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 くだらないバラエティ番組を見ながら黙々とつまみの量を減らし、淡々と缶ビールの中身を飲み下し続けてしばらくした頃。 「あーのさー…」  ぽつりと呟かれた言葉に、嵯峨山はアルコールで浮ついた意識を立花へと向けた。立花の視線は、テレビ画面から外れる事はなく、口元ではイカの燻製が上下に揺れている。  嵯峨山は、ゆっくりと缶を傾けながら、立花の次の言葉を待った。 「弟の、お前さんに言うのはどうなのか分かんないけど…酔っぱらいの戯言だと思って聞いてよ」 「…っす」  ふと気が付く。テレビを見ているはずの立花の眼差しは、遠い過去を見つめている事を。 「俺が高二、あの人…南雲さんが三年の時にちょっとだけ…半年くらいかな…付き合ってた」  ふわふわとした現実味のない声がゆっくりと過去を紡いでいく。 「夏の終わりぐらいから…あの人の卒業まで。きっかけは…うん、俺が悩んでたんだよ」 「悩んでた…?」  口を挟むまいと思っていたが、嵯峨山は反射的にオウム返しをしていた。あ、と思いはしたが、立花は怒るでもなくむしろ幼い仕草でひとつ頷いて見せた。 「ん、悩んでた。なに、意外?」 「あ、いや、そんな事は無いっす」 「お前でも悩むと思うよー?思春期にもなって、男にしか目が行かないなんて」  ゆっくりと瞼を閉じ、同じように緩慢な動作で瞼が開かれた時、突如かちあった視線に嵯峨山は小さく息を詰めた。妙に艶めいた眼差しだと思った。思って、慌てて視線を外す。  立花はだいぶ酔いが回っているのか、焦っている嵯峨山を気にした素振りも見せずに缶を呷って話を続けた。 「あとはまあ、よくある話だよ。仲良かった先輩に、南雲さんに相談して…同情してくれたのかな?じゃあ試してみようって俺と付き合ってくれた。あ、言っとくけど、南雲さんとは清いお付き合いだったから」  キスはしたけど、とは言わない。  立花の言葉に嵯峨山は口に含んでいたビールを僅かに吹き出してしまった。 「あーあー…何してんのー」 「げほっ…すんません…」  差し出されたボックスティッシュを受け取り、口元とテーブルを拭き取った。 「まあ、そんなこんなで、自分はマイノリティだと判明したわけ。お前の言う通り、ゲイなわけだ」  沈黙の中、立花が視線を動かして眺めたテレビ番組は、ありきたりな恋愛ドラマへと移行していた。  立花は深く息を吐き出す。ため息の音はやけに大きく響いた。 「人の秘密、暴いて楽しいか?」  冷めた野菜炒めを箸で突き、残り少ないビールをちびりと飲んだ。 「いいえ」 「即答かい」  はっきりとした口調で否定した嵯峨山に、立花は喉奥でくつくつと笑った。 「じゃ、なんであんなに聞きたがってたの」  最もな質問だと、嵯峨山はテーブルに肘をついて考えた。逃げている相手を捕まえて、ゲイなのかとデリケートな事をラーメン屋と言う公衆の面前で問い掛けた。 「えと…その節は、すみませんでした…」 「それはいいよ。そこまで大きな声でもなかったし…で?」  先ほどの問いの答えを促される。だが。 「なんで、でしょうね…わかんないっす」 「はあ?」  立花は怪訝な表情で嵯峨山を見つめるが、嵯峨山自身も困惑を隠せない表情で首を傾げている。所在無げに頬を掻き、空になった缶を軽く振ってテーブルの中央に押し出した。 「…焼酎ならあるけど、飲む?」 「あ、まじっすか。いただきます…ってか、今何時…」  その言葉に、二人は同時に壁掛け時計に目を向けた。 「十二時前…もうお前泊まってけよ」 「いいんっすか?」 「客用の布団もあるし…狭くていいなら、だけど」 「あざっす」  言うや否や、嵯峨山は嬉々として酒瓶の場所を聞き出し、コタツから這い出た。