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第二章◆霧ノ病~Ⅳ
町医者は採掘場に程近い診療所を、ただ一人、任されていると聞いた。
然程 、遠くはないと言うので馬も借りずに歩いたが。
実際には結構な距離である。
丘を登りきったところで風を背に振り向いてみれば、
石造りの町を一望するに余る景観。
対して、採掘工舎の立ち並ぶ地帯は、随分 と空が狭 く感じられた。
物の密度の割には人気を感じない違和感もあってか、閉鎖的な雰囲気を肌に感じる。
かつては昼も夜も無く、交替で働いた鉱夫たちも、今や疎 らに行き違う程度。
蒸気機関の周 る建物に、線路。入り組む跨線橋 。
渡っては潜 り。
貨車 を引き上げる歯車仕掛けが轟音 を発し。
稼働する様子を時に見上げながら、カーツェルは歩いた。
そうして、ようやく診療所まで辿 り着いたのだ。
しかし、受付を目の前にした彼は眉間 に皺 を寄せ、目元を絞 る。
仮にも医院ともあろう施設の窓口が 蛻 の殻 とは ... ...
仕方なく、施設関係者を探し病舎沿 いを行く。
路端の芝生 や植木をはじめ、花々まで美しく整えられている様子を見ると、
時間を持て余して悠長にしているのは、老人や療養中の患者だけではなさそうだった。
呑気 に薔薇のアーチの傍 らで葉の状態を診る看護婦が、カーツェルの視線に気付いた途端。
剪 定 鋏 を腰 の後ろに隠して、ばつが悪そうに愛想笑いをして見せる。
些 か呆れたが。
落ち着いて挨拶し事情を説明すると、看護婦は快 く取り次ぎを了承してくれた。
「いやぁ、驚きましたよ ... 帝国お抱えの魔導師様がお見えになっているとの噂 は
耳にしておりましたが。その、御遣 いの方だとか。 ようこそ ...
私はこの診療所を任されている医師で、グレコヴィッチと申します」
診断を終えたらしい老婆と行き違いに通された診察室にて。
気さくに挨拶し、手を差し出してくる中年医師。
「ご用件については、だいたいのところ想像がつきますが。
直にお伺 いしても宜 しいですか?」
指先と視線を椅子に手向ける医師は、カーツェルに着席を勧 める。
しかし、手短に済ませるつもりで立ち居たまま。彼は姿勢を変えなかった。
「まずは、私的要件で突然にお伺い致しましたこと、お詫 び申し上げたく存 じます。
何卒 ... お許し下さい。 私 は、第一等・帝国魔導師、
フェレンス御方 にお仕えする者。名を ... カーツェル・ヴァレンチェスと申します」
会釈 しながら丁重に名乗る、魔導師の助手・兼・使用人。
本来であれば加えて、時候挨拶と恐縮の意を述 べてから本題に入るところだが。
医師は苦笑して手のひらを見せ空気を押してきた。
貴族や高官の下回りが要 する順序立ては、とにかく長いためだろう。
気遣い無用と伝えたいようだ。
用意していた言葉を飲み込み、一つ頷 いた後 。
「では、単刀直入に申し上げます。この度は一つ、お願致したく思い参 じました」
カーツェルは言った。
「霧ノ病を患う者への、無意味な調薬と投与を控 えて頂きたい」
詳細については周知のことと思い省 く。
医師ならば当然、学会を通じ情報を共有しているはずなのだ。
すると、念の為か... 医師は問い返す。
「 ... ... それは、貴方のお仕えする魔導師様の言伝 ですか?」
権限、そして責任を問われる発言であることを警告しているのだ。
瞳を閉じ一呼吸置いて、カーツェルは答えた。
「いいえ。あの方が他分野の施策に干渉することは決してありません。
ですが私個人として、どうしても見過ごすことが出来ないのです」
あえて言葉にはせず、相手の目をジッと見て訴 える。
効果が見込めるならまだしも。次期を誤り変異体に投与すれば
薬効まで変え吸収し、武器として変貌 することすらある。
いくら地方の町医者と言えど、事例報告を受けていなとは言わせない。
また、そういった危険性も然 ることながら、
患者の親族である少女に金銭的余裕がないことくらい ... 言わずもがな。
医師は、そんな彼の思うところを察して、それ以上に尋 ねようとはせず。
しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「困りましたね。帝国軍に所属する魔導師様のお言葉とあらば、従うしか道はありませんが。
そうでもない限りは、薬を求める人々次第ですから ... ...
