキを引き下げ、
「普通にあげると思ったら、大間違いだよ」
言い終える前に井上の頭上にジョッキを掲げて、中身を一気にぶち捲けた。冷水と一緒に氷がぶつかりながら、カラカラと音を立てて流れ落ちていく。
異様な物音に店にいた客とキャストが、しんと静まりかえった。
「うわ……超悲惨」
誰かの呟く声が店内から漏れ聞こえたので、その方向に顔を向けたら、揃って頭をうつ向かせる。
無理もない――店ではいつも温厚で通っている大倉さんが客がいるというのに、大ジョッキで冷水を浴びせるという、酷いことをしたんだから。
「お、おい……大丈夫か井上」
濡れネズミ状態の井上は黙ったまま、微動だにしない。頭から冷水を被ったせいで、長めの前髪が顔にかかり、表情が全く読めなかった。
俺の横にいる大倉さんに視線を飛ばしたら、にこやかに浮かべていた笑顔を消し去り、真顔でじっと井上を見つめている。
すっげぇ怖い――何が起こるか想像つかないぜ。
「本当はレインくんにしたことを、そのまま返してやりたい気分なんだけどさ。それしちゃうと穂高さんの恋人に、復讐されちゃうかもしれないからね。それだけにしておいてあげるよ」
「いえ……俺こそ酷いことをしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
顔を覆っていた前髪をかき上げ、しっかり大倉さんを見てから、きっちりと頭を下げる。
何だか見ていられなくなり、レモネードの入ったジョッキをカウンターに置いて、フェイスタオルを取りに行ってやった。
現場に戻ると、相変わらず静まりかえったままの店内に、井上の困惑しきった声が響いていて。
「それは……ちょっと困ります。こういう場所に立ち入れさせたくなくて」
眉根を寄せて、それはそれはイヤそうにしていた。きっと大倉さんのワガママが、ここぞとばかりに炸裂しているんだろう。いつも困らせられているから、気持ちがすっげぇ分かる!
「大倉さん、いい加減にしてやれって。井上のヤツ、困ってんだろ」
「そんなの見れば分かるよ。そうじゃなきゃ、意味がないからね」
――うわぁ、確信犯。
「ほら、井上。これで濡れたトコ、拭ったらいい」
困った顔して立ちつくしている井上の手に、強引にタオルを握らせてやる。
「ありがとうございます。レイン先輩……」
手渡したそれで、顔にかかってる水分を拭おうとした矢先、ひったくる様にタオルを奪う大倉さん。その眼差しは明らかに嫉妬にみち溢れていて、頭を抱えたくなるものだった。
「秀っ……いや、あの大倉さん。いい加減にしないとさ、その……周りの目もあるし」
突き刺さってくる外野の視線を感じ、ふたりの腕を掴んで、ロッカールームに引きずるように連れて行くしかなくて。
ふたりの大男をとりあえず中に放り込み、背中で扉を閉める。
大倉さんは相変わらず、井上の顔をじとーっと見つめたままでいるし、その視線に耐えられずに、俯いたままでいる井上という、イヤな雰囲気を肌でひしひしと感じた。
「穂高さん、俺の要求を了承しないとこの件について、ずーっと君のことを恨むから。恨むことを通り越して、いつしか呪うかもしれないよ」
「なんちゅー脅し方してるんだ、呆れた……秀彦、いい加減にしろって。もう終わったことをグチグチ言っても、しょうがねぇだろ」
イライラを落ち着かせようと大倉さんの肩を叩いたら、その手をぎゅっと、両手で握り締められる。
「君の中では過去の出来事でも、俺にとっては昨日の話なんだよ。穂高さんのその手で、レインくんの感じる竿を、瞬く間にイカせたと思ったら、怒りで気が狂いそうなんだ」
――おいおい、怒りで自分が何を言ってるのか、分かってないな。
「や、そのことについて隠してたのは、俺が悪かったと思う。だけど――」
「……分かりました。その要求を飲みます」
宥めに入った途端、井上が頭を下げながら言葉を口にした。大倉さんが折れないことに、ほとほと疲れ切ってしまったのだろう。
「お、おい井上、その要求を飲んでいいのかよ? 大丈夫なのか?」
「はぃ……正直、あまり気は進まないんですが、こうでもしないと大倉さんの怒りが収まらないようなので」
「秀彦、何を要求したんだよ?」
この人のことだ、えげつないことを言ったに違いない!
