1 / 17
act1:俺たちの出逢い
寄せられる想いに、全然気づけずにいた――だってこの人、仕事の仕方を教えながら迫ってくるとか、冗談にしか思えなかったから。
しかも、やめろって言ってんのに、人の話を全然聞かねぇで、アチコチ触りまくってくるし。
エロ親父と思っていたのに、いつの間にかその熱い想いは、俺の身体にぴょんと跳ねてきて、そこから燃え尽くしてしまったんだ。
――それを心地いいと思った時点で、溺れてしまった。
☆、。・:*:・゚`★.。・:*:・
いつものように5番テーブルでぼんやりしていたら、ニコニコしながら大倉さんが傍にやって来た。妙だ――
「どうしたんだよ? 随分とご機嫌だな大倉さん」
「そりゃあ、ご機嫌にもなるさ。君と出逢って今日でちょうど、2年目になるんだよ。記念日じゃないか」
「あー、そうなんだ……」
気だるげに答えてやったのだが、実は覚えていた。分かっていたけれどそれを口にしたら、何だか女みたいだと思ったからあえて反応せずに、ふいっと顔を背ける。
まさか大倉さんが指摘してくるとは、夢にも思っていなかった。
「去年は店が忙しくて、気がついたら終わってしまっていたけど、今年はきちんとカウントダウンして、今日に備えていたんだよ」
「ふっ……俺はちゃんと覚えていたのにな。1年前のその日に、大倉さんの胸ポケットに、赤い薔薇を差して、プレゼントしたのにさ」
「そういえば、そんなことがあったね。しかもかなり濃い色した、珍しい赤い薔薇を2本だったよなぁ」
顎に手を当てて、何とか思い出してくれる姿に、吹き出しそうになる。必死に考えなきゃいけないくらい、その頃は忙しかったから――
メンズキャバクラ・シャングリラの系列店のホストクラブ・パラダイスの元ナンバーワンの井上 穂高が店からいなくなって、一気に売り上げが減った時だった。
それまでの賑わいとは一変した店の雰囲気に、店長である大倉さんだけじゃなく、店で働いてる全員がヤバイって思ったんだ。たった一人抜けただけなのに、何だよ、これはって感じで。
経営の見直しやイベントを企画したりと、当時相当忙しかった時期だったから、覚えちゃいないと思ったのに――さすがというべきか。
「オーナーから送られてきた、FAX見ながらだったから、妙に覚えているのかも。レインくんの表情まで覚えているよ。『そんな、つまんなそうな顔すんなって。これやるよ』って言ったよね?」
「そうだったかな。俺バカだから、よく覚えてないわ」
「赤い薔薇の花言葉は知ってるよ。愛情とか情熱とか、あなたを愛してます、みたいなのだったろ?」
――さすがは元ホスト。当たり前すぎる知識ってトコか。だけど濃い色ってトコが、実はミソなんだけどな――
「正解。じゃあ薔薇の本数についての意味、知ってる?」
耳元にくちびるを寄せて、ちゅっと耳朶にキスを落してやった。いつもされてるから、お返ししてやるよ。
「薔薇の本数についての意味、か――さて、何だろうね」
クスクス笑いながら、背中に隠し持っていたものを、ばばんと目の前に掲げ、どうぞと言って手渡してきた。
「うおっ……いきなり大量の白い薔薇って、何なんだ?」
両手で持たなきゃならないくらい、たくさんの白い薔薇が、ピンク色のリボンで括られていて。花束と大倉さんの顔を、交互に見てしまった。
「白い薔薇の花言葉は、純潔・清純・心からの尊敬。それと、私はあなたにふさわしい」
「大倉さんが俺に、ふさわしい?」
「ああ。店でナンバーワンの君にふさわしい男でありたいと、いつも思っているんだ。その気持ちを込めて」
柔らかく微笑み、俺の肩を抱き寄せて顔を近づける。
「ちょっ、たんま! 薔薇が潰れちまうって、勿体ない! ちなみにこれ、何本あるんだよ?」