もしも、あの少女がそれを聞いて納得するならば。構いませんよ ?
しかし、世の中そう上手くは回らないものです ... ... 」
傍ら、机の上にあったカルテをファイルに戻し、
片付けを済ませようと待っていた看護婦に手渡して。
更に続ける。
「私だって、自覚はしています。
我々医者の至らなさも、属する分野で得られる知識だけでは、
錬金術師は愚 か、魔導師方の足元にも及 ばないことだって」
重々しい空気が漂 った。
どうやら、金儲けのためにそうしていたわけではないよう。
カーツェルは聞いていて胸を撫 で下ろす。
話半ばに差し当たった時だった。
「ですが、私は是非 とも問いたい」
突然、話を切り返してきた医師の、真っ直ぐな眼差 しに ハッ とする。
「貴方は、病に伏 した患者と ... その家族の気持ちを、どう思われますか?」
知らず識らず表情が曇る。だがカーツェルは医師の述べる所感に耳を傾 けた。
霧ノ病とは、〈地獄の霧に毒される〉と彼の民が抽象的 に述 べたことから付いた名。
ところが、その実態を知れば、とても病とは言いがたく。
医療薬が役に立つかどうかなんて、正直はなから期待してなどいない。
医師は本心を言い連 ねる。
現実的に診 るなら、遺伝子異常。
もしくは、鬱 の合併症として捉 えるのが精々 。
いずれにせよ、薬でどうにかなるものでは無いことは明らかとして。
「それなのに。実際に治癒が可能なのは、
特にも優秀な魔導師様だけと言うではありませんか」
指折り数えられる程度。極少数の精鋭 が、そうそうのことで派遣されるわけもない。
近年では増加の一途 を辿 る患者の割合から、
病状によって優遇される者と、そうでない者と、分け隔 てられる。
そんな有り様で。
全てに対応することなど不可能。 仕方がないことも分かってはいる。
しかし、変異後に討伐される者の末路 を思えば、
藁 にも縋 る思いで医者を訪 ね歩く。
あの少女もまた、その一人だったのだ。
膝 に両肘 をつき、胸元で手を組んで握る。
医師は繰り返した。
「そんな、あの娘 の気持ちを ... 貴方 は理解できますか?」
窓辺に差す光が、祈りを捧 げるかのような ... その姿を神々しく照 らす。
しかし、カーツェルはと言うと。目元を窄 め、医師を睨 んだ。
「理解だと ... ?」
厭 らしいモノを見る目だ。
「やっぱり医者なんて、どいつもこいつも厚かましい奴ばかりなんだな」
物言いも一変する。
顔の横で嫌気を払うように手を振りながら、うんざりした顔つきで診察用ベッドに腰掛 けたあと。
ふてぶてしくシーツに手をつき脚組までして、不適に笑う。
そんな彼の態度に気分でも害したか。
医師は、目もくれず正面の壁を不穏な眼差しで凝視していた。
どいつもこいつもとは言ったが、勿論 、認められる一部の医師は除外するとしてだ。
黙り込んだ医師を軽蔑視 するカーツェルは、顔を逸 らしながら遺憾 を吐き捨てる。
「心から配慮するなら増してや、
患者や家族に無駄な負担を負わせるような真似 なんか出来るもんか。
貴方 はな、自分に出来ることは何もないと思いたくないだけで、
結果、裏目に出てんだよ ... ... 」
帝国政府内の、よく似た連中のことを思い出した。
「まぁ。そんな奴に言うだけ無駄 ってことも分かっちゃいる。
人を救うため医者になったってのに、金がなきゃ出来ない、
出来ないんじゃ意味がない、ジレンマだよなぁ」
「気休めだろうが、何かしたいという人の手助けくらいはしても良いのでは?」
「何をしたって結果は変わらない、そんな局面で... 金だけとって見送るのか?」
「 ... ... ... 」
アイツは違う ... ...
