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忘れたころに

   体調も良くなって、ヴィル様という刺激的な存在がないから、この数日で思った以上にレシピの分析と薬学書を読み進めることができた。    それに時間もたっぷりあるから、あまり食に興味はなかったけど、しっかり食べておかないとお腹の子に良くないかな、なんて思ってお料理の本まで買ってきてしまった。  最近はお店を開けてる間も閉店した後もずっとお鍋をかき混ぜてる気がするよ。    次にいつ会えるかはわからないけど、ヴィル様に会える日が近づいてるって考えるだけで嬉しい。  それと同時に緊張もしてるけど…。    しっかりヴィル様にお話しできるかな。この子のこと認めてくれるかな。  僕はそっとお腹を擦った。 「こんにちはー」  調合がひと段落して、机に立て肘をつきながら指輪の石がキラキラと光るのを眺めていると、明るい少し気の抜けた声がして、パッと手を隠した。  なんだか聞いたことある声だなって思ったら、ディー様だった。 「ディー様!」  急いで立ち上がって、扉を開けた。 「こんにちは。今日はどうされたんですか?」 「エルちゃんの様子見に来たんだよー。元気かなーって」 「は、はい、元気です。なんだかすみません…」  ふと、ディー様の後ろに視線を投げると灰髪の騎士様。  近くで見るとかなりの男前さん。ディー様とは正反対でキリっとした方だ。なんでこんなにヴィル様の周りには容姿が整った方が多いの?   私服姿のお二人は頭の天辺からから足の先までお洒落。 「直接話すのははじめて、だな。ディーの同僚のマティアスだ」  ヴィル様が走ってる時にちらっと顔は見てるから、初対面っていう訳じゃないんだ。最近は手も振ってくれるし、なんだか照れる。 「は、はじめまして。エルヴィンです。――良かったら、中に…」 「気にしないで。ちょっと立ち寄っただけだからね」  はい、と袋を渡されて受け取ると、何やら香ばしい薫りがする。 「これ最近流行ってるお店の焼き菓子なんだー。いっぱい食べてね」 「…こ、こんな、いいんですか…?」 「いいのいいの。エルちゃんのために買ってきたんだからね」 「う……はい、ありがたく頂きます」  ヴィル様といい、騎士様達はこんなに断れないような言い方してくるんだろう。  僕ってこんなに押しに弱かったけ。なんだかヴィル様の所為な気がするけど…。 「そうだ、倒れた後大丈夫だった? ヴィルが飛んできて、エルちゃんの事、掻っ攫って行っちゃったからね」 「そ、そうなんですか…。起きたらよくなってたので、大丈夫です。急に倒れるなんて、ご迷惑おかけしてすみませんでした」 「ううん。本当にエルちゃんが無事でよかった。――あ、それって、もしかしてヴィルからの?」  ディー様が指さしたのは僕の指に嵌っている指輪。  目敏いっ…!  見られるのがなんだか照れくさくて、手で隠した。   「は、はい」  返事をしながらも、顔が熱くなってくる。  お二人はニヤニヤしてる。  僕が恥ずかしがってるの見て楽しんでるんだ。  うう、意地悪だよー。 「えっと、団長から伝言があるんだ。やっと休みが取れたから、三日後にいつもの時間に迎えに来るって」 「わかりました! ありがとうございます」 「どういたしまして」 「…あの、メル様、えっと、メルヒオル様、元気にされてますか?」 「あ、そっか、メルヒオル様に会った事あったんだったね。順調に回復されてるみたいだから、大丈夫だよ」 「そうなんですね。よかった」  ってメルヒオル様? ヴィル様の弟なのに敬称ありなんだ。団長さんの伴侶になるからかな。 「ちゃんと伝えたからね。よろしく」 「はい。わざわざ、足を運んでいただいて、ありがとうございます。…あ、ちょっと待ってください」  騎士様だし、お薬は必需品だよね。お礼に渡しておこう。  それとヴィル様にも渡してもらえるかな。