「ははっ、99本だよ。意味は、永遠の愛・ずっと一緒にいようなんだけどな」
「99本の意味知ってて2本の意味、知らねぇのかよ?」
呆れてしまい、ため息をついて背中を向けてやった。この人は基本、自分中心に動いてる。俺の気持ちなんて、知らなくていいのかもしれない。
「……レインくんの口から、直接聞きたい。なぁ、教えてくれないか?」
強請るように呟いて、後ろからぎゅっと抱きついてくる大倉さん。言わないでいたら、きっとあらゆる手で、俺を責め立てるに違いない――
――マジでワガママで、困った人だけど。
「濃紅色の薔薇の花言葉は、死ぬほど恋いこがれてるっていう意味で、2本の薔薇の意味は、この世界はふたりだけってことだよ」
吐き捨てるように言ったのにも関わらず、後ろ手から薔薇の花束をさっさと取り上げ、傍にあるテーブルに無雑作に放り捨てるように投げると、その勢いヨロシクがばっと押し倒した。
「ちょ、おいおい、いきなりどうしたんだよ?」
「レインくんが、すっごく嬉しいことを言ってくれたから、サービスしてあげようと思って。だってこの世界は、ふたりだけなんだし、ね」
魅惑的に微笑んだ大倉さんのくちびるが、想いを押し付けるようにキスをする。はじめてキスされたのも、この場所だったっけ。
そうあれは、2年前の――
☆、。・:*:・゚`★.。・:*:・
「マジでヤベーよな……次の仕事先見つけねぇと、何もかもが止められちまう」
コンビニの本棚の前で、バイト情報誌に目を通していた。いろんなバイトを掛け持ちして、何とか食いつないでいたのだが、バイト先の先輩とすっげぇくだらない事で揉めてしまい、一箇所を首になっただけじゃなく……別な場所では後輩の失敗を、まんまと自分のせいにされてしまったせいで、弁解虚しく首になってしまったのだった。
「タイミングが悪すぎるぜ、まったくよぉ」
幸いなことに、体力には自信があるので、肉体労働だろうがどんなキツめの仕事でもこなせるから、割と自給のいい仕事にありつける。手っ取り早く稼ぐには、3Kの仕事はもってこいなんだ。
「給料が安い、休暇が少ない、カッコ悪いが加わっちゃうトコは、絶対にパスしなきゃだな。6Kとかありえないぜ」
ブツブツ独り言を呟き、ぱらぱらとページをめくっていたら、トントンと肩を叩かれた。不思議に思って振り返ると、そこにいたのは見知らぬ男で、口元に笑みを浮かべながら俺の顔を、これでもかと見つめる。
「バイト、探しているの?」
俺と同じくらいの身長なので、必然的に目線が同じ高さにあり、しかもずいっと近寄ってきたので、顎を引くことでしか、距離を取れなかった。
「はぁ、まぁ……」
「君、10代?」
「いいえ。23ですけど」
「わっかく見えるなぁ、羨ましい!」
瞳を瞬かせ、更に俺を見つめる視線に堪えられなくなり、顔を横に背けてやりすごす。
「ど、どうも////」
男に褒められても嬉しくないのに、これでもかとガン見してくるせいで、変にキョドってしまった。何なんだ? このラブラブな眼差しはよぉ……
「ねぇ君、ウチで働かない? その素材を、フルに生かしてあげるからさ。きっと、ナンバーワンになれると思うんだ」
「なんばーわん?」
首を捻りながら、改めて男の容姿を眺めてみる。
見るからにさらさらしている、少しだけ茶色い髪とその下にある、切れ長の涼やかな一重まぶたは、やや垂れ目気味の自分には羨ましい感じだなと思われ、それだけじゃなく――すっと通った鼻筋の下にある、厚すぎず薄すぎずな唇は、さっきから頬笑みを絶やさないでいた。
黒っぽいシャツの上に、グレーのスーツをカッコよく着こなしていて、どこかのブランド物なんだろうなぁと推測したのだが。
