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声の主は?
僕は薬師のエルヴィン。
僕の日課は朝起きて、少し大きくなったお腹に、「おはよう」って挨拶すること。
魔力を籠めた手でそっと撫でると、お腹の子が魔力を送り返してくれる。
うん、今日も元気みたい。
そんなやり取りをして、僕の一日は始まる。
あの日、王都を出ると決めてから、もう迷いはなくなってた。
護衛をギルドで雇うことに不安があった僕は焔亭のマスターに頼んで冒険者さんを紹介してもらって、その日のうちに街を出た。店の中身を全部魔道具に詰め込んで。
里の手前のロタール村まで王都から徒歩で約一月かかる。
妊娠してるって途中で知られてしまってからは抱っこされることになって、冒険者さんたちのペースに。お蔭さまで20日ほどで着いたんだ。
僕は寸分違わず、足手まといだったよ。うん。
村に着いて迎えてくれたのは、幼馴染のラルス。
里には結界が張ってあるから、長老様の許可なく人は入れないし、支援魔法しか使えない僕一人では森を越えて里まで行けない。それを心配したラルスが迎えに来てくれたんだ。
僕はどこまでも人に甘えてばかりでダメだよね。本当に。
ラルスに縋りつくようにして泣いてから、もう一月が経った。
僕のお腹も少し膨らんできて、もう赤ちゃんの存在を実感できる。
僕はこの里でもちゃんと薬師をしてるよ。
里の横にある湖の周りには豊富な種類の薬草が自生してる。世の薬師には垂涎ものの草原なんだ。
ちょっとした屋根付きの調合場を作って――もちろん一人では無理だから手伝ってもらい――その湖の水も貰いながら、のんびりここで調合をして過ごすことが多い。
「今日も早いなぁ」
「おはよう、ラルス。今日はグラーフェさんが来るからね」
「精がでるねー」
ラルスは青龍。真っ青な空みたいな髪だから、遠くからでもラルスってわかるんだ。
ちなみに僕の髪は白龍だけあって白色。王都にいるときは茶色にしていたけど、ここでは隠す必要がないからね。
グラーフェさんはこの里まで来てくれる行商さん。彼も僕と一緒の半龍。ご両親はこの里で仲良く暮らしてるんだ。
「本当に出て行くつもりなのか? ここに住んでてもいいって長老は言ってるのに」
「出て行くって言っても、ドーレに行くだけだよ。ちょっと生活は苦しくなるかもしれないけど、あそこなら薬を売れるから」
「まあ、人間ってのは面倒だよなぁ」
龍は基本食事をしなくていい。
僕は半分人間だから食べ物は必要なんだけど、たぶん普通の人よりは少なくていいんだと思う。でもお腹の子は龍の血が薄まるし、食事が確実に必要になるから、ここにいるより街に出た方が良いんだ。
それに人として生きていた方がきっとこの子にはいいから。
「ラルス。薬の材料が足りなくて、森まで採取に行くの手伝って欲しいんだけどいいかな?」
「はいよ。仰せのままに、エルヴィン様」
「もー、揶揄うのやめてって」
里の龍たちには、王都に住む高貴な身分の方の子がお腹にいるって知られてて、こうやって揶揄ってくる。魔力で高貴な方ってわかるんだって。
『王都に住んでて、そんな魔力持ってんのは、偉い人だけだよ。どうやってそんな高貴な方を引っ掛けたんだい?』
って、長老様がみんなの前で暴露したって言うのもあるけど…。
でも、腫物のように扱われるより、こうやって言われる方が僕は気が楽。ずっと面倒を見てもらってたから、皆、僕のことよくわかってるんだよね。
それに、あのしきたりの儀式。あれって番の契約だったんだ。あの契約をしたことで子供ができてしまったみたい。
長老様は僕が帰ってくるなり激怒しながら、契約の事をしっかりと教えておくべきだったととても悔やんでた。趣旨のわからない『しきたり』を守ろうとする相手なんていないだろうって思ってたんだって。相手を見極めるためにもちょうどいいらしい。
人間は龍のように番の契約には左右されないみたいで、それを聞いてすごく安心した。勢いで契約させてしまったし、こうやって離れていることがヴィル様に影響があるんじゃないかってすごく気がかりだったんだ。
だから、逆の立場ならレーヴェの実が必要で、こんなことにはならなかっただろうって。僕はこの子が出来たことに後悔はないんだけどね。
もし、ヴィル様似の子供だったら、どうしよう。あの顔が近くでずっと見れるなんて。
お母さんじゃなくてエルって呼ばせようかな、とか思っちゃう僕はやっぱり馬鹿で変態。子供に恋心だけは抱かないようにしないと…。
なんて、軽く考えられるようにはなったけど、ヴィル様が恋しくなる時がもちろんある。
会いたくて会いたくて堪らなくて、胸が苦しくなって涙が止まらなくなるんだ。
そんな日はずっと家に籠って泣き続けてしまうぐらい情緒不安定。
番から離れて暮らしてるし、お腹に子供がいる時はそんなもんだ、って皆気にしないで放って置いてくれるのも、とても助かってる。
本当にいい人ばかり。
今は甘えさせてもらってるけど、甘えるのはこの子が生まれるまでって決めてるんだ。
この子が生まれたら、今まで貯めたお金でドーレで小さな家を買って、薬屋をしながら暮らすつもり。うまくいかないかもしれないけど、自分が余りにも子供で責任っていうものを軽くみてたから…。