『カーツェル。私は、異端者と呼ばれる事に抵抗など無い』
こんな時に、また妙 な記憶が蘇 るものだ。
普段は白の修道服に身を包む、かつての彼の装いまで。今日に限って、より鮮明なのだから不思議。
『正しいことがしたくてそうしている訳 でもなく。
成 すべきと思うことの善悪など、実のところ ... 考えたこともない。
正直、興味すら無いのだから。 どう思う? カーツェル ... ... 言われて当然と、思わないか?』
学院で大勢を相手に殴り合いをした日。
そう言いながら、こちらの服の袖 を捲 り上げ、細かい傷を隅々まで探して治癒を施 す。
そんなアイツの微笑みが ... むしろ一番、癪 に障 った憶 えがある。
『だから関わるなと忠告したのに。お前という奴は、とんだ変わり者だな。
異質に思われて当然な私のことで、どうしてお前が一々 腹を立てなければならない。
私の成すべき事が必ずしも人々を幸福にするとは限らない。それなのに、
カーツェル ... 何故 お前は、それを否定したがる?』
あの頃は何と言って返したら良いか分からなかったが。
もっともであると感じ、アイツのことを思い切り蹴飛ばし半泣きで帰宅した。
嗚呼 ... そうか。事ある毎に胸を締め付けるこの気持ちは、正に、あの時の悔 しさに通じる。
本物と見込んだ者が世間に蔑 まされるのを、ただ見ていることなんて出来ない。
なのに、当の本人はそれでも良いと言うし。
周りは勝手な解釈で、自分たちが納得できるようにしか考えない。
「けど、どうでもいいか ... 」
絡 みつく想いの蔓 を振り払うようにして立ち返り、カーツェルはノブを握り締めて言った。
「所詮 、貴方 は偽者 ってワケだ。
... 親切を履 き違えるようなヤツに用は無ぇしな」
彼はその時、主たる者のことだけを考えた。
そうでもなければ、ふざけるなと言って食って掛かっていただろう。
しかし彼は、あの日から変わったのだ。
そう、あの日 ... ...
膝 をついた状態で肩を思い切り蹴り払われ、
体勢を崩したフェレンスは、それでも嫌そうな顔一つせず。
見ていられなくて立ち去ろうとした彼を直様 に呼び止め、こう言った。
『カーツェル ... ! 考えや価値観は人それぞれだ。
しかし、お前には 〈押し付けたり〉〈押し付けられたり〉 で
対立することしか知らないような人間には、ならないで欲しい。
だから、どうしていいか分からないと言うのであれば、何時 でもいい。
... 今回のようなことになる前に、私のところへ来なさい』
もう二度と無視したり、お前を拒 むようなことは言わない。
約束する ... ... と。
他人との関わりに一切の興味を示 さず。
ただ、成 すべきと思うことに対してのみ、直向 きだった ... フェレンスが。
初めて、友として傍 に居ることを許した相手、それが彼。カーツェルだったのだ。
それからというもの、彼はフェレンスの言葉に倣 って過ごしてきたが。
アイツの力を利用する ... ... 本物と認めた男に認められるため ... ...
理由はそれだけでは無くなった。
その時、最終的に告げられた言葉が要因である。
『但 し。お前が、これを受け入れられないと言うなら話は別。
例えば、そう。もしまた今回と同じようなことが起きたとしよう。
その場合おそらく私は、私のことでお前を傷つけた者たちに
制裁を下しに行くだろうから、事態は更に悪化する。
分かるか ? これは、私がお前を傍 に置きたくなかった、一番の理由と言っていい』
あの男ときたら、自分はいくら悪く言われようが平気なくせに。
自分と関わった者に何かあった場合は、そうはいかない ... などと抜 かすのだ。
と言うか。制裁やら悪化を前提にして話すなよと。あらためて呆 れ返る。
けれども、成すべきと思うことの善悪など、考えたことも無いと話す男の言葉だ。
ある程度、言う事を聞いておかなければ。
一体、何を仕出かすものやら。まず想像がつかないのだから。
まぁ、仕方ねぇよな。 ここは堪 えてやるさ ... ...