コイツ、芸能関係者なんだろうか? どこにでもいそうな俺を、こうやって簡単にスカウトして夢を語るとか、どう考えても頭が可笑しいと思えるぞ。
「う~ん……君の童顔を生かすのもアリだけど、それだとウチにいるコと被っちゃうんだよなぁ。ここはあえて、改造してみるのもいいね。よしっ!」
頭の先から足先まで、しげしげと眺め倒し、まだOKしていないというのに俺の腕を掴んで、さぁ行こうと強引に引っ張る男。
慌てて、力任せに振り解いてやった。
「待てって、いきなりどこに拉致るつもりなんだよ? 職種も聞いてねぇのに、着いて行けるかって」
「ごめんごめん。君があまりにもステキなもので、つい。俺はこういう者だよ」
何故かカラカラ笑い出して、胸ポケットから慣れた感じで名刺を取り出し、頭を下げながら俺に手渡してきた。
「……メンズキャバクラの店長、さん?」
それには大倉 秀彦 と書いてあり、そのお店もこのコンビニの近くにあるようだ。
「ところで君の名前、教えてくれないかな?」
「あっ、スミマセン。俺は北条 聡 です。あの、メンズキャバクラって何ですか?」
「そうだな。簡単に説明すると、ホストクラブよりも敷居が低い場所って、表現すべきかな。癒しを求めてやって来る女性客を、キャストと呼ばれる男性従業員がおもてなしするところだよ。ホストと呼び名は違うけれど、やっていることはほとんど同じ」
つまりそのキャストにすべく、スカウトされちゃったんだ俺――
「つぶらな君の瞳は、間違いなく女性客を虜にするね。顎についてるホクロも、何気にセクシーだし、間違いなくナンバーワンになれる素質を持っている!」
「はあ……」
熱く語ってくれても、どうにもピンとこない。客商売をしたことがないワケじゃねぇが、ホストみたいな仕事がこの俺に、ちゃんと出来るんだろうか?
「まずはその童顔を大人っぽく見せるべく、日焼けサロンに行こう! それから間髪おかずに美容室に行って、派手目の金髪にしてっと」
「ちょっ、たんま! そんなナリしてたら、今やってるバイトがクビになるんだけどさ」
「ちょうどいいじゃないか。辞めちゃいなよ」
おいおい、冗談じゃねぇぞ。バイト全部辞めたら、確実にライフラインが止められるっちゅーの!
「そんなん、出来るワケねぇだろぉが」
「だったら俺が、支度金出してあげる。今働いてるトコの月給と、探してる仕事の給料合わせてね」
「は? ∑(゚∇゚.|||)」
「そしたら何も気にすることなく、俺の店で思う存分に働けるだろ。遠慮することないよ、さぁ行こう!」
俺の意見も何のその、勝手に話を終わらせて、ズルズルと言われた場所に、連れて行こうとする。
コイツ、人の話を全然聞かないヤツなんだな――
「ちょっ、いきなりどこに連れて行くんだ?」
「うん? さっき言ったろ、日サロだよ。あっ、もしもし。いつもお世話になっております、大倉でぇす♪」
俺の右腕を掴んだまま、大通りに出て辺りをキョロキョロ窺いつつ、スマホの相手に話し出した。
「あのさ、機械空いてるかな? 新人のコひとり、ぶち込みたいんだけど。おおっ、何ていうタイミング! 今から行くわ。じゃあね」
ピッと音を立ててスマホを切り、満面の笑みを浮かべ俺の顔を見る。
「機械、空いてるってさ。早速、焼きに行こうか」
「待てよ……俺まだ、働くなんて言ってないんだけど」
「そうだっけ? でもついて来てるのが、了承の証だよね」
「は? アンタが勝手に俺を引っ張って、外に出たんだろうが!」
まるで人さらいだ。強引にも、程があるっちゅーの。
「イヤなら、さっさとこの手を、振り解けば良かったんじゃないのかな?」
ニヤニヤして、わざわざ掴んでる腕を見せるとか、どんだけイジワルなんだ、コイツ――
「だってよ、振り解く暇がないくらい、さっさと……っ、冷たっ!」