ついでとばかりに、立花は冷蔵庫に入っている生ハムや豆腐を持ってくるように指示を出す。  自宅の台所に他人が立っている。そんな違和感をじっと見つめながら、イカを口に銜えた。 「飲み過ぎんなよー?明日も仕事だろ?」 「ええ、まあ。そういう立花さんは?」 「遅番」  大きな欠伸をこぼしてから、自分用のコップに焼酎とお湯を注いだ。 「あの、ですね」  口の広いコップに大きな氷と焼酎だけを注ぎ、カラカラと指先で回しながら嵯峨山は躊躇いがちに口を開く。 「本当は…立花さんが、あの日、俺にした事の理由が…知りたかったんっす…」  あの日。立花が嵯峨山にした事。 「…忘れろって言っただろ」 「…言われました、けど…」  カラカラ、カラカラ。  荒れた指先が、意味もなく何度も何度もグラスの氷を転がし続ける。 「何がそんなに引っかかってるのよ。いや、まあ…確かに男からあんなされたら、引っかかるんだろうけども…その、悪かったとは思ってるよ」 「俺から逃げるくらいには?」 「…お前から逃げるくらいには!」  ふふ、と笑う嵯峨山を軽く睨んで、立花は子供のように歯を剥いた。 「ははっ」  予想外の立花の態度に声を上げて笑った嵯峨山は、グラスを呷って笑いをおさめた。 「別に気にしてませんよ。セクハラにもなりません」  口角を上げる嵯峨山の目は、僅かにぼんやりとした眼差しになっており、ある程度寄ってきているのだと立花は思った。それを眺めている立花の様相こそ、危ういのではあるのだが。 「アレがセクハラじゃないとか…寛容だねー」 「いや、もちろん人にもよりますけどね?うちの社長みたいなのとかはもう暴力ですよ、暴力」 「俺ならいいんだ?」  浮ついているのに、どこかしっかりとした口調で紡がれた言葉に、嵯峨山の笑みが微かに引き攣った。嫌悪などの負の感情ではなく、純粋な驚きにだ。  ハッとして立花に焦点を合わせた。久々に見た立花の眼差しは、完全に酔っ払いのものだった。  そして、思いのほか、顔の距離が近かった。 「おれなら、いいんだ…?」 「たちばな、さ」  呼び終える前に、唇が触れ合う。  嵯峨山の呼吸が停止した。  ぼやけるほどの近距離で重なり合う視線と、唇。アルコールによって上昇した体温が伝わってくる。  抗う事も引き剥がす事も出来ずに、立花の双眸が閉ざされて行くのを眺めていた。 「ん…」  艶を含ませた吐息と共に、表面だけ触れ合っていたそこが更に深く重なる。  唇の内側の柔らかさと濡れた感触に体は硬直し、戸惑いに「あ…」と声を漏らした。同時に滑り込んできたものが、自身のそれを掠めた。  熱い手が首筋に触れ、嵯峨山は反射的に瞼を閉じてしまう。余計に生々しい感触を感じ取るが、目を開ける事が出来ない。  ふと唇が離れ、首に腕を回された。 「……なぐもさん」  囁くような震える声だった。聞き逃さなかったのは、それだけ自分たちの距離が近いからだ。  縋り付いてきた体がバランスを崩してずるりと傾ぎ、嵯峨山は咄嗟に立花の背に腕を回して体を支えた。 「立花さん…?」  返事の代わりに返って来たのは、微かな寝息だけ。 「…寝た。……はー…」  虚脱感が全身を襲う。  深いため息を吐き出し、立花を起こさないように気をつけながら天井を仰いだ。 「あー…」  複雑な心境である。 「そこで…兄貴の名前、なのね…」  呟いた言葉の真意を、嵯峨山本人も図りかねる。  立花の少しばかり幼い寝顔に目を向け、その顔に掛かる前髪を指先でサイドに流せば、その指先がくすぐったかったのか立花は小さく唸りながら顔を背けた。  自分は何をやっているのかともう一度だけため息を吐き出すと、軽く頭を振って靄の掛かった思考を振り払い立ち上がった。

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