カーツェルは思った。
『日々、何かを恐れて過ごす人々が、私の成すべきを驚異と見做 す。
蔑 み、時には利用して、恐れに対し抗 うためだろう。
だが、そんなことで世界の成 り行きが変化することは無い。
私を見ろカーツェル。お前の目の前にいる男は、
人々に疎 まれたところで ... 何か変わったか ? 』
アイツは、フェレンスは、世の中のどんな風潮にも左右されることは無い。
底知れぬ闇と、無限を秘めた光りの間 に立ち。
見る角度によって、その姿を変えるような存在。
人々の恐れと向き合い、共に歩むことを恐れぬ。
そんな奴と比 べたって仕方ねーよな ... ...
そう考えると、むしろ医師が哀 れ。
多目に見てやろうという気にもなるわけだ。
一時的な怒りに強張 った腕の力も、自然と緩 んでいく。
カーツェルは落ち着いた気持ちでドアを開き、医師のもとを去ろうとした。
フェレンスが今頃、どうしているかも気に掛かる。
次、訪 れることがあるなら、彼も一緒に ... ... と、そう考えた。
ところが。
「ヲヤ ... ... 何方 ヘ行カレル オツモリ デスカ ... ... ?」
壁を凝視 したまま黙り込み、動かなかった医師が ... いつの間にか、背後に。
「まだ、話は済んでいないはずですよ」
カーツェルの肩に触れ、不気味に引き止める。
低く、濁 った声色と、不自然に重く伸 し掛かる手。
医師は俯 き加減に顔を寄せ、彼の肩口に影を落としながら言った。
「実を言うと〈ボク〉も、貴方の考えに同感なんです。
どうあるべきかなんて、そりゃあ時と場合、相手にもよりますよね。
でも。親身なふりをして利用する。言われるままに薬を売るだけで、自分に非はないと開き直る。
さすが、人の命がかかった仕事をしている人間の傲慢 さは桁外れです ... ... 」
よくよく聞けば、一人称まで変わっている。
「そう ... あなたの言うとおりなんだ... ... 」
ただならぬ気配に、腹の底まで息が沈んだ。
「何せ、 〈 ニ セ モ ノ 〉 ですからね ... ... ボ ク ハ ... ... 」
疑 う余地も無い。
肩に食い込んでいく医師の指先から血の気が引き、薄気味悪く伸びて。
まるで錆 びた鉄のように、変色した皮膚をボロボロと落として膨れ上がる。
その様子を目の端 に見るうち、カーツェルは思いを巡らせ、やがて悟 るのだ。
「なるほど ... 俺たちはどうやら、
だいぶ前から仕掛けられてた罠に、まんまと嵌 まっちまったらしいな」
同時に身の危険を感じる。
〈 クク.. グフッ... ga ha ha ha ha ... ! ハハ ハハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ !! 〉
医師の姿をしたケモノが、彼の背後で見る見る巨大化していった。
衣服を破り、裂けた肉の合間から牙を剥 き出したそれは、紛 うことなき魔物。
時を同じくして。また一方のフェレンスは。
暗転した視界を手のひらで覆 い、中庭の堺 に立つ柱に若干、身を擡 げるも。
素早く腰 に携 えた黒檀 の杖を抜いた。
すると、指輪と呼応し青白く発光する、芯 。
杖は細身で、彼の脚 とほぼ同じ丈 。
しかしそれは、仮の形状だった。
指輪の魔力を受け、忽 ち柄 を伸ばし、銀の細工がその上を這 って宝冠を模 る。
杖は、あっという間に彼の身長を越して真の姿を表 にした。
フェレンスは、気を静めて詠 う。
「清めの大地 ...
〈Tierra pura ... 〉
水の濁りを払う精霊の力 ...