唐突に降り出した雨が、俺の頬を濡らした。
「日サロのタイミングは良かったけど、空のタイミングは悪いみたいだね。しかもタクシーが拾えないっていう」
ボヤキながら空を見上げた大倉さんの頭に、そっと傘を差し出してやる。
「午後からの降水確率、80パーセントだったぜ……日サロの場所、どこなんだよ?」
「あ、その、歩いて10分くらいのトコだけど」
「だったら歩いて行こうぜ。そのくらいの距離でタクシー使うの、勿体ねぇからさ」
吐き捨てるように、そっぽを向きながら言ってやった。それくらいの距離で自分のために、ムダな金を使わせたくはないしな。
「雇われてくれるの?」
その言葉に、チラッと大倉さんの顔を見たら、キラキラした目で俺を見ている様子に、慌てて視線を逸らしてやる。
「……何か、アンタ一生懸命そうだし。お金くれそうだから、生活も何とかなりそうだしな」
「やった! 金の卵をゲットしたぞ!! この雨にあやかって君の源氏名は、北条 レインに決定だ」
「北条 レイン……何か胡散臭そうな名前だな」
「何を言ってるんだ。水も滴るいい男って意味だよ、レインくん」
相合傘の中、褒められながら肩をぽんぽん叩かれても、全然嬉しくねぇ――
その後、渋い顔をしたままの俺を連れ、日焼けサロンに並んで歩く。向かう道中、大倉さんは俺に今までの生活を質問をしまくり、ぽつりぽつりと語ってやったのだが、俺以上に饒舌に話をしてくれたお陰で、会話が途切れることがなく、無事に到着する。
さすが客商売のプロ、相手を退屈させない会話術には舌を巻くしかなかった。
☆、。・:*:・゚`★.。・:*:・
***
「やぁん、秀 ちゃんお久しぶりぶりぃ! 最近ジムで逢わなくなったから、すっごく寂しくってぇ!!」
日サロの扉を開けた瞬間、日焼けした体を見せるためなのか、上半身半裸状態の厳つい体をした坊主頭の男が、足音を立てて走り寄ってきた。
そして迷うことなく、大倉さんに抱きつく。そのあまりの迫力に思わず、横に飛び退いてしまったくらいだ。
「店長、また一回り体がデカくなったな。すごいすごい」
つるっつるの頭を優しく撫でている姿に、うわぁと失笑するしかない。
「秀ちゃんってば、ちゃんとジムに通ってんの? 一緒に背中の洗いっこしたいのに」
「店のほうが忙しくてね。それでも週1か2で通ってるよ。そうそう、彼はウチの新人。これからここに通うことになるから、ヨロシクしてやってくれ」
大倉さんが坊主頭の肩を叩くと、それが合図のように、俺のことを見てきた。その視線に、何故だか悪寒が走る。
なんていうか、舐めるように見つめてきたのだ。初めて逢ったとき、大倉さんも似たような視線で見ていたけど、ここまで粘着質な感じじゃなかった。
しかしながら、これから通わなきゃならねぇし、こんなことでビクついていないで、きちんと挨拶しなきゃな……
「あの、初めまして。お世話になります、北条と言います」
勇気を振り絞って大きな声を出し、きっちり頭を下げた。
「んまあぁっ、何て可愛いの! 若いのに礼儀正しくって、細身で長身でって……モロに好みなんですけどー! 押し倒して食べてしまいたいわっ!!」
言いながら、俺に向かって伸ばされた太い腕を、素早く掴んで阻止した大倉さん。正直、助かってしまった。
「こらこら。大柄な店長が迫ったら、彼がビビっちゃうから。それにノンケだし、店の大事な商品だからね。唾を付けないでくれよ」
「うぅん……いけずなんだからぁ。んもぅ、お店に通っちゃおうかしら」
「ダーメ。女性客専門だからね、ウチは。他所に行ってくれ」
店長と大倉さんがやり取りしてる間に、気になった言葉をちゃっかりスマホで検索してみる。『ノンケ』って一体何なんだ?
