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変態騎士様

 ヴィル様が来ている時にメル様の事を聞いておけばよかったのに、もうそれどころじゃなくて、すっぽりと頭の中から抜けてた。  うう、ごめんなさい、メル様。  隊長さんが来た時に団長さんと取り次いで欲しいとお願いしたら、王都の外に出てるらしくて、戻って来たら連絡してもらうことで落ち着いた。  最近、ちょっとほわほわした気分が続いていて、足が地に着いてない感じだったから、しっかりと気を引き締めようと思って、今日は勉強の日にしたよ。  けどね、そうはうまくいかなくて、最初は張り切ってたけど、少しするとヴィル様の顔が浮かんできて、ぼんやりしてしまう。  こんなんじゃダメだってわかってるけど、こんな気持ち初めてで、自分では制御できないんだよね。   「ヴィル様……」  あー、無理だ。家にいたら、ヴィル様のことしか考えられなくなっちゃう。  薬師免許を持って、僕が向かったのは王立図書館。普通は貴族の人だけしか利用できない図書館をこの免許を持っていれば利用できる。お得な免許なんだ。僕も使うのは初めてなんだけどね。  薬師連盟が薬師の技術向上のために勝ち取った権利なんだよ。  平民街から図書館へ行く直通の馬車にはこの免許がないと乗れないようになっていて、貴族街に入る許可ではないから貴族街の中では降りられないんだよね。馬車には護衛さんも付いていて不審者がいればすぐに捕らえられてしまう。すごい厳重。    受付にある魔道具にかざして、認証されると扉が開く。王立だけあって、使われている魔導技術は最先端。  図書館の隣には憧れの王立学園もあって、僕も学校行ってみたかったな、なんてしみじみ思ってたりする。学園には貴族のご子息しか通えないから、雲の上の存在なんだけどね。  平民に学ぶ機会がないっていう訳じゃなくて、教会が建てた学校があって、そこで文字や計算を習うことができるんだよ。それに優秀な子は貴族の養子に迎えられることもあるんだって。    王立学園に行けない平民が薬師になるには薬師に弟子入りするしかなくて、おじいちゃんと会えた僕は本当に運が良かったんだ。  僕の場合は平民に分類されるわけでもないんだけど…。  貴族の方たちの中では僕の服装はすごく浮く。一目で平民ってわかってしまうから。視線が集まっているのがわかるけど、気にしない気にしない。  薬の材料の図鑑や一般に流通してる薬の解説本を何冊か手に取って、人目に付きにくい場所にある席に着いた。  やっぱりこういった厳粛な雰囲気の中だと集中できるね。これからはここに来て勉強したほうがいいかも。  この前、焔亭のマスターが言ってた、おじいちゃんのレシピの品質が良いっていう話の原因を調べたくなって、いつも作ってるレシピと一般に出回っているレシピを見比べてみたり、手軽に作れそうなレシピを見てみたり。  おじいちゃんのレシピと何が違ったかって? うーんとね。根本的に材料から違って、はっきり言って比べられなかった。触媒として何か材料を付け足しているなら僕にも理解できたかもしれないけど…。  僕が常識だと思っていたものが全く常識外れなものということだけは理解できた。きっと基本から学習した場合にはおじいちゃんのレシピには辿り着けないと思う。  おじいちゃんが誰にも教えなかった理由がわかるかも。僕も弟子を取るようになるまではきっちり管理しておかないと。 「おい」  急に凄みを効かせた声が掛けられて、僕は驚いて飛び上がりそうだった。 「は、はい」  温厚な貴族の人もいるけれどやっぱり悪い人もいる。こういった貴族様に逆らうと平民がどうなるかなんてわかりきった事で、僕はすぐに立ち上がって、礼をした。 「なんでこんなところに平民がいるんだ?」  隊長さんよりも少し大きい粗暴な感じの人で、図書館という場所にいるような人には見えなかった。ただ、身に着けているのは騎士服だから、騎士様なんだよね…?  僕は団長さんにも感じなかった怖さに震えながらも必死で答えた。 「や、薬師をしていて、ここに入る許可を頂きました」 「薬師? 薬師だか何だか知らないがなぁ、ここは平民が入っていいとこじゃねえんだ」 「は、はい。すみません。すぐに失礼します」  どう考えても難癖をつけられてるのはわかるけど、礼をして、メモや本をしまって、帰る準備をする。  怖い。早くこの場所から離れたくて、震える手を押さえながら鞄に詰め込んだ。  僕の使っていた机を叩きつけるように拳を落として、がんっと派手な音を立てた所為で、周りにいた人達の目が一気に集まる。  