〈El poder de los espxritus para limpiar el agua ... 〉」
地に呼びかけ、風が摘み舞い上げた緑を、青い光の粒子に変えながら。
閉ざした目元を漂 うそれは、彼の声を通じ。
注 がれる魔力と法語に従って姿を変え、印 を描いた。
錬金術における法語とは、神秘文字の綴 りから成 る言葉。
印は、それらを簡略的に表す符号。
魔法陣を描けない時は音で記す。
つまりは詠唱 し、術を発動させるのだ。
いつしか手のひらの向こうへ沈み、底光りする浄化の法。
瞳に掛けられた呪いが解 かれ、視力を取り戻したフェレンスは、
霞 む視界を細め、少女の兄が居るはずの暗闇に目を凝 らす。
影が邪魔だ。
彼は手を翻し、陽の光を素早くまとめ、携 える。
そして命じた。
「闇を払え ...
〈Borra la oscuridad ... 〉」
光は彼の指先から一直線に放たれた。
しかし弾かれる。だが、それでいい。
踏みにじられた光の球は衝撃により、より強く発光した。
暴 かれる正体。
照らし出された躯 。
確信して後退 りする。
すると、中庭を挟 んだ主屋の方から、兄を呼ぶ少女の声が。
「お兄ちゃん ... ! お 兄 ち ゃ ん !!」
そこに居るのは兄だと、そう信じる悲痛の叫びだ。
そんな両者を無情が襲う。
「違う! あれは、あなたのお兄様ではない!!」
フェレンスは咄嗟 にそう言って身を伏 せた。
暗闇の中を蠢 く蔦 が、腐り果てた躯 を蹴散らし向かって来たのだ。
逸早く察知した彼は、懐 から宿紙 と細い鋼の杭 を取り出し、一方で一方を貫 くと。
それを地面に突き刺し、身を返す。
呪文など唱 えていられない。
少女を巻き込むまいと、主屋に向かい駆け出すフェレンスの後に残った宿紙 は、
杭 に注 がれた魔力を受けて地面を隆起させ、次々と分厚い壁を作っていった。
刃に変じた蔓 を受け、土の中に飲み込み、砕 く。
だが、襲い来るそれらの全てを防ぐには至らなかった。
逃れた幾 つかが、蹴散らした躯 をバラバラにしながら分裂し、携 えた刃を投げ放つ。
その間に、少女を抱き上げ主屋の廊下を駆け抜けるフェレンス。
床や壁を打ち砕くそれらを潜 り、飛び越え。
時に クルリ と回り込み、彼は表 を目指した。
交わし際 に見れば、それはまるで血に錆 びた鋼鉄の三日月。
刃先は毀 れ、鋭 さなど無い。
いつから仕掛けられた罠 だろうか。
本体から切り離され、放置された躯 の血も、その魔力も吸い尽くしたそれは、
毒を放ちながら塵 と化す寸前だったようだ。
そんな一部始終をフェレンスの肩越しに見ていた少女は、
涙を一杯に溜 めた瞳を見開いて呟 く。
「グレコビッチ先生が ... ... どうして ... ... 」
崩れかけて歪 む柱と壁の向こうに散 る... 白衣と、毛髪の影。
「どうして ... どうしてですか ... ? 魔導師さま ... ... 」
慄 き震える少女の声を耳元で聞きながら、フェレンスは息を切らした。
主屋から出ると、町の外れに位置するそこは、丁度いい具合に馬屋の真向かい。
帝都と村町を結ぶ駅馬車業者の、一部施設と思われる。
魔物の発する奇声と爆発音に加え、土煙を吐いて軋 む ... 元・下宿屋で起きた異変。
おいおい、下宿屋の嬢ちゃん大丈夫かよー。なんて、呑気 に寄って来た野次馬が仰天して転がる。
業者に務める数名だろう。半 ば腰 を抜 かし、這 うように逃げていく様子が見られた。
フェレンスは息を整 える。
背にした主屋から立ち昇る黒煙は、魔物が消滅する際に放つ毒の粉。
数分と持たず、消えて無くなるものだが。風向きによっては侮 れない。
だが、風は町の外へと向いているようだった。
対処を免 れ、フェレンスは急ぐ。
馬屋の横で暴れる一頭の傍 まで行って宥 めると。
手際よく鞍 と手綱 の締まりを確認し、少女を先に乗せた。
そして自らは、その後ろに。
どうして ... ? お兄ちゃんはドコ ... ?