騎士様にお使いさせるなんて、とっても失礼なことだってわかってるけど、前みたいに疲れがとれてなかったら大変だもんね。 「これ、使ってください」  薬を詰めた紙袋をお二人に、どうぞと渡す。 「うわ、いいの? ありがとね」 「恩に着る」 「いえ、こんなものしかなくてすみません。それと、これ……ヴィル様にお渡ししてもらうことってできますか?」 「ヴィルに?」 「はい。立て込んでるって聞いて、また疲れが溜まるといけないので…」  恐々差し出すと、ディー様とマティアス様が嬉しそうに微笑んで、受け取ってくれた。 「しっかり渡しておくからね。ヴィルの事、心配してくれてありがとう」 「そんな…。お役に立てるなら、それだけで嬉しいですから」  「……ほーんと、こんないい子、ヴィルにはもったいないよねー」 「だな」  ヴィル様の扱いがたまにひどい時があるけど、貴方は一体何をしたんですか、ヴィル様。 「――指輪、大事そうに眺めてたって、ヴィルに報告しーとこ」 「へ? …え、な、な、」  見られてたっ!  恥ずかしすぎる!  しかも指輪の事知ってたんだ!  さっきから僕の顔ずっと真っ赤な気がするよ…。 「ディー、あまり揶揄うな」 「ヴィルが大喜びするでしょ」  じゃあねー、って固まってる僕を放置してお二人は待たせていた馬車に乗り込み、颯爽と帰って行った。  頂いたお菓子はクッキーのようだけど、見た目からサクサクしてそうな気配がする一口サイズのものだった。  口に放り込むと、一気に口の中が上品な甘みで満たされる。そうかと思ったら、しゅわっと舌の上で融けて、一瞬でなくなっちゃうんだ。  なにこれ、うっとりするぐらいおいしい。もう一個もう一個って手を伸ばしちゃう。こんなおいしいお菓子食べたの初めてだよ。  ヴィル様とお茶しながら食べたかったなぁ。  そんなに長くもたないから、一人で食べるしかないんだけど、――やっぱり寂しい。恋しい。  甘いお菓子を食べても、心って満たされないんだね。溜息ばっかり。  調合してても、勉強してても、ふっとヴィル様に抱きしめて欲しいなって思っちゃう。  いきなりやってきて、いつもみたいに驚かせてくれるかもって。  もう、どれだけヴィル様に依存してるんだよってね。   「ヴィル様……会いたいよぉ…」  全身がヴィル様を求めてるんだ。  ヴィル様の顔が見たくて、声が聴きたくて、触れ合いたくて。  僕はベッドに飛び込んで、ヴィル様のわずかな香りを求めてクッションを抱きしめた。   ***  ヴィル様は朝の走り込みも休むほど忙しいみたいで、何日も前から後姿も見れてないんだ。ディー様とマティアス様はいつも走ってて、ヴィル様の代わりにお二人が手を振ってくれてる。少しヴィル様と会えない寂しさは紛れるけど、やっぱり寂しい。  家にいると色々考えてしまうから、今日は気晴らしもかねて、お買い物に来たよ。  明日は団長さんとメル様に会えるから、結婚とメル様の快気祝いに何かお土産を持っていこうと思って、ヴィル様とお買い物したシャルム通りまで出てきてるんだ。ヴィル様にも何かお返ししたいしね。  自分で何か作れたらいいんだけど、薬の作製以外は不器用だから、お店に頼るしかないんだ。  飾り窓を見ながら、通りを端から端まで移動して、一目ぼれしたペアグラスを贈ることにしたよ。  グラスの中にいろんな色の石が埋めこまれてて、すごく綺麗なんだ。僕が気に入ったものだから、お二人の好みとは違うかもしれないけど…。  きちんと包装してもらって、リボンも付けてもらっちゃった。こんな風に誰かにプレゼントするなんて初めてだから、わくわくする。喜んでくれるといいな。  ありがとうございましたー、ってお店の人に見送られて、次はヴィル様の、と思った時だった。  グイっと腕を引かれて、びっくりして、振り返った。 「よお」  その人は嫌な笑いを張り付けて、僕を見降ろしてた。 「この前は世話になったなぁ」 「副、師団長さ、ま…」  

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