図書館に筋肉隆々の見るからに腕の立ちそうな騎士から助けてくれるような人がいるわけもなく、スッと目線を外された。 「出て行けば済むとおもってんのか?」 「……で、では、どうすれば…」  そのムキムキ騎士様は、そうだな、って言いながら僕を舐めるように見てきて、背中に冷や汗が伝った。 「……ただのガキかと思えば、けっこういいな」  何がけっこういいのか知りたくもないよ。  けれど腕を掴まれて、引き寄せられて、腰に手を回されたら、流石に僕でも何となく意味が分かってしまう。  容赦なく掴んでくるから、骨が軋んでいたけど、抵抗は無理。抵抗なんてしたら、それこそ簡単に折られてしまいそうなんだよ。  ううっ、背中がぞわぞわして気持ち悪くてたまらない。 「…や、やめてくださいっ」   つい、口をついて出てしまって、頭から血の気が引くのが分かった。 「逆らえると思ってんのか」  ニヤニヤ笑って、僕の反応を見て楽しんでるみたいだ。すごく嫌だ。  ぎゃっ、この人僕のお尻触ってるんだけどっ。変態変態っ。手を突っ張ってるけど力が強くてビクともしない。触られたくないよ。誰か助けて。  顎を掴まれて上を向かされて、値踏みされるみたいに見られる。怖さと気持ち悪さで総毛立ちだ。  しかも、顔が近づいてくるし。  やっぱりキスされちゃうのかな。  やだやだ!   こんな人にキスされるなんて絶対嫌だ!  力いっぱい押してみたけれどやっぱり全く効果はなくて、自分の非力さに涙がでる。でも僕も顔を頑張って背けてるんだよ。 「…やめ…っ…、はなしてっ…」  ヴィル様! 助けて!  目をギュっと閉じて、そう強く願ったら、 「なにしてるの?」  と、良く知った大好きな声がした。  幻聴?  現実から逃げ出したくて、ついにおかしくなってしまったのかも。    でも、そのムキムキ騎士様の口が僕に触れてこない。  そろそろと瞼を開けると、そこには幻なんかじゃなくて、僕の大好きな麗しいヴィル様がいた。 「ねえ、なにしてるの?」  言葉こそいつも通りだったけれど、底冷えのするような声だった。空気が魔法を使ったかのように凍っていて、比喩じゃなくて本当に動けなかった。ヴィル様の威圧だ。  僕を掴んでる変態騎士様の手が震えてる。微笑んでいるのにヴィル様の目は今まで見たことないぐらい冷たくて、本当に血も凍るって表現がぴったり。僕に向けられたものじゃないから耐えれているけど、あの目で見られると思うと。ごくり。 「エル、おいで」 「…っ……ヴィル様っ」  その声で呪縛が解けたみたいに動けるようになって、ヴィル様が両手を広げて待っていてくれたところに僕は飛び込んだ。  勢いで飛び込んじゃったけど、本当に良かったのかな。なんて思ったけど今更だよね。しっかり僕はヴィル様の胸に顔を埋めちゃってるし、しがみついちゃってるし。僕少し厚かましくなったかな。 「この子はね、俺のなんだ。分かる?」 「…し、しかし、その平民が私を――」 「話は後でたっぷり聞いてあげるからね、副師団長」  副師団長? そんなに偉い人だったの? その人をあっさりと引かせちゃうヴィル様って一体…。  真っ青で汗をダラダラ流しながらその場に立ち尽くしている副師団長さんを意にも介せず、僕を支えながら、視線から守るように個室に連れて行ってくれた。 「エル、ごめんね、怖かったね」 「だ、大丈夫です。ヴィル様が来て下さったから」 「図書館の外にいたんだけど、平民が来てるって話が聞こえて、何となく気になって来てみたんけど――来てよかった」  ヴィル様がギュっと抱きしめてくれる。  ヴィル様は御伽噺に出てくる王子様みたいだ。こんな風に颯爽と現れて助けてくれるなんて。  それに、会えないと思ってた日に会えるなんてとっても得した気分。 「勉強してたの?」 「はい。家では集中できなくて…」 「偉いね、エル」  褒められて、頭を撫でられるのなんて、いつぶりかな。子ども扱いされて嫌って思うけど、ヴィル様にされるとなんでこんなに嬉しいんだろう。さっきまでの怖くて最悪だった気分がもう吹き飛んでしまって、もうヴィル様で頭がいっぱい。   「今日、夜に行っていいかな?」 「は、はいっ。大丈夫です」 「なら、今日は、」  ヴィル様は僕の耳元まで口を寄せて、呟くように言った。  ――前より気持ちいいことしようね。    それから僕はどうやって帰ったか覚えてない。

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