「簡単だよ、穂高さんの恋人をここに連れてくるだけ」
それって――
「店に恋人を連れて来たあかつきに、今までやった井上の悪事を、全部暴露する気じゃ……」
大倉さんなら、やりかねないぞ!!
「そこまではやらないよ。ただ穂高さんの恋人を見たいだけ。純粋に、ね」
うわぁ、不純にみち溢れまくってるって。どうすんだよ、井上?
心配になり、向かい側にいる井上に視線を飛ばしたら、顎に手を当てて、何やら考え込んでいる様子だった。
「連れて来たいのは山々なんですが、彼も忙しい身なので、直ぐには無理なんですが」
彼……井上の恋人って、女じゃなかったのか――
「穂高さんが、次にこっちに来る予定はいつ?」
「多分、バレンタインの前後になるかと。悪天候でフェリーが欠航になる可能性があるので、ハッキリした日付は言えません」
「そう。じゃあバレンタインの前夜、13日の開店前に顔を出してほしいな。じっくりと話がしたいし」
安定のムチャぶりしやがった。絶対にこの日に顔を出さなきゃ、殺されるぞ。
「分かりました。善処します」
「契約成立ってことで、どうぞ♪」
大倉さんが持っていたタオルを、井上にやっと手渡す。
「ありがとうございます。お手数おかけして、すみませんでした」
深々と頭を下げてから、手渡されたタオルを首に掛け、足早にロッカールームから出て行ってしまった。
「秀彦、あれはちょっと酷いんじゃないか!?」
いちゃもんつけるにしても限度があると思い、それを口にしたのだけれど。俺を見る目が、どんどん嫉妬に満ちたものになっていくのを、ただ息を飲んで見守るしか出来ない。
「……随分と、穂高さんの肩を持つんだね。もしかしてまたシて欲しいなんて考えが、レインくんの中にあったりして?」
「んなもん、あるわけないだろ。バカらしい! 大倉さんの相手で手一杯だよ」
「ホント? ねぇ嘘、言ってない?」
縋る様な目つきで近づき、両手を腰にまわしてきた。密着したところから、大倉さんの体温が伝わってきて、口元がつい緩んでしまう。
「呆れるくらい、秀彦にぞっこんだよ。ちなみに、俺も嫉妬してるんだけど」
「は? 誰に?」
「前カレの翼ってヤツ。問題発覚した日に、一緒にここから出て行ったじゃん。あれ結構、ムカついたんだぜ」
言った途端に、肩を揺すって大笑いするとか、一体何なんだよ!?
「ああ、あれね。レインくんに対する、おしおきその1だから。なーんて」
いきなり、ちゅっとくちびるを奪われたせいで、声を上げそうになった。それを必死にぐっと飲み込んだ俺へ、お構いなしに、舌を絡めようとする大倉さんに対し、またしても困り果てるしかない。
鍵をかけてないロッカールームに、店を締めますかって言いながら、キャストが入ってきたらどうするんだよ。
「もう、隠しごとはごめんだからね。今度したら――どうなるか覚悟しておけよレインくん」
派手なくちづけを頬に落としてから、颯爽と出て行った大倉さんの後姿を、呆然としながら見送るしかなかった。
「嫉妬深い恋人を持つと、マジで苦労が絶えないや」
ま、そんな苦労もちゃっかり楽しんでいたりするんだけどな。大倉さんの嫉妬は苦しくもあるけど、嬉しくもあるから――
おしまい
※穂高さんがShangri-la に顔を出すお話は、残り火【短編集】の【ハートに火をつけて】に掲載しますので、ぜひともお楽しみくださいね。
最後まで閲覧してくださり、ありがとうございました。
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