だから今度こそは地に足をつけて、自分の力で一からやってみたいと思ったんだ。おじいちゃんにおんぶに抱っこだったし、冒険者さんたちもおじいちゃんのお客さんだったからね。
突然お店を閉めたことや、団長さんと会う約束を無視した形になってしまったことに今でも罪悪感を感じてる。本当に申し訳ないことをしたと思う。
いつも心配してくれた隊長さんにお礼もせずに逃げるように出てきてしまったし…。
いつかほとぼりが冷めたら、この子を連れて、王都でお世話になった人にお礼を言いに回ってもいいかもしれない。今はそんな気にはなれないけど、いつかは。
「エリー。またなんか考えてたなー。森の中ではぼーっとするなって毎回言ってるだろ」
「ぼーっとなんてしてないよ。それにエリーって呼ぶのは禁止っていってるのに!」
「今更だろー。じゃあなんて呼ぶんだよ。エルとか?」
「エルはダメ!」
「はぁ? なんだよソレ。じゃあエリーでいいだろ」
「ううっ…、どう考えても女の子の愛称でしょエリーって」
「いいじゃん。龍に性別なんてあってないようなもんだし」
「うー」
「それより、これでいいのか?」
「う、ん。ありがとう。結構沢山取れたね」
「当たり前よ。俺様にかかればこんなものちょちょいのちょいよ」
「……うん、いつもありがとう。ラルス」
自慢げに胸を張るラルスにちょっと本気でお礼を言ってみたら、ちょっと目を見開いてから、ラルスはニッと笑った。
手を取って、僕の歩調に合わせて森の中を進んでいってくれる。ラルスは僕よりも少し先に生まれたお兄さんなんだ。こうやって小さい時から僕の横にいてずっと世話を焼いてくれた。
それが今も変わらないのがちょっと嬉しい。もう成人したのにとは思うけど。
「なあ、エリー」
「なぁに?」
「番、解消する気ないのか?」
なんでそんなこと聞いてくるんだろう。
僕は首を傾げて、ラルスを見上げた。
「なんで?」
「…たまに泣いてるの見てるとさ…、なんていうか…」
「ごめんね。ラルスに迷惑ばっかりかけて」
「そういう意味で言ったんじゃなくて、辛くないかって。番解消したら少しは気持ちが楽になるって、長老も言ってただろ」
「うん…。――でも、僕はあの方の事しか考えられないから…。きっと番を解消しても、心は変わらないと思う。一方的だけど、繋がってる証拠だから消したくなくて。繋がってるって感じるだけで嬉しくて。……だからあの方を想って泣けることも幸せなんだ」
「……そっか。番って不思議だな」
「ラルスはまだ感じたことない?」
ラルスは頷いて、あーあ、と拗ねたように口をとがらせた。
「いいんだよ。俺はエリーより何倍も長生きだろうし。でも、まさかエリーに先越されるとは思わなかったよなー。ドジっ子エリーに」
「ドジっ子!?」
「そ。小さい時から不器用でさ、皆お前の事、放っとけなかったんだよ。ちょっとかわいがり過ぎて、頭弱くなっちゃったけど。――薬師になるって聞いた時、猛反対したのはその所為な。薬に変なもの混入させる可能性のある奴が薬師になるなんて恐ろしくて…」
ちょっと待って、頭弱いってなに?
確かに頭が良い方だとは思わないけど、ちゃんと薬師としては機能してるのに……でも否定できないのが辛い。
「――じゃあ、里を出るのを反対したわけじゃないの?」
「そんなの自由だろ。実際、グラーフェだって外にいるんだし」
「う、確かに…」
「もしかして、反対されたのに出て行ったから、じいさん亡くなってからも戻ってこなかったのか?」
うん、図星。
「ちょっと意地を張ってたというか、気軽には戻れないとは思ってた、かな」
でも、そのおかげでヴィル様にも逢えたからね。
「そのおかげで『あの方』に逢えたから、とか思ってるんだろ。どーせ」
「うっ、なんで皆僕の心が読めるの…?」
「顔に書いてあるからな。幸せそうな顔しやがってさー。はぁー俺も、なんか番欲しくなってきた」
「僕もラルスが恋煩いしてるの見てみたいなぁ」
「うるせ。俺はもっと賢くやるからな」
「そんなうまくはいかないと思うけど」
「なんだよ、その経験者気取りな発言!」
「気取りじゃないから。実際に経験者だから」
「経験者ねぇ」
ちらってお腹を見ない!
どうせ僕の経験は役に立ちませんよーだ!
「ふんっ、もうグラーフェさん来ちゃうから早く商品の準備しなきゃ」
「なんだよー。せっかく付き合ってやったのに」
「あ、り、が、と、う!」
「心が籠ってないぞー」
文句を言ってるラルスを放って家に入る。ラルスと話しながら歩いてたから、戻ってくるのに意外に時間がかかっちゃった。
グラーフェさんに渡す薬を個別に袋に入れてから大きな袋に纏めて入れる。
この薬をグラーフェさんがドーレで開いてるお店の隅に置かせてもらってるんだ。市場調査って言うのかな。どんなものが売れるのか調べてるところなんだ。
カチャっと、家の玄関扉が開いた音がした。基本里の中は鍵を掛けない。盗む人も物もないしね。
「また後でちゃんとお礼するって。今は急いでるから後にしてよ」
窓の外にグラーフェさんの荷馬車が見えて、慌てて袋に詰め込んだ。
「…エル?」
静かに響いた声に、ドクリ、と心臓が音を立てる。
僕の手から、薬を詰めた袋がぽろっと落ちた。
ゆっくりと振り返ると、外から差す光を浴びて、蜂蜜色が輝いた。
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