少女は繰り返し尋 ねるが、混乱のあまりに意識が朦朧 としているのか、視点が定まっていなかった。
そんな彼女の肩を胸に抱きながら、フェレンスは馬を走らせる。
今、話して聞かせたところで、このコには聞き取ることが出来ない。
心を閉ざしかけている少女には安静が必要だった。
それに、一刻も早くカーツェルを探さなければ ... ...
彼の不在については、少女が一人で様子を見に来た時点で気付いていたフェレンス。
だが、どうして彼は少女の傍 を離れた。
霧ノ病に侵 された者の間近。進行の具合も把握する前から。
何故 ... ... ?
胸騒ぎがするのだ。
石畳を蹴る蹄 。
蹄鉄 と石が擦 れ合い、時として火花散る。
甲高 い馳 せ音が壁に反響する中、フェレンスは馬を逸 らせた。
目の前を駆け抜ける駿馬 に驚きの声を上げるは、
騒動を聞きつけ道端まで出ていた女達。
石垣 に沿 い、遥か丘の上の工舎地帯に目を向けると。
フェレンスの意識が研 ぎ澄 まされる。
そんな時。
垣根 まで脚 を伸ばすかのように渡る建物の、テラス下を駆け抜けざま。
視界の端 に見た。
吹き抜ける風に靡 く長い金髪。
思慮深 げにこちらを流し見る、鋭い視線。
クロイツ ... ...
手綱 を強く引き、馬を止める。
フェレンスは細かに綱を引き操って、向きを戻した。
興奮、冷めやらぬ様子で前脚を跳ね上げ、仕切りに石畳を蹴る馬。
その動作に背筋を撓 らせ、それでいて姿勢を保ちつつ。
見つめる先には、あの役人。
「どうした。そんなに慌 てふためいて。
感情の薄い貴様にしては珍しいじゃないか。 ... フェレンス」
爽やかに風を受ける。しかし、その眼光は暗く、冷たい。
次いで、建物内で張り込んでいたらしい数名の気配を感じ、フェレンスは振り向いた。
すると、同時に扉が開き、現れる。 兵士と、補佐官らしき男。
「少女を渡せ!」
突如 として銃剣を向け言い放ったのは、おそらく新兵だ。
フェレンスは眉 をひそめ、銃口を見やる。
しかし、その直後。
〈 ドカッッ ... !! 〉
「ぐふっ ! 」
背後から強烈な飛び蹴りを食らって前のめりなる新兵の傍 ら。
彼は目を丸めた。
「馬鹿者!! なんて口の利 きようだ!
あの御方 は高等錬金術師団所属の魔導師様だから、
くれぐれも口だけは慎 めと、さっき注意したろうが!」
「ぇ ... この人物が、で、ありますか ... !?」
事前の指示を聞き違えたらしい新兵と、それを叱咤 する年長の会話。
聞いていると、そんな二名に続き、指揮を任されているらしい男が一歩前に出て口を開く。
「指導の不行き届き、申し訳ない ... 士官殿」
苔 の生 す深い森が
風を受けざわめき立つように、波打ち肩を撫でるミドルヘア。
「ともあれ急事ゆえ。... なんっつーか、もう説明している暇 がなくって、ハハ ...
って、おっと。失礼。あー、つまりですな。手早に要件のみ、お伝えする」
深緑の艶 を放つ髪が陽を透 かし。
木漏れ日と見紛 う光を頬 に落とす様子を見ながらフェレンスは聞いた。
「その少女を、お引き渡し願いたい」
銃剣武装の部下を率 い、自らは両腰に短銃。
将官の近衛 か。
もしくは帝都の治安維持を主な務 めとする小隊と、その長だろう。
フェレンスは再びテラスを見上げる。
すると、縁 に手をかけ、ニヤリ ... と嫌味に笑いながら、クロイツは言った。
「案ずるな。保護してやろうと言っているのだ。
... 貴様も、それを望んで留 まったのだろう?」
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