「……ぅげっ! ( ̄□.||||!!」
「おや、どうしたんだ?」
「いや、その……何でもないです、はい……」
ノンケ――同性愛の“ケ”(その気)がない人を指す隠語って、俺ってば狙われてしまったのか……!?
「じゃあ、後は頼んだよ店長。銀行に行ってくるから、30分くらいで戻る」
その言葉にハッとして、慌てて大倉さんの腕を掴んだ。
「さっきからどうした? そんな不安そうな顔して」
「や、だってよぅ……」
恐々と、ハゲた店長の顔を見るしかない。ギラギラした目で、相変わらず俺を見つめているし。
「大丈夫だから。店長の言う通りにして、機械に20分間入ればいいだけだから。じゃあね」
やんわりと俺の手を振り解き、颯爽と出て行ってしまった背中に伸ばした手が、虚しく空を掴んだ。入れ代わりにお客が入ってくる。
ハゲた店長は怯えまくる俺に近づき、コソッと耳元で囁いた。
「ちょーっとだけ待っててね。優しく教えてあげるから♪」
うふっと口元だけで笑って、新たに入ってきたお客に対し、礼儀正しく頭を下げる。
「いらっしゃいませ! いつもご利用ありがとうございまっする!」
さっきとは180度転換した、野太いオッサンみたいな声で挨拶。見た目と比例している姿を垣間見て、出会い頭との違いに、ただただ驚くしかなかった。
その後、マトモなオッサン声で言われた通り、全身にジェルを塗ったくり、機械の中に入って、光を浴びること20分。日焼けするというので、ヒリヒリするのかと思いきや、そんなことはなく軽く色づいた程度だった。
「48時間、肌を休ませてからまた店に来いよ。あっ山田様、お疲れ様でした!」
ダンディな感じの喋り方に、逆に違和感を感じながらソファに座り、用意されていたウーロン茶を一口飲んだ。大倉さんは用事が終わってないらしく、まだ現れない――
おねぇ店長に何かされるかもという、見えない不安に苛まれていると、テーブルの前に噂の人物がいそいそと座り込んで、俺をじーっと見つめてきた。
「……な、何でしょうか?」
「お客さん、みんな帰っちゃったし、お話しようか」
いきなり甲高い声の、おねぇ語で話し出すとか(汗) 頼むから話だけで終わらせてくれよ、マジで……
緊張した面持ちで、おねぇ店長の顔をちらりと見たら、意味深な笑みを浮かべていたので、思わず視線を外すと、はーっとため息をつき、あのねと話し出した。
「まだ入ったばかりの北条くんに頼むのは、とっても荷が重く感じるかもしれないけれど、秀ちゃんのことを頼むわね」
「はあ……」
「あんなにイケメンなのに、それまでの苦労を全然見せないで頑張る姿を見てるだけで、涙が出てきちゃってね。ちょっと、ちゃんと話を聞きなさいよ!」
「きっ、聞いてます。大丈夫ですから! 大倉さんが苦労人だっていう話……」
身の危険をひしひしと感じ、必死になって答えると、満面の笑みを浮かべ、いろいろ教えてくれた。大倉さんの身の上話を聞くだけで、どうしてこんなに冷や汗をかかなきゃならないんだか。
「秀ちゃんね、とある有名どころの店のホストで、ナンバーツーだった人なの。ナンバーワンになれなかったのは、そうね……欲がないっていうのかしら。だからといって偉ぶる感じでもないし、誰にでも人当たりが良くってね。怒ったところを未だに、見たことがないわ。泣いたところも」
「人当たりがいいのは、分かります……」
人当たりがいいというよりも、馴れ馴れしいと思った。それをウザいなと感じたのだが、常に笑顔を崩さず接してきたから結果、好印象になっちまったんだ。
「ところがね、店に通っていた女とデキちゃったのよ。実際見たけど、そこまでキレイな女でもなかったんだけどねー。何でか秀ちゃん、その女にめちゃめちゃ惚れ込んじゃって、店を辞めて結婚した挙句、女の夢だっていう喫茶店、自分のお金を使って開いたのよ」
「……っ、情熱的というか、すごいっすね」
変な反応をしたら怒られそうなので、返事をするのにも必死だ。
「でしょー、でしょー! だから秀ちゃんのために、喫茶店に足繁く通ったのよ。落したてのコーヒーも美味しかったけど、秀ちゃん特製のレモネードが、これまた絶品でね。どっかから、わざわざ取り寄せてるっていう国産のレモンを、ひとつひとつ手で絞って、わざわざ作ってくれたのが、本当に美味しかったのよ」
両手を組んで、何故だか天井を仰ぎ見ている店長に、声がかけ辛い――
「だけどねー、喫茶店にお客さんが入らなかったの。原因はことあるごとに女が、秀ちゃんにケンカを吹っかけて来て、店の雰囲気をダメにしていたから。『さっきの女性客に、色目を使ってたでしょ!?』なぁんて言ってきて、否定しても聞く耳持たずで、苦労しっぱなしだったわ。見ていて胸が痛くなったもの」
「大変っすね……」
「そうなの。その大変さをなくすべく秀ちゃん、昔馴染みのお客さんに、声をかけまくったらしいのよ。まさに自ら、火に油を注ぐっていうのにね」
「昔馴染みの客って、ホストをしていた時の――」
想像するだに恐ろしい。奥さんの嫉妬心に、ドバドバと油を注いでいるようなものじゃないか。
「女心を掴むのが得意なクセに、その後のアフターケアがなっていないのよ、残念ね。結果、店は一時的に繁盛したけど、女とは離婚。店も閉めることになったワケ」
「……そうなんですか。へぇ……」
「ひとりぼっちになった秀ちゃんに、知り合いが声をかけて、今のお店の店長になったのよ。店が軌道に乗ったのと同時に、恋の軌道にも乗ったみたいなんだけど、二兎追うもの一兎も得ずで、ちょっと前に男と別れたって聞いたわ」
「ぉ、男ぉっ!?」
それまで低いテンションで返事していた俺が、素っ頓狂な声をあげたので、相当ビックリしたらしい。音を出すくらい、デカイ体を思いきりビクつかせた。
「んもぅ、可愛い顔して変な声をあげないでちょうだい。いいじゃないのよ、ゲイのひとりやふたり」
「はぃ……すみません。ちょっと驚いてしまって」
「だけどさ女性不振になった男が、女性を相手にする仕事をするって、大変なことだと思うのよ。だからアナタに支えてほしくて、秀ちゃんの特異体質を教えたんだからね。全力で尽くしてあげてよ!」
尽くせって……従業員としてという意味だと思いたい!
おねぇ店長がガハハと男らしく笑いながら、困惑しまくりの俺の頭をぐちゃぐちゃと撫でまくった。その時、日サロの扉が開いて、大倉さんが顔を覗かせた。
「待たせてしまって悪かったね。銀行が思ってた以上に混雑していて。さぁ次は美容室に行こうか」
「あ、はい。じゃあ俺、行きます」
ソファから腰を上げて、目の前にいるおねぇ店長に頭を下げた。
「秀ちゃん、焼き具合いい感じでしょ? キッチリと仕事を果たしたからね」
歩み寄った俺の顔をじっと見て、ニッコリと微笑む大倉さん。
「さすがは店長だ、安心して任せられる」
「報酬は?」
「勿論後日、現生の特上品を、ね――」
「毎度どうも!!」
俺の背中を押しながら扉を開ける後姿に、おねぇ店長の大きな声がかけられた。
「あの……日サロのお代は」
ともだちにシェアしよう!